2013年11月24日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (161) 「兜沼・豊富・幌延」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

兜沼(かぶとぬま)

豊富町北部の地名で、JR 宗谷本線にも同名の駅がありますね。

では、地名の由来を見ていきましょう。今回は久しぶりに「北海道駅名の起源」から。

駅前にある沼の形が、かぶとのくわ形に似てているためこのようにいったのである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.182 より引用)

ぬ、「かぶとのくわ形」って……? もしかしてカブトムシのクワガタムシのことなんでしょうか。いや、クワガタムシとカブトムシは別物だと思いますが……。

ちと気になったので Wikipedia で確認してみました。

平安時代以降の兜には、額の部分や側頭部等に立物(たてもの)と呼ばれる装飾部品が付くようになり、特に額の左右に並んだ一対の角状の金属の立物を鍬形(くわがた)と呼びクワガタムシの語源となった。
(Wikipedia 日本語版「」より引用)

あ。またしても無知を暴露してしまいました(汗)。もともと「クワガタ」って兜のパーツの一部だったんですね。

念のため、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」も見ておきましょうか。

駅の近くにある沼の形が、兜に似ているから名付けたというが、ちょっと見たところ、そんな感じがしないから、地図を見て名付けたのかもしれない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.180 より引用)

ふむふむ。そんなところかも知れませんねぇ。さて、気になるアイヌ語の地名ですが(もはや誰も気にしてなかったりして)……。

アイヌ語でペライサルトーと呼ばれていた沼で、ペライは魚を釣ることであり、サル・トは葺原の沼の意である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.180 より引用)

ふむふむなるほど。peray-sar-to で「魚を釣る・葦原・沼」ということですね。

豊富(とよとみ)

幌延の北に位置する町で、サロベツ原野や油の浮いた豊富温泉でも有名ですね。もともとは幌延村の一部だったそうです。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のようにあります。

 豊富(とよとみ)
 豊かな感じを受ける日本的な地名で、昭和十五年に幌延村から分村するときに豊富村としたが、豊富の地名はそれ以前から幌延村字沙流の市街地の名としてあったもので、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.179 より引用)

相変わらず文章が長いので、今回は途中で切ってしまいました。あしからず。

なるほど。もともとの地名は「沙流」だったのですね。sar はご存じの通り「葦原」といった意味ですね。それが何故「豊富」になったのかという話ですが……

この地名はこの市街地の傍を流れているパンケ・エベ・コ ・ベッの川の名の一部を意訳してつけたもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.179 より引用)

「コ」の後ろが見事な脱字っぷりですが、おそらく「ㇽ」が入る予定だったものと考えられます。

エベは食う物すなわち食糧で、コルは持つという意味。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.179 より引用)

はい。panke-epe-kor-pet で「川下の・食物(魚)・持っている・川」という意味になりますね。その意を和訳して「豊富」という地名にしてしまった、ということなのでしょう。

ちなみに、山田秀三さんは次のように記しています。

語義はイペ・コㇽ・ペツ「ipe-kor-pet 食物(魚)を・持つ・川」。やちの中の泥川で,乗って行った土地のタクシー運転手も余り魚はいませんがねという。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.140 より引用)

そうですね、epe は本来は ipe なので、確かにこう解釈したほうがわかりやすいです。ちなみに panke-epe-kor-pet は現在は「下エベコロベツ川」と呼ばれているのですが、panke があるなら penke(上)もある筈です。山田さんも

パンケ(下の)とペンケ(上の)の二つのエベコロベツ川が,豊富町の北見境の山から流れ出し,サロベツ原野の中を並んで西に流れてサロベツ本流に注いでいる。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.140 より引用)

と記されているのですが、地形図を見た限りでは「上エベコロベツ川」という川は見当たりません。この上エベコロベツ川について更科さんは

これに対して上エベコロベツは、ペンケエベコロベツ(上流にあるエベコルベツ) の上の部分だけを訳したもの。この川の中流に宗谷本線の徳満駅があるが、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.179 より引用)

と記されているので、徳満駅の近くを流れている小さな川が「上エベコロベツ」だったのかもしれません。

幌延(ほろのべ)

随分と飛ばしてしまったので、最後はあっさりと締めたい……ですね。幌延には宗谷本線の駅があり、かつては国鉄羽幌線が分岐していました。

では、今回は山田秀三さんの「北海道の地名」を見ていきましょうか。

 幌延は昭和初期までは「ほろのぶ」と振り仮名されていて,アイス語のポロ・ヌプ(poro-nup 大きい・野原) から来たと書かれて来たが,元来はどこの地名だったかはっきりしない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.140 より引用)

なるほど。「ポロヌㇷ゚」が「ほろのぶ」となり、漢字に引きずられて「ほろのべ」になった、といったところでしょうか。

大日本地名辞書(明治35年)は「幌延(ポロヌプ)。天塩市街の北二里の海岸にあり,天塩川屈折点に近し。今幌延村と称し天塩川下游右岸及び海浜沙流村を本村の所管と定めらる」とした。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.140-141 より引用)

うーん、これだと「ポロヌプ」は現在の場所よりも相当海よりだったことになりますね。現在のオトンルイ風力発電所のあるあたりになってしまいそうです。

この矛盾?について、山田秀三さんは次のように考えていたようです。

天塩川が西流して来て,海浜の後で左折する辺の海岸に明治の地図はポロヌㇷ゚(松
浦図もホロヌフ)と書いているが,余りに辺地の小地名である。松浦氏天塩日誌は天塩川を測り,サロベツ川口と,今の幌延市街との中間の処で「ホロヌツフ」と書いていて,そこにもポロヌㇷ゚があったらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.141 より引用)

むむ。ポロヌㇷ゚は二つあったのか、それとも時間を掛けてゆっくりと移動していたのか。ちょっと謎めいた感じがしますね。

あ。肝心の地名解を書くのを忘れてました。poro-nup で「広い・野原」です。確かにサロベツ原野を表すのにふさわしい地名ですね。

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