2012年12月23日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (100) 「又飯時・春採・釧路」

 


記念すべき!?「100 回目」なのですが、その割には特に趣向を凝らしたりすることも無く、相変わらず淡々と行きます……。



又飯時(またいとき)

地嵐別のお隣の集落の名前です。又めしどき……ではありませんでした(笑)。

今回は、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から見ていきましょう。

釧路町海岸の部落名。アイヌ語の意味不明。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.266 より引用)

……何ともハードボイルドな記述ですね(汗)。このままでは終われないので、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょうか。

 釧路町西端の処の地名,川名。このままではマタ・エトㇰ(冬・水源)としか聞こえないのでどうも変である。松浦氏東蝦夷日誌は「マタエトキ。名儀,マタは水也。エトキは汲んで明る(あける?)事也」と書いた。アイヌからの聞き書きらしいが,何か聞き違いがあったとしか思えない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.262 より引用)

ちょっと面白い話になってきました。続きを見てみましょう。

 マタが水とは変だ。水ならワッカであろう。また,エトキにそんな語義があるだろうか。話の内容から考えると,湧き水が(たぶんその川の水源の処に)あって,それを飲料水にしていた処らしく見える。
 試みにその内容に言葉を当てて見ると,ワッカ・タ・エトㇰ(wakka-ta-etok 水を・汲む・みなもと)となるであろうか。そんな意味の地名の訛りだったか,あるいはアイヌの説話だったか。とにかく難しい地名である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.263 より引用)

勢い余ってまるまる引用しちゃいましたが、できれば大目に見ていただければ……と。確かに難しい地名ですね。山田さんの「ワッカ・タ・エトㇰ」説もとても魅力的なのですが、「マタ・エトㇰ」のほうもアリかなぁ、と思ったりもします。

地形図を見ると、又飯時のあたりは比較的傾斜が緩やかで、砂礫が堆積している可能性も伺わせます。ということは多少の伏流水もあるかも知れないということで……。水量は僅かであっても、冬場でも凍ること無く湧き出していたりしたのであれば、地名になってもおかしくは無いかな、とか。

というわけで、mata-etok で「冬・水源地」という風にも考えられるなぁ、と思ったのでした。

春採(はるとり)

釧路市内東部の地名で、同名の湖もあります。アイヌのコタンがあった所です。今回も「北海道の地名」から。

春採については松浦氏東蝦夷日誌は「ハルトル。ベンケトウ(注:ペンケ・トー。上の湖)と言。ハルは黒百合,延胡索等の喰草を云。此草多き故号しか。ウトルは沼也」と書いた。ウトルに沼の意があるかしら。せいぜい utor(側面)と解すべきか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.264 より引用)

haru は確かに「食料」という意味があるのですが、haru-utur というのはちょっと意味不明ですね。続きを見てみましょうか。

 永田地名解は「ハルトゥル。向ふ地。アルトゥルと同じ詞なり。シレトゥ岬の向ふの地を云ふ」と書いた。この辺でアㇽ(一対のものの片一方。地名では山向こう,海の向こうのように使う)に h をつけて呼ぶかどうか,若干問題はあるが,地形は道南に多いアルトㇽ(ar-utor 向こう側の・側面,→岬山の向こうの土地)と全く同じである。永田説を採りたい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.264 より引用)

現代の「春採」の場所も、春採湖の南東に位置するので、幣舞橋のあたりから見ると「湖の向こう側」ではありますね。また、春採湖と幣舞橋の間には知人岬の尾根があるので、むしろ「知人岬の尾根の向こう」で ar-utor なのかも知れません。意味は「もう一方の・側面」、意訳すると「向こう側」といったところなのでしょうね。

釧路(くしろ)

さて。第 100 回に相応しく(あれ?)、最後に大物地名をご用意しました。有名どころの地名なので、おそらく収拾が付かなくなることが予想されますが……。

ということで、各種の説を併記している「北海道の地名」をベースに見ていきましょう。

 道東の有名な市名,川名,地方名。「くしろ」は明治になってからの音で,それまではクスリ,クシュリ,クスルのように呼ばれ,漢字になっても久摺,久寿里,久須里等の字が使われたのであった。語義も大地名の例に洩れず,各人各説で議論が絶えなかったが,ここは古い有名な説若干を掲げるに止めたい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.266 より引用)

地震が起こった時に限って生中継されることで有名な(←)「幣舞橋」の上流には「久寿里橋」があるのですが、これも昔の「釧路」に充てられた字がそのまま残っている、ということのようですね。

では、続きを見てみましょうか。

 〔上原熊次郎地名考〕(文政 7 年)夷語クスリ。夷語クシユルなり。クシルーの略語にて越ゆる道と訳す。此所よりニシベツ上の川並にシベツ海岸,なおまた西地シヤリなどへ踰越する故地名になすといふ。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.266 より引用)

ふむふむ。kus-ru で「通行する・道」説ですね。釧路を起点に標津または斜里へ向かったというのは大いに頷ける話ですが、逆に釧路以外の地点でも当てはまるだけに、ちょっと不思議な感じはします。

 〔東蝦夷地名解〕(筆者不明。安政前後のものか。内閣文庫蔵)チクシルウと申す略也。チクシは往来なり,ルウは道の儀にて往還道と申儀に御座候。アバシリと申処往来仕候道之名に御座候。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.266 より引用)

chi-kus-ru で「我ら・通行する・道」ですね。ん、なんか思った以上に見解に統一感がありますね。不思議不思議……。

 〔松浦武四郎国郡名建議書〕(明治 2 年)クシは越る儀,ルは路にて,此処より舎利(斜里)領又は根諸(根室)領等へ常に土人往来の便利に御坐候間此名相起り候。又一説に,クスリ川上に数ヶ所之温泉御坐候薬水流れ出候より号け候とも申伝へ候。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.266 より引用)

これも kus-ru 説ですね。ただ、「上流に温泉が──」という新解釈が出てきました。

 〔永田地名解〕(明治 24 年)原名クッチャロ,咽喉の義。釧路川の水源に大湖有(注:屈斜路湖),湖口をクッチャロと云ふ。此辺アイヌの大部落なり。寛永十二年松前藩クッチャロアイヌを今の釧路に移して久寿里(クシュリ)場所と称す。久寿里はクッチャロの転訛なり。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.266 より引用)

さぁー、通説を革める新説が飛び出しました(笑)。松前藩が、もともと屈斜路湖のあたりに済んでいたアイヌを釧路に移住させて「クシュリ場所」を開いた……というストーリーなのですが、確証は無いものの、否定もできない話です。はてさて……。

 われわれの時代になっても,以上のクシル(kush-ru 通る・道),チクシル(chi-kush-ru 我ら・通る・道)説、クスリ(kusuri 温泉)説、クッチャロ(kutchar のど口→沼水の流れ出す口)説に研究が加えられ,クㇱ・ペッ(通り抜ける・川。土屋祝郎氏),クㇱ・シㇽ(川向こうの山。若林三郎氏)等の説が書かれている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.266-267 より引用)

さぁ、段々とありがちな路線に話が進んできました。大地名に限ってはそれを証明する「地形」の同定が困難であるが故に、時間が経つにつれて奇説新説のオンパレードになってしまうんですよね。

 知里博士は,昔からクスリと呼んだことは確かだが,意味は全くわかりませんねといっておられた。ただ私としては上原氏以来古く行われたクㇱル説を棄て難い。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.267 より引用)

これについては全く同感です。あまりに一般名詞的であることに一抹の疑問が残るのも確かではあるのですが、kus-ru(あるいは chi-kus-ru)だと考えることに、あまり不合理さを感じません。「(我ら・)通行する・道」であると考えて良いのでは無いでしょうか。

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