2010年12月6日月曜日

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山田秀三さんのこと

 


山田秀三さんのこと

今更ではありますが、アイヌ語地名の研究家として知られた山田秀三さんについての話題です。

山田 秀三(やまだ ひでぞう、1899年 - 1992年7月28日)はアイヌ語地名研究家である。北海道曹達株式会社の経営者でもあった。東北地方・北海道他、多数の地名を現地実証重視で研究した。
(Wikipedia 日本語版「山田秀三」より引用)

というわけでして、1992 年に 92 歳でお亡くなりになっています。山田さんの凄いところは、あれだけの「アイヌ語地名」に関する著作がありながら、「実業家」としての仕事も全うされていた、ということに尽きるかと思います。さて、その人物像ですが、

人物
戦前はエリート官僚として東條英機首相とも交友し、戦後はアイヌ語地名研究家として金田一京助、知里真志保、久保寺逸彦と交友関係を持ち、知里真志保に「私の(アイヌ語研究の)弟子であり(現地調査の)師匠である」と言わしめた。
(Wikipedia 日本語版「山田秀三」より引用)

という、これまたいろんな意味で華麗な人脈をお持ちだったようです。ついでに略歴まで引用してしまいますと、

略歴
  •  1899年 東京に生まれる。
    • 以降 一中、一高、東京帝国大学法学部を経て農商務省、商工省、軍需省化学局長等に勤務。
  • 1941年 仙台鉱山監督局長。在任中に東北各地の地名に興味を持つ。
  • 1945年 退官
  • 1949年 北海道曹達株式会社 社長就任
    • 以後 会長、相談役を歴任
(Wikipedia 日本語版「山田秀三」より引用)

ということで、戦前・戦中を「それなりのエリート」として過ごしながら、公職追放などを食らうこともなく、戦後は準・国策会社のトップとして経営に尽力した、となります。

豪華極まりない華麗なる人脈

山田さんは、東京生まれながら、東北(仙台)・北海道(札幌・登別)に赴任したことでアイヌ語の地名にどっぷりと浸かったようです。ひょんなことから金田一京助博士の知己を得て、「北海道に行かれるのならいい人間を紹介しましょう」と言われて紹介されたのが知里真志保博士だったとされます。いやー、豪華極まりない人脈ですね……。

山田秀三文庫

山田秀三さんは、地名の由来を地図だけで判断することはせず、可能な限り現地調査を行うスタイルで有名でした。もっとも、現地調査を行う前の下調べも念の入ったもので、実際に多くの資料を所蔵されていました(これらの資料は「山田秀三文庫」として、「北海道立アイヌ民族文化研究センター」に寄贈されたそうです)。

これぞ本当の「遺稿集」

山田秀三さんの凄いところは、米寿(88歳)を迎えても執筆活動のみならず現地調査も続けられたことで、その成果は「東北・アイヌ語地名の研究」(ISBN978-4-88323-063-1)として刊行されています。帯には「山田秀三遺稿集」と銘打たれているのですが、この本の凄いところは、本当に「遺稿集」であるというところに尽きます。凡例にも

   凡  例
一、本書は、著者が生前(平成四年七月二七日死去)、刊行を意図して準備したものだが、未完成原稿である。

と記されています。更には

一、著者の意向を尊重して、明らかな誤り以外は、原稿のままである。とくに地図は、高齢のため覚束ない手先で描かれており、読み難い箇処もあるが、そのまま掲載した。

とまで書いてあります。「高齢のため覚束ない手先で描かれており」は非道いんじゃないの、と思ったりもするのですが……(実物をご覧頂ければ一目瞭然ですが、「覚束ない」なんてことは更々ない、味わい深い筆致です)。

圧巻なのが p.202 で、まるまる引用してしまいますと、

(2) 出雲崎(新潟県)
 もう少し暖めて適否を考えたいのであるが参考までに。

 (参考)遠くて判断がしようがないが、出雲の大社の北の□□(ママ)は似た形。私は行っていないが、以前家内が撮ってきた写真を見ると、部落の北に小岬あり。或はと眺めた。飛びすぎるが出雲も似た形。それから拡がった地名かななどとお伽話じみたことも考えた。
(未完)

とあります。そう、まさしく「遺稿集」と呼ぶに相応しいものなのでした。


「アイヌ語地名の探求」をまさしく「一生の仕事」としてやり遂げられたことと、探求に対する学問的に誠実な姿勢は、今でも変わらぬ輝きを放っているように見えます。私が敬愛してやまない所以です。

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