2011年7月17日日曜日

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イザベラ・バード「日本奥地紀行」を読む(第2回)

 


イザベラ・バード「日本奥地紀行」を読む(第2回)

さて、本題に入る前に、もう少し著者であるイザベラ・バード女史について……。日本では「日本奥地紀行」の著者として有名ですが、果たして世界的に見た場合はどうなのか、と。

略歴
1831 年イギリス・ヨークシャーの牧師の長女として生まれる。妹の名はヘニー。幼少時に病弱で、時には北米まで転地療養したことがきっかけとなり、長じて旅に憧れるようになる。アメリカやカナダを旅し、1856 年 "The Englishwoman in America" を書いた。その後、ヴィクトリアン・レディ・トラヴェラー(当時としては珍しい女性旅行家)として、世界中を旅した。
(Wikipedia 日本語版「イザベラ・バード」より引用)

はい、というわけで、1878 年に北日本を旅するよりも随分と前から、世界のあちこちを旅して回っていた、ということになります。例えば、著作リストを見ても、

Works
  • The Englishwoman in America (1856)
  • Pen and Pencil Sketches Among The Outer Hebrides (published in The Leisure Hour) (1866)
  • The Hawaiian Archipelago (1875)
  • The Two Atlantics (published in The Leisure Hour) (1876)
  • Australia Felix: Impressions of Victoria and Melbourne (published in The Leisure Hour) (1877)
  • A Lady’s Life in the Rocky Mountains (1879)
  • Unbeaten Tracks in Japan (1880)
  • Sketches In The Malay Peninsula (published in The Leisure Hour) (1883)
  • The Golden Chersonese and the way Thither (1883)
  • A Pilgrimage To Sinai (published in The Leisure Hour) (1886)
  • Journeys in Persia and Kurdistan (1891)
  • Among the Tibetans (1894) Available online from the University of Adelaide, Australia.
  • Korea and her Neighbours (1898)
  • The Yangtze Valley and Beyond (1899)
  • Chinese Pictures (1900)
  • Notes on Morocco (published in the Monthly Review) (1901)
(Quoted from Wikipedia "Isabella Bird" )

このように、膨大なものです。例えば、1879 年に出版された "A Lady’s Life in the Rocky Mountains" は、ロッキー山脈を横断?したときの旅行記ですが、この時の苦難行はしばしば「日本奥地紀行」においても回顧されています。それはとりもなおさず、「日本奥地紀行」も「ロッキー山脈横断行」に比肩するだけの厳しいものだったということを示唆しているわけですが。

旅へと駆り立てる信念の出どころ

イザベラ・バード女史は、旅好きが嵩じて世界中を旅して回った……という印象があり、またそれは事実でもあると思うのですが、一方で自身が「牧師の娘」であったことも思想や行動に少なからず影響を及ぼしていたようで、未開の地の民を「教化すべき民」と捉えていたケースもあったようです。

これは、いかにもクリスチャンらしい考え方で少々興ざめしてしまったのも事実なのですが、高梨謙吉氏の訳による「日本奥地紀行」や、その補遺である「イザベラ・バード 日本の未踏路 完全補遺」に目を通した限りでは、そこまで目くじらを立てるほどのものでも無かったように感じます。ただ、これが「未踏の地」に足を踏み入れるための一種のインセンティブになっていた……と考えて良さそうではあります。

「はしがき」を読む

……前段ばかりが続いても面白くないでしょうから、とりあえず始めてみましょう。文中に特に言及のない限りは、底本は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」です。まずは「はしがき」から。

はしがき
一八七八年(明治十一年)四月に、以前にも健康回復の手段として効き目のあった外国旅行をすることを勧められたので、私は日本を訪れてみようと思った。それは、日本の気候がすばらしく良いという評判に魅かれたからではなく、日本には新奇な興味をいつまでも感じさせるものが特に多くて、健康になりたいと願う孤独な旅人の心を慰め、身体をいやすのに役立つものがきっとあるだろうと考えたからである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.17 より引用)

……のっけから疑問符が頭の中に飛び回るような記述ですね。主従二人で東北を旅したと言えば、ご存じギャグ日……じゃなくて「おくのほそ道」の松尾芭蕉ですが、芭蕉の東北行は「隠密活動」だったのではないか、との疑いの目が向けられることがあります。

イザベラ・バードも、イギリス政府筋からの支援を最大限に得ていたようなので、意図的な「スパイ活動」では無かったとは思いますが、イザベラの「北日本単独行」をこれ幸い……と見る向きもあったのではないか、などと想像してしまいます。

真夏の日本の暑さに失望?

イザベラの良いところは、飾り気のないその筆致で、例えばこの直後にはこんな文章を綴っています。

日本に行って、その気候には失望したが、しかし私は、日本の国土が、夢のように美しいものではなく、ただ研究調査に値するものであることを悟ったものの、日本に対する興味は私の期待を大きく上回るものであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.17 より引用)

んー、ちょっと和訳の質がイマイチですね(笑)。「しかし」はおそらく but だったんだと思いますが、この場合は「さらに」とでも訳さないと日本語として破綻してしまいますね。……おっと話が逸れました。まぁ、このように、率直な見解が記されているのは、後世の我々にとってはなかなか楽しませてくれるものです。


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