2012年9月16日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (72) 「佐呂間・武士・仁頃」

 


「武士は食わねど高いびき」……違うな(←)。いつもの調子で続けます。



佐呂間(さろま)

「サロマ湖」と言えば、日本最大の汽水湖として有名ですが、佐呂間町は、その「サロマ湖」に注ぎ込む「佐呂間別川」の流域に広がる自治体の名前です。

 常呂郡佐呂間町は,サロマ湖の東南岸の地域と佐呂間別川の川筋の土地で,中心である佐呂間市街は佐呂間別川中流にある。前は地名も鉄道駅名も中佐呂間であったが,近年に佐呂間と改名された。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.191 より引用)

へぇー。でも、サロマ湖の知名度を考えると「中佐呂間」というのもなんだか理解できる命名ですね。

〔近代〕佐呂間村 大正4年~昭和28年の常呂(ところ)郡の自治体名。鐺沸(とうふつ)村が改称し,二級町村として成立。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.620 より引用)

ふむふむ。ちなみに「鐺沸」(とうふつ)というのも to-put(湖・河口)という意味ですね。

第1次大戦による欧州向け農産物の輸出により好景気となり,多数の豆成金・デンプン成金を生む。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.620 より引用)

「豆成金」「デンプン成金」というのはいいですね(笑)。

あ、肝心のアイヌ語地名の由来ですが、sar-oma-pet で「葭原・に入る・川」で合っていると思います。もともと「佐呂間別川」があって、それが注ぎ込む湖ということで「サロマ湖」となったようです。

武士(ぶし)

佐呂間町中西部の地名です。「角川──」(──)を見てみましょう。

〔近代〕昭和29年~現在の行政字名。はじめ若佐村,昭和31年からは佐呂間町の行政字。もとは若佐村の一部。地名は武士川にちなみ,アイヌ語のフプウシ(トドマツの多い所の意)に由来する(戊午日誌)。またプシュイ(潰裂の意)によるともいわれる(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1286 より引用)

ふむふむ。「フプウシ」だと hup-us-i で「トドマツ・多くある・所」となりますね。これは支笏湖の近くの「風不死岳」と同じ由来です。

ただ、山田秀三さんは次のように記しています。

永田地名解は「プㇱ・イ push-i。潰裂。此の名あれども切れたることなしと云ふ」と自信のない書き方である。プㇱ(push)は川口などが砂で塞がったりしたのを,水が貯って破れる場合をよくいうが,この奥の川ではどうだろうか。程近い常呂川筋にプウシ(pu-ush-i 倉・ある・処)の地名がある。もしかしたらそれと同名だったのかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.191-192 より引用)

山田さんは hup-us-i 説を採り上げていないのですが、これは……単なる見落としでしょうかね。

仁頃(にころ)

ニコ・ロズベルグという F1 ドライバーがいますが……関係無いですね、はい。佐呂間町から北見市端野に向かう途中にある地名です。今回は「北海道の地名」を見てみましょう。

永田地名解は「ニコロ。樹木ある沢」と記す。ニ・コロ(ni-kor 樹・を持つ)の意だったろうか。あるいはニクㇽ(nikur 林)であったかもしれない。松浦図はニヨロと書いた。誤記でなかったのならばニ・オロ(ni-or 木・の処)と解される。その称でも呼ばれたものか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.198-199 より引用)

おおー。すばらしく綺麗にまとまっていますね。疑問を差し挟む余地は無さそうに思えます(いくつか選択肢はあるけれど)。まずは ni-kor で「木・持つ」としておきましょう(多分 ni-kor-pet あたりだったのでしょうね)。

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