2013年7月17日水曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

第62回「かつて飛行場があったところ前仮乗降場」

 


謎の塊

猿払村浅茅野にて見つけた、謎のコンクリートの塊の話です。


気になったので、車を停めたところ……。ありましたよこんなものが。


はい。どう見ても自転車道なのですが、察しの良い方はもうお気づきかと。

咳をしても自転車道

回れ右をしても自転車道なのですが、


すこーし先に、何やら妙なものが……


そう、これはプラットホームの跡です。これを見ると一目瞭然ですね。



飛行場前仮乗降場

この「自転車道」は、もともとは国鉄天北線が走っていたところでした。駅名標が無くなり、外枠だけが残っている「駅のようなもの」は、「飛行場前仮乗降場」の跡です。

この「飛行場前仮乗降場」は、天北線が廃止される二年前、JR 北海道が発足したタイミングで「飛行場前駅」となっていました。

さて、この「飛行場前仮乗降場」、「飛行場前」と名乗るからには飛行場が無いとおかしいのですが、周りを見渡しても飛行場と思しきものは何も見当たりません。

実は、このあたりには、大日本帝国陸軍の浅茅野第一飛行場があったのでした。

太平洋戦争当時、対ソビエト、千島・カムチャツカ防衛を目的とした陸軍の専用飛行場として建設された。猿払村の南端浅茅野地区から浜頓別町にかけての浅茅野台地に第1飛行場が建設され、そこから30km北の猿払村浜鬼志別に第2飛行場が建設された。
(Wikipedia 日本語版「浅茅野飛行場」より引用)

当時は「日ソ中立条約」が有効だったため、日本とソ連は交戦状態には無かったのですが……まぁ、その後の歴史を鑑みると、ソ連を警戒したのは正解だったと言えそうですね。実際に、1945 年 8 月 8 日未明にソ連は中立条約を一方的に破棄して対日参戦を果たし、僅か一ヶ月ほどではありますが、死に体となっていた日本軍を完膚なきまでに叩きのめすことになります。

浅茅野飛行場

そんな状況下において、浅茅野の飛行場は突貫工事が進められたのですが、

1944年の工事完成には約3年の歳月を費やしたが、程なくして日本は終戦を迎えたため、殆ど使用実績がないままその役目を終えている。
(Wikipedia 日本語版「浅茅野飛行場」より引用)

結果的には、殆ど役に立つこと無く敗戦を迎えてしまったのでした。1944 年の冬に完成したとされる浅茅野飛行場は、1945 年の 9 月に閉鎖されてしまったそうです。

現在、第1飛行場の大部分は牧草地となり、旧JR天北線飛行場前駅や滑走路脇の掩体壕跡が確認できるのみである。
(Wikipedia 日本語版「浅茅野飛行場」より引用)

ふむふむ。……これか! もちろん断言はできないのですが、


この、謎のコンクリートの塊は、浅茅野飛行場の遺構である可能性がありそうです。

かつて飛行場があったところ前仮乗降場

ちなみに。

浅茅野飛行場は、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)に建設されたが、そのわずか1年後の1945年(昭和20年)には戦争は終結したので、ほとんど使われないままにその役目を終えることとなり、兵舎や将校官舎といった建物は1951年(昭和26年)に解体撤去された。
(Wikipedia 日本語版「飛行場前駅」より引用)

「浅茅野飛行場」は 1945 年に閉鎖され、施設も 1951 年に解体撤去されたそうなのですが、

当駅(当時は局設定の仮乗降場)が開業したのは、1955年(昭和30年)のことであったが、周囲に特段の構築物などの無い原野であったことから、「飛行場前」の名がつけられた。
(Wikipedia 日本語版「飛行場前駅」より引用)

「飛行場前仮乗降場」ができたのが 1955 年。最初っから「飛行場」の前なんかでは無かった、ということになりますね。さすがに「元飛行場前」と名付けるのはしのびなかった、ということでしょうか。

前の記事次の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

最近の記事

    スポンサーリンク