2010年8月11日水曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

春の道央・道北の旅 2010 (76) 「エリツィンはポロリがお好き」

 


サハリン沖大韓航空機撃墜事件

「ソ連」と「稚内」と言えば、忘れてはいけないのがこの事件です。


忘れもしない 1983 年 9 月 1 日、ちなみにこの日は「防災の日」で、1923 年に関東大震災が起こってからちょうど 60 年が経った日なのですが……(前フリ長すぎ)、そう、「大韓航空機撃墜事件」が発生したのでした。

金賢姫(aka.「北の工作員」)が暗躍した「大韓航空機爆破事件」とは別ですので念のため。

「理由は明かせないが、やったのはミグだ」

当時の新聞も展示してあります。27 年近く経過しているので、劣化が激しいですが……。


ちなみに、実際に大韓航空機を撃墜したのはスホーイ(Su-15)だったのですが、当時、なぜか日本だけがミグ(MiG-23)だったと発表していました。読売新聞も政府筋の発表に準拠して「ミグ23」と大書していたことが確認できます。

なお、アメリカが「スホーイだ」と断定していたにも関わらず、日本だけ「ミグだ」としていた件について、日本側の関係者は「理由は明かせないが、スホーイではなくミグによるものだということは間違いない」と語っていたと聞きます。結果的には大間違いだったわけですが、その理由は謎に包まれたままです。

エリツィンはポロリがお好き

「謎に包まれたまま」と言えば、大韓航空機が何故にサハリン上空に迷い込んだかというのも、フライトレコーダーとボイスレコーダーが「行方不明」とされていたこともあり、長年の間「謎」とされてきました。ただ、ソ連が崩壊し、エリツィンが「あれはウチが持ってるよ」とポロリ発言をしたおかげで、フライトレコーダーとボイスレコーダーが ICAO(国際民間航空機関)に提出され、調査の結果、航路逸脱の原因は特定された……と聞いていました。

しかしながら、Wikipedia の記事(「大韓航空機撃墜事件」)を見た限りでは、報告書では完全に理由を特定したわけでも無いようです。「あれっ?」という印象を持ってしまいますが……。

オートマの「マニュアルモード」のようなものです

ちなみに、現時点でもっとも有力な仮説は、「ヘッディングモード」(自動操縦中に、一時的に手動で進行方向を変更できるモード)に切り替えた後で、自動操縦モードに戻すのを忘れた……というものです。本当に「戻すのを忘れた」という説と、「戻したけれども自動操縦に切り替わらなかった」という説があるみたいですが、結果は同じで、ずーっとヘッディングモード(マニュアルモード)でサハリンに向けて一直線に飛んでいた、ということです。

大韓航空機と「レ1ニンの平和主義」

で、撃墜された大韓航空機の欠片などがどこに漂着したか、を示した図もあります。


このスキャンダラスな「事件」が無ければ、「猿払村」のことを知ることも無かったでしょうし、「インディギルカ号」の話を知ることも無かった……筈です。結果として「日ソ友好記念館」に行くことも無かったでしょうから、「レ1ニン」の絵を見ることも無かっただろう、ということで……。

あの痛ましい「事件」のおかげで、今こうやって小樽市内の某ホテルでキーを叩いているわけですから、世の中何がどう転ぶかわからない、ということですね。

読書案内

「事件」に関連した書物も展示?されています。


読んだことのある本がたくさんありますね。当時 NHK の記者だった小山巌さんの本はオススメです。同じく元 NHK の柳田邦男さんの「撃墜」三部作というのもあるのですが、残念ながら絶版になっている筈です(著者の意向?)。あと、露イズベスチヤ紙のアンドレイ・イーレシュの本(和訳もあります)も要チェックです。冷戦下のつばぜり合いの全貌を知ることができます。

前の記事次の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

最近の記事