2012年7月27日金曜日

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道東の旅 2011/春 (96) 「四島返還運動の父」

 

ヤルタ会談

「戦前の四島の《くらし》」という展示を見ています。が……
ここからしばらくは、戦中、あるいは戦後の話がメインとなります。「1945 年 8 月 15 日を過ぎて」というパネルです。真ん中の円卓は、ご存じ「ヤルタ会談」の時の写真です。左の方に岡田眞澄さんの姿も見えます(違)。

四島返還運動の父

続いては「領土返還に向けて」というタイトルがつけられています。
左上の写真は、サンフランシスコ講和条約に署名する吉田茂ですね。その右に見慣れない顔が見えるのですが……
はい、この方ですが、昭和 20 年当時の根室町長だった「安藤石典」(あんどういしすけ)さんです。この安藤さんは、昭和 20 年 12 月 1 日、「北海道附属島嶼復帰懇請陳情書」を手に連合国軍総司令官だったダグラス・マッカーサーに直訴していて、これが北方四島返還運動の嚆矢となったと言われています。

ブルガーニンの視線の先には

右下には年譜がありますが、その一番上に来ているのが昭和 20 年 12 月 1 日です。
ちなみに、左のおじさんは日ソ共同宣言に署名するニコライ・ブルガーニンです。ブルガーニンの視線の先には、実は鳩山一郎の姿があります。

しわしわ~

そして「歯舞諸島・色丹島・国後島・択捉島全図」が展示されているのですが……
うん、アイロンとか当てた方がいいかも知れない。:)

千島歯舞返還懇請國民大會

昔の新聞の切り抜きも展示されています。
「千島返還懇請國民大會開く」とありますね。旧字体が踊りますが、文中には「一九五一年九月のサンフランシスコ平和会議」という表現もあるので、1952 年以降の話のようですね。「クリル族元酋長も参加」という文字も目を惹きますが、これはいわゆる「千島アイヌ」の人のこと……でしょうか(本文中には実名も記されているのですが、見たところ一般的な和名でした)。

左の方には「日ソ平和条約急げ」そして「領土問題はそのあとで」という記事もありますね。これはいろんな意味で興味深い記事ですね。この論調は、朝日新聞……でしょうかね。

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