2012年10月7日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (78) 「留辺斯・討伐沢・古多糠」

 


知床めぐりから一転して、今日は標津町の特徴的な地名の数々を見ていきます。



留辺斯(るべす)

斜里と標津を結ぶ「根北峠」を越えたあたりの、標津町側の地名です。根北峠のすぐ近くには「瑠辺斯岳」という山もあります。これは ru-pes で「路・沿って下る」が由来なのでしょうね。この手の地名は ru-pes-pe(ルペㇱペ)と呼ばれることが多いのですが、ここは最後の pe が無い形で地名として残った……ということなのでしょうね。

ちょっと気になるのは、永田地名解には rukush-pet で「山越(古ヘ斜里郡ヘ山越シタル路ナリ)」という記載があることです。ru-kusru-pes はびみょうに違いがあるのですが、はてさて……。



討伐沢(とうばつざわ?)

留辺斯の少し先(東)に「金山スキー場」というところがあるのですが、そのあたりで忠類川に合流する支流の名前です。いったい何を討伐したのか気になりますが……。

もし、この地名がアイヌ語由来なのだとしたら、top-at-nay で「竹・多くある・沢」あたりが由来かなぁ、と思ったりします。

ちなみに、永田地名解には「根室国標津郡」に top-tuye-pet(竹・切る・川)という記載があります。一瞬「これか!」と思ったのですが、忠類川筋は「標津郡」ではなくて「目梨郡」なので、似てはいるものの違う場所のようです。



古多糠(こたぬか)

マイナーすぎて各種ソースで確認できない地名が続いてしまいましたが、今度は大丈夫です(何が)。古多糠は標津町の地名で、忠類川のひとつ北側の川筋にあります。

山田秀三さんの「北海道の地名」から引用してみましょう。

 薫別のすぐ南の地名,川名。松浦武四郎の諸資料に書かれたコタヌカは古多糠川の川口,今の浜古多糠の辺のことであったようである。松浦氏知床日誌は「コタヌカ。村所と云義。此所昔し人家有しが今サキムイ(崎無異)に引取てなし」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.231 より引用)

多分 kotanu-ka で「村・上(かみ)」あたりの意味なのでしょう。続きを見てみましょうか。

 永田地名解は「コタノカ kotanoka。村跡。コタン・オカケに同じ。往古アイヌ村ありしときはコタヌカと云ひたり。コタンウカの急言にて村上の義なり。コタン・ケ?即ち村端に対したる名なり」と記したが,何のことなのかよく分からない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.231 より引用)

最後の一文のバッサリ感がたまりませんが……。「コタノカ」で「村跡」というのはあまり無い解釈ですね。一般的に「廃村」という場合は tu-kotan となる場合が多いのですが、kotanu-kot と考えたのでしょうか。

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