2013年6月2日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (112) 「萩野・敷生・飛生」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

萩野(はぎの)

いかにも和名っぽい地名ですが、実は見た目の通り和名でして……(←)。今回は「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

もと駅名を「知床(しれとこ)」といい、アイヌ語の「シレトㇰ」(大地の突き出たところ)からとったものであるが、付近に明治14年明治天皇巡幸の道すがら、萩の花をめでられた遺跡があって、この一帯を「萩野」と呼ばれたので、昭和14年字(あざ)名とし、駅名も昭和17年4月1日から現在のように改めたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.72 より引用)

へぇぇぇ、という話ですね。ただ、萩野のあたりは知床岬とは似ても似つかぬ地形なのですが、現在の「萩の里自然公園」(道央道「萩野 PA」の近く)のあたりの地形を指して「シレトㇰ」と称した、ということなのだと思います。

sir-etok は「大地の・先」などと解釈されますが、ここの場合は etok を更に分解して、sir-e-tok で「大地の・頭の・突出部」と解釈するといいのでしょうね。

敷生(しきう)

萩野の西を流れる川名で、現在の竹浦あたりの旧地名です。今回は、我らが「角川──」(略──)を見てみましょうか。

古くはシキウ・シギウ・シチャウともいった。胆振(いぶり)地方中央部,敷生川,メップ川の流域。地名の由来は,アイヌ語のシキウにより,葦を意味する(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.643 より引用)

永田地名解の解釈にはびみょうな所がありますが、続きを見てみましょうか。

「北海道の地名」には,アイヌ語のシキウで「鬼茅多い」の意とあり,松浦武四郎は「シは至る,キウは蕎麦葉貝母(うばゆり)也。此川筋に多く有る故号く」としている(東蝦夷日誌)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.643 より引用)

ふむふむ。siki-o(-i) で「鬼茅・多くある(・所)」のようですね。一方の松浦説はすっかり無視されていますが、ちょっとアイヌ語として解釈するのが難しいからかも知れません。現在知られているアイヌ語では「キウ」という単語は無いようですし、「シ」を「至る」と解釈するのも難しそうなので。

ちなみに「ウバユリ」は turep と呼ばれるようです。

なお、「敷生」が「竹浦」と改称されたのは「語呂が悪いから」なのだそうです。まぁ、ここは「お察しください」ということで。

飛生(とびう)

敷生川の支流で、同名の集落もあります。残念ながら、我らが「角川──」にも記載が無いようなマイナーな地名なのですが、「北海道の地名」の「竹浦(敷生)」の項にさらっと記載がありました。

敷生川のすぐ奥の支流にトピウ(トピ・ウ。竹・多い)という処があり,竹の名産地であったので,それをとって竹浦と改名したのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.385 より引用)

ふむふむ。topi-o(-i) で「竹・多くある(・所)」なのですね。で、このあたりは竹の産地だったので、「敷生」は「竹浦」に改称された、と。siki は本来は「鬼茅」なのですが、「茅」よりも「竹」のほうが高級な感じがするから、というのもあったのかも知れません。

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

飛生は正式な住所名にはありませんからね。飛生小学校も閉校して随分なりますし、国土地理院の地形図と河川の名称くらいしか残っていません。飛生かいわいの正式な名称は竹浦5区です。まぁ、通称の飛生で通じますけどね。番地では確か、460番地以降の筈です(住んでましたので。ウチの住所は飛生小学校の裏手の500番台でしたが)。

Bojan さんのコメント...

コメントありがとうございます。国土地理院の地形図には「飛生」という文字が辛うじて残っていますが、確かに郵便番号一覧などには「竹浦」しか出てきませんね。

今でも「飛生」で通じるという話を伺ってほっとしましたが、こういった古い地名が消えてゆくのは、やはり寂しさを覚えます。

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