2012年9月30日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (76) 「札弦・斜里・以久科」

 


さぁ、ようやくオホーツク海沿岸部までやってきました!



札弦(さっつる)

川湯温泉から斜里に向かって、釧網本線でひと山越えたところにある駅の名前です。「札弦」で「さっつる」と読むのですが、なかなか読めないかも知れませんね。

弦楽器の「弦」なんですけどね。

では、今回も山田秀三さんの「北海道の地名」から牽いてみましょう。

 永田地名解は「サッ・ルー。乾・路なるべし」と書いたが読み違いであろう。古い松浦氏廻浦日記は「サツルエ。サツは夏,ルは道也」と書いた。諸地の類型地名から見ればサㇰ・ル(sak-ru 夏・道)であろう(sak の k は不破裂音で和人は聞きとりにくい)。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.220 より引用)

なるほど。sak-ru であれば確かに道内各所に見られる地名ですね。意味も「夏・道」で間違いなさそうです。ちなみにもともとは「札鶴」という地名だったのだそうです。「札鶴」のほうが読みやすそうですけどね(笑)。

斜里(しゃり)

「斜里」は今では「知床観光」の玄関口として有名で、それに併せて駅の名前も「知床斜里」に変わってしまいました。地名の由来は簡単明瞭、sar で「葦原」という意味です。

例によって孫引きで恐縮ですが、山田秀三さんの「北海道の地名」から。

 斜里町史地名解(知里博士筆)は「斜里。アイヌ語サㇽ(sar)の訛で,葦の生えた湿原を意味し,もとこの辺一帯をさす地名であった。日高にも有名なサ?(沙流)があるので,区別するため,沙流をマッネ・サㇽ(女性のサㇽ),斜里をピンネ・サㇽ(男性のサㇽ)と云うこともある。北海道南部の古い物語の中ではモシリ・パ・シャㇽ(島の上手にあるシャㇽ)という名称もあらわれる」と書いた。(サㇽ,シャㇽは同音)
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.218 より引用)

「斜里」は「沙流」と並び称されるほどメジャーな地名だったんですね。道北の「猿払」はどうなんでしょう……。

以久科(いくしな)

斜里の中心部から少し東に行ったところです。斜里から越川までを結んでいた、国鉄根北線の駅があったところです。再び「北海道の地名」を見ていきましょう。

 猿間川を少し上ると,その上流はいくつかの諸川に分かれ,手の指を拡げた形であるが,その中の最も向こう側(東側)の川が幾品川である。また幾品川から海岸までの間の土地は,違う字を使って以久科と呼ばれている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.218 より引用)

例の「越川橋梁」の正式名称は「第一幾品川橋梁」と言いますが、越川橋梁が越えていたのが「幾品川」という川で、地名の方は「以久科」という字を当てている、ということですね。

 松浦図は「イクシヘツ」と書き,永田地名解は「イクㇱ・ペッ。彼方の処」と記した。そのような音でも呼ばれていたのであろう。
 知里博士筆斜里町史地名解は「イクㇱナペッ。幾品川。エ・クㇱナ・ペッ(そこを・突き抜けている・川)。山の際まで突き抜けている川の義」としたが,同氏小辞典では山の処を横切っている川と解説している。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.218 より引用)

えー、とりあえず i-kus-na-pet で「それ・向こう側・方向・川」という意味になりますね。「それ」って何? と聞かれても答えられないのが残念なところなのですが……。山田秀三さんも

当時の何かの目標物があって,その向こうの川の意だったのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.219 より引用)

と記されていましたので。

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