2012年2月11日土曜日

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「日本奥地紀行」を読む (8) 横浜 (1878/5/22)

 

イザベラ・バード女史の「日本奥地紀行(普及版)」は「完全版」と比べてカットされた内容が少なからずあるのですが、1878/5/22 の「第二信」でも、かなりの部分がカットされています。実際に平凡社版の「普及版」を見てみると、「第二信」はわずか 2 ページ半しか無いので、違和感をおぼえるかも知れません。

英国を代表する人物が、車夫を二人縦に並ばせ、乳母車のようなものに乗って街路を急いで去って行く姿は、とても面白いものであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.33 より引用)
の次に、「にじんだ文字」と題されたセンテンスがあり、これがまるまるカットされています。

にじんだ文字

「にじんだ文字」は、ハリー・パークス公使の話から始まります。

 ハリー・パークス卿は公人ですので彼について書きますが、私はここでその他の人々が私にしてくれた親切と、数人の人々が私のために、日本見物の準備に関してわざわざ非常に骨を折ってくれたことについてはほのめかすことしかできないのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.28 より引用)
「旅行記」は「私小説」とは違うものの、構造的に似通っている部分もあることは事実で、だからという訳でも無いのでしょうが、イザベラは他者の「個人情報」を詳らかに記すことについて、かなり控えている節があります。引用部の冒頭の「──卿は公人ですので彼について書きますが」という一節からは、イザベラの考え方を窺い知ることができ、大変興味深いものです。

とても良い天気にもかかわらず、私はもうはじめのように横浜を褒める気はしません。横浜はどんよりとして、目だった場所がなくて、より忙しい日を──より良い日ではないにせよ──見てしまったようなのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.28 より引用)
ちょっと象徴的?な訳なので意味がとりづらいですね。原文を見てみたくなりますが、次のセンテンスを見てみると、なんとなく含意が見えてくるような気がします。

もはやたった一人で到着した寂しさと完全な異邦人である感覚は消えうせてしまい、目新しい光景と考えが私にすごい勢いで押し寄せてくることからくる主に精神的混乱に悩まされているのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.28 より引用)
この一文からは、早くも「物見遊山モード」から脱却しつつあることが見受けられます。当たり前の話ですが、当時は旅客機のような便利なものは存在しないわけで、それどころかシベリア鉄道なんかも無かったわけですから、イギリスから日本まで来ようと思ったら船便しか無かったわけですよね。仮にスエズ運河を経由したとしても、それなりの日数を要したことが想像できます。

「旅行」とはいえ、「出張」ではなく「単身赴任」なみの意気込みが必要だった……と言えるのでしょうね。これからしばらくの間を過ごすことになる、知られざる「異邦」の実際を目の当たりにすれば、誰もが似たようなストレスを感じたことでしょう。

私の日本についての読書とこの3週間の日本人の相旅仲間から根気強く汲みあげたところのものは、ほとんど破棄しなければならないでしょう。というのも、この国の現在について、私には完全にただ茫漠と霞んで見えるだけで、それを開く鍵のない象形文字でその頁は覆われているからです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.28 より引用)
このあたりは、実に率直な筆致で好感が持てますね。イザベラは日本のほかにもマレー半島やチベット、ペルシャ、朝鮮、中国、モロッコなどを旅していますが、これらの国々のなかでは日本へ来たのが最も早く、それまではアメリカ合衆国やカナダ、オーストラリアやニュージーランド、ハワイ諸島など、アングロサクソンの影響が色濃い国や地域(ハワイ諸島はびみょうですが)への旅が主だったようですから、極東の島国で触れた「異文化」が与えた驚異は凄まじいものだったことでしょう。

興味深いのは、何故このくだりが「普及版」ではばっさりと削除されているかなのですが、……何故なんでしょうね。抽象的な文章ではありますが、読むものの興味を惹く文章でもあると思うのですが。

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