2011年3月1日火曜日

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第67回「『女坂』と『神居古潭』の意外な関係」

 


「三航北国日誌」第 67 回です。本日は、「女坂」と「神居古潭」の関係について……は特に触れません(←

なにやら家のようなものが

さてさて。こちらは神居古潭の奔流を撮影したものですが、


よーく見ると、なにやら家のような建物が見えます。


というわけで、行ってみましょう!



五摂家のひとつです

橋を渡りきったところに、石碑がありました。


歌碑のようです。説明文はこちら。


九条武子」という方の歌碑みたいですが……。ふむふむ、大正から昭和初期にかけて活躍?された方のようですね。浅学なものでお名前を全く存じ上げませんでした。ちなみに「武子」はそのまま「たけこ」で良いとのこと。下手に有職読みはしないほうが良さそうです。

仏教主義に基づく京都女子専門学校(現・京都女子学園、京都女子大学)を設立、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で自身も被災するが一命を取りとめ、全壊した築地本願寺の再建、震災による負傷者・孤児の救援活動(「あそか病院」などの設立)などさまざまな事業を推進した。
(Wikipedia 日本語版「九条武子」より引用)

なんと! 他ならぬ「京女」(きょうじょ)の生みの親であらせられたとは! これは大変失礼しました。

これは駅の跡だったりします

さてさて。雨も降っていますので、先を急ぎましょう。


ようやく、目的地?が見えてきました。


またしても自画自賛ですが、この写真の構図は悪くないんじゃないかと……(テクニックとかその辺は聞かないでくださいね。所詮コンデジですし)。参考までにトリミングしたものをお見せしますと、


こんなにつまらない?写真になってしまいます(笑)。

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