2011年1月28日金曜日

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北海道・東北の旅 2010/夏 (42) 「義経伝説と『めざせモスクワ』」

 

「三航北国日誌」第 42 回です。あっちが船橋であっちが浦賀さ♪(←

民宿にて

その日の朝食を頂いていた時のこと。「義経神社に行こうと思っているんです」と口にしたところ、「じゃあ、麓に車を停めて、石段を登っていくのがいいわよ。途中まで車で行くこともできるけど」と教えていただきました。そういえば「いい運動になるから」という話もあったような……、はて。

サイレンススズカ

というわけで、二風谷ダムから踵を返して、義経神社に向かっていたところ……
お馬さんの姿が。なにやら石碑もあります。
サイレンススズカ号墓碑」への案内のようです。競馬と言えば「タマモクロス」「ミスターシービー」くらいしか判らないのですが(いつの時代だ)、ふむふむ……華々しい活躍と早すぎる不慮の死ですか。まるで源義経のようですね。

ここは植木等さんの出番かと

なにやら別の看板もあります。
寄ってみましょう……、なになに?
山菜採り等で馬が驚ろき事故となった場合は責任をとっていただきます」(ママ)とありますね……! わたくし、とても責任は取れませんので、ここはすごすごと退去しましたです、ハイ。

義経神社

というわけで(どんなわけだ)、「義經神社」にやってきました。
参道の鳥居を正面から見てみます。
この鳥居は鋳鉄製のものでしょうか。着雪の影響を最小限にしようとする狙いがあったりするのでしょうか。比較的温暖に見える平取も、それなりに雪は降るでしょうし……。

めざせモスクワ

「義経神社」の祭神は、そのまんま「源義経」ですが、岩手の「衣川」で自害した筈の義経が、なぜ平取の地で祀られているのか……といったことが気になります。
鳥居の隣に「由 緒」として、なにやら説明があるようです。拡大してみましょうか。
「創祀年不詳なるも寛政十年近藤重蔵等により此の地の伝説を辿り北辺の鎮護として勧請さる。」……で合ってますか?(誰に聞いている

衣川で自害した筈の義経が蝦夷地に逃れ、やがて大陸に渡ってチンギス・ハーンとなり、その後「めざせモスクワ」などのヒット曲を連発した……という伝説は有名ですが(なんか違う)、この「義経神社」も「義経伝説」に触発されて建造されたものであり、その中でも最たるもの……かも知れません。

道内における「弁慶」優越の理由

「義経」と言えば「弁慶」ですが、道内にはむしろ「弁慶」という地名の方が多いようです。これは武蔵坊弁慶の人気が高いわけでは無くて、単にアイヌ語の pen-ke に「弁慶」という字を当てただけ……ではないかと。他にも「辺渓」という字を当てたケースもありますね。あ、意味は「川上の・所」です(対義語は pan-ke で「川下の・所」)。

では、「義経伝説」について考えながら、石段を登って行きましょう!

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