2012年9月22日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (73) 「端野・緋牛内・美幌」

 

今日はちょいとディープかも知れない(当社比)ネタを……。

端野(たんの)

nup-hon-kes?
野・腹・端
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
北見市北東部の地名で、もともとは「端野町」という町だったところです(今は合併して「北見市」)。見たところ tanne というアイヌ語に関係があるか……と思ったのですが、どうやらもっと複雑な歴史があるようで。山田秀三先生の「北海道の地名」を牽いてみましょう。

 端野町は常呂町と上流北見市の間の町である。常呂川の東及び南の広い土地をも含んでいるが,元来は北見平野の東北端から始まった土地であった。端野やそのもとになった野付牛の地名由緒は込み入っているので,まず旧記若干の抜粋を掲げてから書きたい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.199 より引用)
のっけから牛……じゃなくて「あれ?」と思われた方もいらっしゃるかも知れません。そう、「野付牛」は「北見市」の旧称だった筈なのですね。ここからは孫引きで恐縮ですが……

 大日本地名辞書(明治35年)。野附牛(ヌプ ケウシ)。初め,少牛の南一里,常呂川の左(西)岸開拓せられしが,耕殖の進歩に伴ひて,村の中心は南三里常呂川,ムカ川の会流点の北畔(今の北見市街)に移り,前のヌプケウシは野越と称することとなれり。即今網走,常呂に通ずる分岐点に当る。又野越の南を特に端野(はしの)といふ。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.199 より引用)
ふむふむ。ここで「端野」という地名が出てきましたが、もともとは「はしの」と読ませようとしていた……ようですね。

 永田地名解(明治24年)。北から順に,ヌㇷ゚ケウシ。野端。古へのアイヌはヌプンゲシに住居し,其後此処へ移住し,なほヌプンゲシの名を用てヌㇷ゚ケウシと称すと云ふ。野付牛村と称す。ヌㇷ゚・ウン・ゲシ。野の端。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.199 より引用)
なるほど。確かに nup-un-kes で「野・そこにある・端」となりますね。ただ、地名として何か変な感じもします。

 松浦氏登古呂日誌。北から順に,ヌツケシ。是より又野道になるが故に号るとかや。人家三軒有。行くこと凡十二、三丁、フシコヌツケシ。是より大なる原に出たり。沼有。此沼口をこへてまた原に上り,凡七、八丁過て,ヌホンケシ。此辺四方一面見はらしよし。小笹原。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.199 より引用)
んー、「ヌㇷ゚ケウシ」が「ヌツケシ」に進化したようですね。ところが、「登古呂日誌」のほうが「永田地名解」よりも成立年代が古いので、もともと「ヌツケシ」だったものが「ヌㇷ゚ケウシ」に変化?した、という可能性も出てきます。

 ヌツケシ。これから野道だという。これはヌㇷ゚・ケㇱ(nup-kesh 野の・末端)に違いない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.200 より引用)
ですね。nup-kes で「野・端」です。

 ヌホンケシ。フシコヌツケシから七,八丁(900メートル)南だという。これはヌㇷ゚・ホン・ケㇱ(nup-hon-kesh 野の・腹の末端)の意。アイヌ時代には沼の腹、野の腹のようにいった。これがヌポンケㇱ→ヌプンケシのように呼ばれて行ったのであろう。永田氏はそれを nup-un-kesh と読んだが,なんか元来の地名らしく思えない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.200 より引用)
hon で「」という単語は今まで出てきた記憶が無いのですが、確かに知里さんの「──小辞典」には記載があります。まぁ、「肋」(あばら)があるのであれば「腹」があっても不思議ではないですよね。ここは知里さん流の「地名人体説」を念頭に考えてみるべきなのかも知れません。えーと、そういうことなので、nup-hon-kes で「野・腹・端」、その意味から「端野」になった、ということのようです。「鹿越」と同じような「意訳地名」となりますね。

緋牛内(ひうしない)

susu-usi-nay
柳・多くある・川
(典拠あり、類型あり)
端野の東隣にある地名(旧・端野町内)。「端野」で思わず盛り上がってしまったので、再び山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょうか。

 端野町内,トペンピラウシナイ川沿いの土地で石北本線緋牛内駅あり。北海道駅名の起源は「シュシュ・ウㇱ・ナイ(柳・群生する・川)の転訛である」と書いた。(ただしその川を知らないので何とも判断できない)
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.200 より引用)
以上です。んー、何ともあっさりしてますね(笑)。では……ということで「角川──」(略──)を見てみたのですが、地名の由来については特に触れられていませんでした。

山田さんの「何とも判断できない」というのが正解のような気がしてきました。「ひ」という音を尊重するならば、たとえば pi-usi-nay で「小石・多くある・川」という解釈も成り立つのですが、何らかの根拠があって susu-usi-nay という伝承?があるのでしょうから、それを無下に否定するわけにもいきません。

susu というアイヌ語(「」という意味)は、その音感からは日本語の「煤」にも通じます。ただ、「煤」という地名は良い印象を持ちにくいので、「煤色」を「緋色」と言い換えた……としたらどうでしょう。ちょっと想像を膨らませすぎでしょうかねー。

えーと、とりあえず「──駅名の起源」に従って、「緋牛内」の語源は susu-usi-nay で、意味は「柳・多くある・川」としておきましょうか。

美幌(びほろ)

pe-poro?
水・多い
pi-poro?
小石・多い
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
ふうっ。今日は(今日も?)なんだか一筋縄でいかない地名ばかりですね。ここらでひとつ、サクっと終わらせたいものです。

というわけで、北見の東、網走・女満別の南に位置する「美幌」です。ここはアイヌのコタンがあったころでも有名ですね。「角川──」()を見てみましょう。

網走地方東部,藻琴山西麓,女満別(めまんべつ)川・美幌川・豊幌川・網走川・栄森川流域。地名の由来は,アイヌ語のピポロによる。また,ペポロ(水多い)から転訛したものともいい(アイヌ語地名解),多くの河川が合流し,水量が豊かなところから名付けられたという。なお,松浦武四郎「戊午日誌」には,「ピポロとは小石多く有る儀」と見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1254 より引用)
山田秀三さんは pe-poro で「水・多い」説を紹介していましたが、別解として pi-poro で「小石・多い」説もあるようですね。なんとなーく水が多そうな気もしますが……。

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