2011年8月8日月曜日

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北海道・東北の旅 2010/夏 (164) 「アルペンスキー世界選手権@雫石の思い出」

 


「三航北国日誌」第 164 回です。第 164 回にしてようやく Day 7 の話題です!(←

Day 7 は雫石から新潟へ

てなわけで、半ば地図の作り方も忘れつつあったりする今日この頃ですが、Day 7 のルートをご覧に入れましょう……。


雫石から、まずは秋田を目指します。時間があれば男鹿半島の入道崎まで足を伸ばすというオプション付きです。秋田からはひたすら日本海沿いを新潟に向かうこととなります。想定される走行距離は約 406 km です。お、406 とは語呂がいい(←

濡れてまいろう

Day 7 は生憎の雨模様でした。ホテルの玄関から車を停めてある場所までは結構な距離があったので、いったん荷物を係の人に預かって貰って、車まで雨の中小走りに駆けていきました。玄関のほど近くまで車を回送してから、改めて荷物を積み込んで、さぁ出発です!(9:10 ホテル出発)

これは……!

雫石スキー場から国道 46 号に下る道を走り始めたところ……、おっと!


これは……! まさか、こんなものがまだしっかりと残っていようとは……!! あわてて車を停めて、逆アングルからもしっかりとカメラに収めます。


そう。雫石スキー場と言えば、1993 年にアルペンスキーの世界選手権を開催した場所だったのでした。私の記憶する限りでは、アルペンの世界選手権(2 年に 1 回開催される、オリンピックに次ぐビッグイベント)を日本で開催したのは、雫石が唯一だったような……。当時は NHK BS で男女の全種目(だと思う)が中継されたのですが、それをビデオに録画して何度も見たものでした。

トンバとかジラルデリとかオルトリープとか

当時は回転だとアルベルト・トンバがバリバリの現役で、伝説のオールラウンダー:マーク・ジラルデリもまだ現役でした。ノルウェーだとアトレ・スカーダルがまだまだ現役でしたが、同時にラッセ・チュースやチェティル・アンドレ・オーモットら「リレハンメル世代」の若手(!)が急激に成長していた頃でしたね。

日本人では、岡部哲也さんにとっては最晩年にあたる時期で、代わって木村公宣さんが伸び盛りの時期でした。女子では川端絵美さんが全種目に出場していました。もともとは高速系の人なので、回転なんかでは相当なタイム差がついてしまっていましたが……。

東アジアで初めてのアルペン世界選手権

……コホン。すいません。一人で盛り上がっちゃいました(←)。実は、このウェルカムアーチ、当時のデザインのまましっかりと残されているのですね。そしてこの赤色がこれだけ鮮やかだということは、きちんと手入れがなされていることを証明しています。おそらくは何度か塗り直しも行っているのでしょう。アルペンの世界選手権を開催するというのは、オリンピックをホストするのに次いで名誉なことなのですが、雫石の皆さんがその「名誉」をしっかりと語り継がんとされていることを知って、とても感激したものです。

Yookoso! and Thank you!

来場するお客様向けのアーチには「Yookoso!」と書かれています。


そして、反対側には「Thank you! 」の文字が。


いやぁ、このアーチを見ることができただけで、雫石に来た甲斐があったような気がします……。

まだまだ、濡れてまいろう

さて、鼻をすすりながら、国道 46 号を秋田に向かいます。


この日はずーっとこんな天気でしたねぇ。危険を感じるほどの雨では無かったのですが、やはりちょっとげんなりしますね。暑くないのは良かったのですが……。

秋田は寒かった

ほどなく秋田県に入ります。


「仙北市」という地名を見ると、つい「宮城県かな?」と思ってしまうのですが、ご覧の通り、秋田県の地名です。近年の大合併でできた地名ですね。

右折すると玉川ダムや田沢湖……ですが、この日は一般道ベースで 400 km ほど走らないと行けない上に、新潟に 18 時ごろには到着したい事情もあったので、寄り道はせずにまっすぐ秋田に向かいます。


気温は……なんと 22 ℃。北海道でも 30 ℃を超えていただけに、ちょっと下がりすぎのようにも思えます。そういえばさっきからやたらと鼻水が……(←


11 時過ぎに、秋田に到着です。


秋田米の CM でおなじみのキャラなんですが、……何て名前でしたっけ?

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