2011年12月29日木曜日

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第99回「千人待っても大丈夫っ!」

 


崖の下の……

昨日は「焼火神社」のあっぱれな神仏習合ぶりに一本取られてしまいましたが……。拝殿を見たからには本殿も見ておかないと、ということで。


岡山県だったか、あるいは鳥取県か、同じように絶地にあるお社(お寺かな?)があったと記憶しているのですが、この手の立地は中国地方に顕著なんでしょうか?

「焼火山」は「休火山」か「死火山」か

本殿の上はどうなっているか、と言えば……


これは……。千年以上の歴史の中では「落石事故」もあったと思うのですが、都度修復されてきたということなのでしょうか。寒帯気候だと、岩盤の水分が凍結と融解を年スパンで繰り返すことで、岩盤にクラックが入ってやがて崩落する……というケースもあるのですが、ここの岩は火山由来の多孔性のものだと思うので、意外と岩盤は安定しているのかも……などと思ったりもします。

あ、少し前にちらっと言及しましたが、隠岐の「島前」は「焼火山とその外輪山でできています。「焼火山」は「死火山」だったと記憶していますが(あるいは「休火山」か)、島前の各島を生み出した火山の名前が「焼火山」というのも面白いですね。偶然の一致なんでしょうけど。

千人待っても大丈夫?

では、これから宮司さんと一緒に山を下ります。まずは社務所に戻って……


浄化槽の横でこんなものを見つけたのですが、これは何でしょう?


さて、現在、石垣の上には社務所が建っていて、あとは空き地になっているのですが、


「この石垣の上には(かつては)何があったんですか?」と伺ってみたところ、かつては社務所がもっと大きくて、ある種の宿泊施設のようになっていたとの由。

城を偲ばせるほど広大な石垣の上に建設された社務所では、旧正月の年篭りの時に千人ほどの参詣人が火を待ちながらたむろしたり、また、江戸時代には巡見使が400人以上の家来を率いて参拝した折りの記録も残っているが、現在は客殿(きゃくでん)という場所にその名残をとどめている。
(「焼火神社公式ページ」より引用)

いやー、確かに石垣は結構大きいですが、ここに「千人」というのはちと無理があるような気も……。

ちなみに、「どうして取り壊してしまったんですか?」と伺ったところ、維持費が云々とのことでした。まぁ、やむを得ないでしょうね。

徒歩 15 分

登りは 20 分ほどかかりましたが、降りるのは 15 分程度で済みました。

山頂付近は焼火山神域植物群として保存され平成五年には神社から頂上まで遊歩道も整備された。10年以上かけて開通した焼火林道は市部(いちぶ)から始まって大山(おおやま)へ至り、平成5年には波止(はし)から焼火参道までは舗装整備されるまでになり波止からは車で5分、そこから徒歩で15分で神社まで到着可能となった。
(「焼火神社公式ページ」より引用)

確かに「徒歩で15分」というのは妥当な線かも知れません。

宿に急げ!

駐車場で宮司さんとはお別れして、それぞれマイカーで出発です。


この日は夕食込みのプランで宿を取っていたので、あまり遅れてしまっては宿の人に迷惑をかけてしまいます。急ぎましょう!


少々迷いつつも、宿に無事到着。この日の走行距離は僅か 71.4 km でした。3 回もフェリーに乗りましたから、妥当な線でしょうか。


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