2011年7月23日土曜日

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イザベラ・バード「日本奥地紀行」を読む(第3回)

 


引き続き、イザベラ・バード著/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」の「はしがき」を読みます。いや、ペースアップしないと十年掛けても終わらないというのは理解しているんですが……(←

私の旅行コースで、日光から北の方は、全くのいなかで、その全行程を踏破したヨーロッパ人は、これまでに一人もいなかった。西欧の影響を少しも受けていない地方で、私は、日本人とともに暮らし、日本人の生活様式を見てきた。女性の一人旅であり、私の旅行した地方には、初めて西欧の婦人が訪れたというところもあり、私の得た経験は、今までの旅行者のものとはかなり大きく異なるものがあった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.17-18 より引用)

この句点「。」の数が少ない文章は、まるで私が書いた文章のようで親しみが湧いてきます(笑)。そして、この長~いセンテンスには、まだ続きがあって、

私はまた、エゾの原住民を親しく知る機会をもったから、今まで以上に詳細に彼らの事情を説明できると思う。主として以上のような理由から、本書を公刊するに至ったのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.18 より引用)

そして、この書の体裁について自ら言及している箇所が続きますので、なんかずーっと引用ばかりで心苦しいのですが、続けてみます。

 本書は、私が旅先から、私の妹や、私の親しい友人たちに宛てた手紙が主体となっているが、このような体裁をとるようにしたのは、いささか気の進まぬことであった。というのは、この形式で本を書くと、芸術的に体裁を整えたり、文学的に材料を取り扱うことが不可能となり、ある程度まで自己中心的な書きぶりとならざるをえないからである。しかし一方では、読者も旅行者の立場に立つことができるし、旅の楽しさや楽しみはもちろんのこと、旅行中のいろいろの苦難や退屈まで、筆者とともに味わうことができるというものである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.18 より引用)

先日も言及したと思いますが、この書き方は本書の特色のひとつと言えるかと思います。好き嫌いは分かれるかも知れませんが、実際に読み進めてみると、さほど違和感を抱くことは無いように思います。「日本奥地紀行」が公刊された頃に、読者にどう受け止められたかは流石にわかりませんが、現代ではそれほど突飛な手法では無いと思いますので。

小シーボルト

続けましょう。

 北部日本では、他に情報を得る資料がないために、通訳を通じて、地方の住民から直接に、なんでも聞かなければならなかった。雑多な情報から、一つずつ事実を探り出すことは、骨の折れる仕事であった。アイヌ人からは、その風俗習慣、宗教について知識を得ることができた。しかし私は、オーストリア公使館のハインリッヒ・フォン・シーボルト氏が同時期に得た情報と比較検討する機会に恵まれた。その結果は、あらゆる点で満足すべき意見の一致を見た。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.18-19 より引用)

ハインリッヒ・フォン・シーボルトは、1829 年に「シーボルト事件」で国外追放処分となったフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの息子にあたる人物です。そのため日本ではハインリッヒのことを「小シーボルト」と呼ぶケースもあるようですね。

「小シーボルト」の父親であるフィリップは 1796 年生まれで、「小シーボルト」が日本において様々な研究活動を行ったのは幕末から明治初期にかけてなので、少々年代が合わないような気がしますが、小シーボルトは 1852 年生まれとのことで、フィリップが 57 歳の時に授かった子供ということになります。しまった、一文が長すぎる!(←

農村こそは新文明の主要な材料

さて、もう少し重要な記述がありますので、続けてみましょう。

 本書の中には、農民の生活状態を一般に考えられているよりも悲惨に描いているところがあって、読者の中には、そんなに生なましく描かない方がよかったのではとないかと思う人がいるかもしれない。しかし私は、見たことをありのままに書いたのであり、そういうことは、私が作り出したものでもなく、わざわざ探しに出かけたものでもない。私は、真相を伝えんがために述べただけである。農村こそは、日本政府が建設しようとしている新文明の主要な材料とせねばならぬものであり、本書は、その農村の真の姿を描くことになると思うからである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.18-19 より引用)

これは全く以て重要なセンテンスであるように感じます。現在においても農業は国家の礎石となる最重要産業の一つですが、幕末から明治初期にかけての日本においては、「農業は一つしかない最重要産業」であり、「日本は農村でできている」と言ってしまっても過言ではない状態だったと言えるかと思います。

明治憲法下の日本は、やがて「富国強兵」の名の下に軍拡を推し進めていくことになりますが、その原動力となったのは多くが農家出身の若者だったと思います。極言すれば「彼らを喰わせるための軍国化だった」とも言えるかも知れません。加熱しながら崩壊していった「軍国ニッポン」の原風景をイザベラの筆致に読み取ることができる……というのは、ちょっと持ち上げすぎかも知れませんけど、ね。


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