2012年4月7日土曜日

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「日本奥地紀行」を読む (23) 東京 (1878/6/7)

 

引き続き、1878/6/7 の「第四信」を見ていきます。ずーっとこの章の話題ばかりですいません。でも、あまりに興味深い内容が続くもので……。

厳粛な契約

「通訳 兼 召使い」の求人を絶賛実施中だったイザベラさんのもとに、推薦状も持たずに飛び込みでやってきたイトー少年。ハイレベルな英語能力と実務能力を兼ね備えながらも、その余りにも胡散臭い挙動に、ヘボン氏をして「二度と戻ってこないかもしれないね」と言わしめた逸材(どんなだ)だったのですが……。

 契約書に厳粛に署名をした夜から、ずうっと心配でたまらなかったが、昨日彼が約束の時間かっきりに姿を見せたので、シンドバッドの背中にとりついて幾日も離れなかったというあの「海の老人」が私の背中にほんとにとりついたのではないかと感ずるようになった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.48 より引用)
イザベラにとってはとても幸いなことに、少年イトーは持ち逃げなどはせず、ちゃんと予定の期日に戻ってきたのでした。この後で段々とわかってきますが、このイトー少年はとてもしっかりと「損得勘定」ができたようで、三カ月間イザベラのお伴をした方が最終的に得るものが大きい、と判断したのかもしれません(いや、単にきちんと約束を守る性格だったのかもしれませんが)。

彼は猫のように音もなく階段を上ったり廊下を走ったりする。私の身のまわりの品物がどこに置いてあるか、彼はちゃんと知っている。何を見ても、驚きもしなければ当惑もしない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.48 より引用)
まるで「ニンジャ」のようですね(笑)。イザベラが滞日していた頃には、まだ「ニンジャ」の存在は国家機密だったのか(←)、イザベラはこの絶妙な(←)比喩を使うことはできなかったようです。

彼は、サー・ハリー・パークス夫妻に会うと深々と頭を下げる。明らかに彼は、公使館が我が家であるかのように慣れている。ただ私の願いをきき入れて、メキシコ式の鞍と英国式の馬勒のつけ方を護衛兵の一人に教えてもらっただけである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.48 より引用)
何故メキシコ式……という疑問もあるのですが、それはさておき。イトー少年の語ったところでは、以前は米国公使館にいたことがあったとのこと。推薦状が「火事で燃えてしまった」という話が出てきた時点でイトーのことを疑ってかかったイザベラでしたが、必ずしもすべてがウソというわけではなかったのかも知れません。

彼はなかなか抜け目がなく、すでに私の旅行の最初の三日間の準備を整えてしまった。彼の名は伊藤(イトー)という。これからは彼について書くことが多いであろう。このさき三カ月間、彼は守り神として、またあるときは悪魔として、私につきまとうであろうから。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.48 より引用)
イザベラとイトーは、最初の出会い?から愛憎半ばという、とても微妙な、ある意味ではとても面白いコンビを組んだことになります。ただ、この文からもわかるように、イトーの実務能力はとても高く、また、その英語力も(当時としては)極めて高かったようで、彼は本当に一介の外国人慣れした召使いだったのか、それとも……。果たしてイトーの正体が明かされる日は来るのでしょうか!?

つづく!

なんかいい感じに「次回予告」風になっちゃいましたので、今日はこの辺で(←)。まだまだ続きます……。

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