2011年7月24日日曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

イザベラ・バード「日本奥地紀行」を読む(第4回)

 


では、「はしがき」を読むのもほどほどに、「日本奥地紀行」の本文を読み進めていきましょう。まずは 1878/5/21 の「第一信」から。

 荒涼たる海原を航海し続けること十八日間で、シティ・オブ・トーキョー号は、昨日の朝早くキング岬(野島崎)に到着し、正午には海岸の間近に沿って江戸湾(東京湾)を北進していた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.22 より引用)

イザベラは、1878 年の時点で、世界中を旅する Victorian Lady Traveller として著名だったと想像されるのですが、この記述を見る限り、日本旅行は諸国遍歴の途中に立ち寄ったのではなく、わざわざイギリスからやってきた、ということのようですね。

 甲板では、しきりに富士山を賛美する声がするので、富士山はどこかと長い間さがしてみたが、どこにも見えなかった。地上ではなく、ふと天上を見上げると、思いもかけぬ遠くの空高く、巨大な円錐形の山を見た。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.23 より引用)

この本の挿絵の多くは、イザベラ自身のスケッチから起こしたものなのだそうですが、この時の富士山のイメージはこのようなものだったのだとか。


うーん(笑)。これだと、米国ワイオミング州のデビルスタワーのような……。

荘厳で孤高の山

とりあえず、イザベラのファースト・インプレッションを見て行きましょう。

海抜一三、〇八〇フィート、白雪をいただき、すばらしい曲線を描いて聳えていた。その青白い姿は、うっすらと青い空の中に浮かび、その麓や周囲の丘は、薄ねずみ色の霞につつまれていた(*)。それはすばらしい眺めであったが、まもなく幻のように消えた。トリスタン・ダグーナ山(南米最南端の火山)──これも円錐形の雪山だが──を除いては、これほど荘厳で孤高の山を見たことがない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.23 より引用)

「トリスタン・ダグーナ山」なんて山があったかな? と思ったのですが、これはどうやら、南大西洋のど真ん中にある「トリスタン・ダ・クーニャ島」のことではないか、とされているようですね。ちなみにトリスタン・ダ・クーニャ島は、ギネスブックに「世界一孤立した有人島」として掲載されているのだそうです(Wikipedia による)。

富士山の優美な姿は、我々誰もが知るところですが、3000 m 級の山が山脈を構成せずに存在する(イザベラの言葉を借りれば「孤高の山」)というのは、少なくとも日本国内では他に例を見ないわけで、イザベラの筆致がいささか興奮気味に見えるのもさもありなん、と思わせます。ただ、上記引用文中にはさりげなく注釈が入っていて、

 * 原注──これは全く例外的な富士山の姿で、例外的な天候状態によるものである。ふだんの富士は、もっとがっしりと低く見えて、扇をさかさまにした形によく譬えられる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.24 より引用)

と、いささか自分の筆が走りすぎたことを軌道修正しようとする努力も見られます(笑)。

太平の眠りを覚ます上喜撰……

北斎ばりの富士山見物を愉しんだ後、船は横浜に向かうのですが……

私たちの船は、リセプション湾、ペリー島、ウェブスター島、サラトガ岬(富津崎)、ミシシッピー湾(根岸湾)──いずれもアメリカ外交の成功を永く記憶するアメリカ人の命名である──を通過した。トリーティ・ポイント(本牧岬)からも遠くないところで、赤い灯台船に出会った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.24-25 より引用)

とても日本国内のことを記したとは思えない記述が続きます。被征服者の悲哀が見え隠れしますね。

イザベラの瞳に映る日本人

さて、シティ・オブ・トーキョー号はその名に反して横浜に到着します。とはいえ、大型船(だと思う)が停泊できるような近代的な桟橋は無かったでしょうから、イザベラが「サンパン」と記した小型船に乗り換えてから上陸することとなります。

船が停泊すると、外国人からサンパンと呼ばれる日本船がどっと群がるようにやってきて、船をとり巻いた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.25 より引用)

これ、一応原文のママなんですが、「外国人から」という部分が意味不明なので、何かの間違いかも知れません。さて、その「サンパン」についての記述です。

船は櫓で漕ぐというものではなく、櫂で水をかく。舷側に取りつけた鉄棒にクラッチをさしこみ、それを軸として、二本の重い木製のオールを、二人か四人の男が動かすのである。男たちは、立ったまま水をかき、腿を櫂の支えとしている。彼らはみな単衣(ひとえ)の袖のゆったりした紺の短い木綿着をまとい、腰のところは帯で締めていない。草履を履いているが、親指と他の指との間に紐を通してある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.25-26 より引用)

「親指と他の指との間に紐を……」というのは、きっと「鼻緒」のことですよね。

頭のかぶりものといえば、青い木綿の束(手拭い)を額のまわりに結んでいるだけである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.25-26 より引用)

こちらは「はちまき」のことかと(笑)。ただ、どちらも正確な記述であることは間違いないですね。

その一枚の着物も、ほんの申しわけにすぎない着物で、やせ凹んだ胸と、やせた手足の筋肉をあらわに見せている。皮膚はとても黄色で、べったりと怪獣の入れ墨をしている者が多い。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.26 より引用)

これは……(笑)。「龍」の彫り物とか、そういったものなのでしょうね。確かに「怪獣」には違いないですが……。

サンパン船の料金は運賃表で定まっているから、旅行者が上陸する際に法外な賃銀を請求されて気持ちをいら立たされるということはない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.26 より引用)

このあたりは、旅行者ガイドとしては重要な情報ですよね。おそらくは公的なものではなく私的なものだと思うのですが、一定の秩序の元に荷役あるいは輸送のサービスが行われていたことを示唆します。その国の経済や文明の成熟度合いを知るのに重要な指標かと思います。

前の記事次の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

最近の記事

    スポンサーリンク