2011年12月26日月曜日

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第96回「焼火神社に @takuhister さんを訪ねて」

 


焼火の歩き方

というわけで、駐車場から約 20 分の道のりを経て、焼火(たくひ)神社にやってきました。軽く社務所の中を窺ってから、まずは拝殿を見に行くことにします。


狛犬が出迎えます。そしてその奥には


「焼火神社」の文字が。上の「県社」の文字は後付なのか、あるいは埋められたのか……?

はい。大変長らくお待たせしました。焼火神社の「拝殿」と「本殿」がこちらです!


島後の「壇鏡神社」も崖っぷちのお社でしたが、ここも負けてはいません。ここには滝こそ無いものの、凛とした雰囲気は「壇鏡神社」に負けずとも劣らないものがありますね。

今夜もまた「焼火トリビア」

さて。記念すべき?「第 100 回」の今夜も「焼火トリビア」行きましょう。

社殿は焼火山の南西側山腹、東西に長い境内地の東端に位置し、本殿は山腹の岩窟に半ば埋もれるように構えられ、本殿と拝殿が通殿を介して接続する複合社殿である。
(Wikipedia 日本語版「焼火神社」より引用)

はい。これは上の写真でご覧いただいた通りですね。

本殿は南面し、正面に軒唐破風を付した桁行1間梁間2間の一間社流造で、屋根は銅板葺。享保17年(1732年)の建立で、大坂の大工鳥居甚兵衛の最晩年の作である。大坂で木造りをし、米子の大工が現地で組み立てるという珍しい方法が採られたものであるが、
(Wikipedia 日本語版「焼火神社」より引用)

「大阪で木造りをし」「米子の大工が現地で組み立てる」とは……。なんか、どこかで聞いたことのある工法ですよね。このことは「焼火神社公式ページ」でも次のように触れられています。

当時としては画期的な建築方法で、大阪で作成され地元で組み立てられた(今でいえばプレハブ建築のはしりとでもいおうか)。
http://www.lares.dti.ne.jp/~takuhi/ より引用)

ああ、わかった! 積水ハウスと同じだったんだ!

焼火神社の宮司さん

そして、この「焼火神社公式ページ」(http://www.lares.dti.ne.jp/~takuhi/ )、「Netscape NOW!」のバナーも、そしてドメインが DTI というのもとても渋いと思うのですが、ページの下の方を見てみると……

Twitter ID takuhister
http://www.lares.dti.ne.jp/~takuhi/ より引用)

はい。今回の旅では twitter で仲良くしていただいている「隠岐クラスタ」の皆さんにいろいろと知恵を授けていただいたのですが、その流れで P さんに「島前のことは @takuhister さんに聞くといいですよ」とご紹介いただいたのでした。この takuhister さん、実は焼火神社の宮司さんでいらっしゃるのです(!)。

祀職
創祀以来雲上寺が祭祀を勤め、宝暦7年(1757年)の『両島神社書上帳』に「焼火大権現、別当雲上寺」とあるように、近世には別当として管掌したが、明治の初めに時の別当職が還俗して神主(現在の宮司に相当)松浦氏となって以後、同氏が宮司職を襲っている。
(Wikipedia 日本語版「焼火神社」より引用)

ということで、代々続く宮司の家系でいらっしゃるのですが、しかもですね、隠岐汽船のホームページには……

1885年(明治18年) 大阪商船会社(現、大阪商船三井船舶)より「速凌丸」を「隠岐島四郡連合会」で共同購入する資金の半額を松浦斌氏が自己負担し同船を「隠岐丸」と改名し松浦氏による委託運航が開始された。
http://www.oki-kisen.co.jp/mkpage/hyouzi_editor.php?sid=2 より引用)

とありましてですね……。ご先祖は隠岐と本州の間の旅客航路を一手に引き受けている「隠岐汽船」の生みの親でもいらっしゃるのだとか!

といったわけで、takuhister さんは大変な名士でいらっしゃるのですが、twitter で「焼火神社はホントにマムシが出るらしいよ」という話で盛り上がっていたところに「うちはマムシ屋敷か ^^;」と絶妙な突っ込みを入れてくださったりもします。

Bojan の社務所探訪

「15 時頃はどちらにいらっしゃいますか?」と聞いてみたところ、「その時間ならだいたい社務所にいますよ」とのことでしたので、いざ、これから「Bojan の社務所探訪」です!


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