2013年7月13日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (123) 「マサリベツ川・臼谷・大椴」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

マサリベツ川

留萌市北部を流れる川の名前です。マイナーですいません……。

マイナーであるにも関わらず取りあげたのは由来が少々ユニークだからでして。というわけで山田秀三さんの「北海道の地名」をどうぞ。

西蝦夷日誌は「マサラママ。平浜」と書いた。彼は方々のマサラカオマㇷ゚「masar-ka-oma-p 海浜草原・の上・にある・もの(川)」をこの形で書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.128 より引用)

ふむふむ。masar という単語は今まで目にした記憶が無かったのですが、「浜の草原」といった意味なのですね。

永田地名解は「マサラ・オマ・イ」の形で書いた。今地名に残っているマサリベツは masar-pet(海岸草原の・川)の形である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.128 より引用)

masar-oma-i だと「浜の草原・にある・もの(川)」となりますね。あ、ka が抜けただけか(←)。このマサリベツ川、おそらくは港湾部の埋め立ての影響で、今は海に注ぐのでは無く留萌川に注ぐ形になっているのですが、

今は地形も変わったのだろうか,マサラ(海岸草原)の感じも出ない処である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.128 より引用)

まったく同感です。とは言え名前は masar-pet で「浜の草原・川」。この名前だけでも大事にしておきたいところです。

臼谷(うすや)

小平(おびら)町南部の地名です。漁港もあるようですね。もともとは「うしや」と読まれていたようですが、「角川──」(略──)によると「うすや」にリダイレクトされたので、本稿は「うすや」を正としておきます。

では、今回も「北海道の地名」から。

 留萌市から小平町に入った処の海岸地名。牛屋とも書かれた。ウㇱ・ヤ(ush-ya 入江の・岸)の意であったろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.130 より引用)

ふむふむ。実はこれで全文なのですが、あっさりと終わってしまいましたね。せっかくなので、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」も見ておきましょうか。

 小平町と留萌との境にある部落名。昔の地図ではレゥケウシ(曲がっているところ)とウシュヤそれにモウシュヤと接近している。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.142 より引用)

ほうほう。まだ続きがあります。

松浦日誌では牛屋と書き番屋一むね小休み所あり、板蔵が三むねもあって、アイヌ家が二十余軒あると記しその地名の意味は「磯有て澗形有故号く。ヤは岡の義、ウシは有也」とあるが。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.142 より引用)

概ね山田さんの記した内容と違いは無いのですが、「ウシ」の意味するところが決定的に違っていますね。確かに -usi は「多くある所」なのですが……。まだ続きます。

ウシヤではなくウソㇽヤであったもので、ウソㇽは湾で、ヤは丘である。レゥケ・ウㇱで湾をなしているそのわきの丘をさして名付けられたものである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.142 より引用)

どうやら見解が大枠で一致したようです。us-ya で「湾・岸」、あるいは us-or-ya で「湾・所・岸」といったところでしょうか。ちょっと気になるのは、臼谷のあたりの地形は「湾」には見えないことなのですが、もともとは「臼谷ノ沢川」の河口のあたりが入江になっていたのかも知れません。

大椴(おおとど)

小平町北部の地名で、同名の川もあります。但し川の方は「大椴子川」と書くようです。今回は更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

 昔は大椴子と書いていたが、後に子の字をとって今日のにした。更に古くは大突登と書いていたこともあった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.143 より引用)

まるで「天使突抜」のような地名ですが……(笑)。

語源については、松浦武四郎は、トトコで「上に沼有るとの儀」とキムシタンネというアイヌに聞いたとあり、昔沼のあったことは事実だと述べている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.143 より引用)

うーん、to はわかるとして、後に繋がるのが toktuk か。残念なことに上流にダムができてしまったため、今ではこの説を検証することはできなくなっています。

まだ続きがあります。

またツウツウクで山崎の重なるという意だとものべ、永田方正氏はトトクで「山崎ノ出来タル処」といい、「松浦氏は“トトコ”ニテ上ニ沼アル義ト解キタルハ甚ダ誤ル」と反論している。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.143 より引用)

ふむふむ。永田地名解では tu-tuk だとしているのですね。地図を見た感じでは「大椴子川」と支流の「大椴八線川」の間にそれっぽい山があるようにも見えます。

なんだか先人同士で揉めているようなので、セカンドオピニオンを。「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

アイヌ語の「ト・エトㇰ」(山の端)が後「トトコ」となまったもので、付近の山岳の一端が海中に突き出しているのを指すのである。後にそれが「トット」となり、「大突登」「小突登」と呼んでいたのを、突登を椴子になおして「大椴子」といい、さらに「子」をとって「大椴」となったものと思われる。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.106 より引用)

良くある話なのですが、更に混迷の度が深まってしまいました(汗)。tu-etok 説だというのですが、はてさて……。「ト・エトㇰ」説を採る上で一つ問題となるのが、大椴のあたりの海岸線は南北にまっすぐ延びていて、どこをどう見ても「付近の山岳の一端が海中に突き出している」とは言えないのです。

ちなみに、山田秀三さんは……

 現在はその海岸の山崎の先端を切り崩して街道が直線に通してあるが,昔は小岬が並んでいた処らしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.131 より引用)

と記していますが、道路工事で跡形も無くなってしまうようなランドスケープを地名にしたかと言うと、少々苦しい気もするのですよね。

最後に、我らが「角川──」()を見てみますと……

地名はアイヌ語のポロトトクに由来し,山崎の重なるところの意という(小平町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.251 より引用)

むぅ。あえて言うならば、大椴子川は規模の割には支流が多いように見えるので、「峰が重なり合う」というのが正しいのかもしれません。tu-tuk で「峰・小山」といったところでしょうか……。

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