2014年7月20日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (196) 「クオーベツ・久留喜・登川」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

クオーベツ

由仁町南東部を流れる、夕張川の支流の名前です。現在は字が廃されて「由仁町川端」に含まれていますが、もともとは「クオーベツ」という地名もあったのだそうです。

あ、折角なので引用しておきましょう。我らが「角川──」(略──)からの引用です。

 くおーべつ クオーベツ <由仁町>
〔近代〕明治35年~昭和59年の行政字名。クオーペツとも書く。はじめ由仁(ゆに)村,昭和25年からは由仁町の行政字。もとは由仁村の一部。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.490 より引用)

はい。そういうことのようです。この「クオーベツ」は、音からは ku-o-pet(「仕掛け弓・そこにある・川」のように思えますが……。続きを見てみましょう。

字名は,クオーベツ川(仕掛弓をかける川の意)に由来する。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.490 より引用)

あ、そのまんまでした(汗)。

昭和59年字が廃され,川端となる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.490 より引用)

「由仁町川端」というと、JR 石勝線の川端駅があるあたりの地名ですね。クオーベツ川から見ると下流にあたります。「クオーベツ」という字は残念ながら廃されてしまったわけですが、現在でも川沿いには「1 車線未満」の道路しか無いようですし、仕方がなかったのかもしれませんね。

ちなみにクオーベツ川をずっと遡っていくと厚真町との町境に辿り着くのですが、その町境に程近いところに「クオベツ山」もあります。

久留喜(くるき)

夕張市紅葉山(もみじやま)の東隣(川向かい)の地名です。「ホロカクルキ川」「シークルキ川」「ポンクルキ川」などの川名もあります。

何となく釈然としない地名ですね。とりあえず山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょうか。

ホルカクルキ川
 紅葉山の対岸で夕張川に入る川が,このごろはホルカクルキ(ホロカクリキ)川と呼ばれる。明治の測量図ではただクリキで地名は久留喜とも書く。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.62 より引用)

ここまでは問題無いですね。ちなみに現在の地形図では「ホロカクルキ川」となっています。

上るとすぐ左にポン・クリキ(小・クリキ川)を分かち,中流二股で,右がシー・クリキ(本流の・クリキ川),左股がホロカ・クリキ(後戻りする・クリキ川)であった。現在はそのホロカクリキの方が川の総名と使われるようになった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.62 より引用)

クリキ川が上流でホロカ・クルキとシー・クルキに分かれる……という話であればとてもすっきりした話になるのですが、ここではホロカ・クルキからシー・クルキが分かれる形になっているので、少々ややこしいですね。

永田地名解は「クルキは鰓なれども,クリヒの転にして蔭の義ならん」と書いた。kurihi(kur の所属形。その蔭)の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.62 より引用)

ふーむ。kuri-hi で「(その)陰」だと言うのですが……。何ともすっきりしない地名に思えてしまいます。

なんだか判然としない地名である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.62 より引用)

(汗)。そうなんですよね……。

U ターンしてる?

ところで、horka は「U ターンする川」という意味になるのですが、このホロカクルキ川は一見 U ターンしているようには見えません。むしろシークルキ川が(夕張川から見て)U ターンしているようにも見えます。

もっとも、夕張川自体が思いっきり U ターンしているという話もあるのですが。

発想を転換して、「シークルキ川」が「主たるクルキ川」なのだから、シークルキ川から見て U ターンしているのではないか、と考えてみましょうか。シークルキ川は概ね南から北に向かって流れています。一方でホロカクルキ川は概ね東から西に向かって流れています。90 度向きが違うわけですが、この程度で horka というのはあまり聞かないような気がします。

もっとも、源流部分になると話は別で、ホロカクルキ川をずーっと遡っていくと、確かに北から南に向かって流れています。源流を遡っていくと、やがてはパンケモユーパロ川(夕張川の源流のひとつ)に辿り着くので、なるほど、そう考えると確かに horka なのだなぁ、と納得できます。

登川(のぼりかわ)

1981 年に国鉄石勝線が開通する前は、紅葉山(現・新夕張)から「夕張線登川支線」という支線が伸びていました。終点が登川駅で、途中には楓駅(二代目)がありました。ご多分に漏れず、炭砿で産出される石炭を運ぶための路線ですが、旅客運輸も行っていました。

その後、石勝線が新得まで開通した際に、完全にルートがかぶる登川支線は廃止され、代わりに楓駅(三代目)が設けられましたが、利用者が減少の一途を辿ったために 2004 年に廃止され、現在は「楓信号場」となっています。

というわけなので、「登川」の由来について、「北海道駅名の起源」を見てみましょう(前振りが長い)。

  登 川(のぼりかわ)
所在地 夕張市
開 駅 大正5年7月11日
起 源 アイヌ語の「シ・ホルカ・ペッ」(親であるあともどりする川)を意訳して、「登川」と名づけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.85 より引用)

ふむふむ。またしても horka ですね。horka は「U ターンする川」という意味なのですが、永田方正氏はこれを「逆流する川」と解釈してしまい、その誤解から「登る川」となってしまったのでしょう。勘違いによる悲劇と言えそうですが、これはむしろ「喜劇」と呼ぶべきかもしれません。

登川にシ・ホルカ・ペッは無かった

ただ、登川のあたりを流れている川は「ホロカクルキ川」であって、「シ・ホルカ・ペッ」ではありません。これは一体どうしたことでしょう? ……実は、「シ・ホルカ・ペッ」が夕張川の支流であることには違いは無いのですが、夕張駅のあたりから清水沢に向かって流れる川の名前なのです。

意外と忘れがちですが、夕張川は夕張駅のあたりを流れていないのですね。それどころか、元々、夕張駅のあたりは「登川」という地名だったのでした。この「登川」という地名は、大正7年に登川村が町制施行する際に「夕張町」となったことで一旦姿を消します。

ところが、妙なことがあるもので……

〔近代〕登川 大正8年~昭和17年の夕張町の行政字名。もとは夕張町の一部。かつては新久留喜とも呼ばれた地域。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1146 より引用)

同じ町内とは言え、夕張駅から遠く離れた場所に「登川」の地名が復活したのでした。……あれ? そうだとしてもちょっと変ですね。登川村が夕張町になったのが大正7年で、二年前の大正5年に登川駅ができたことになってしまいます。

ちなみに、上記引用文中に「かつては新久留喜と呼ばれた地域」とありますが、「新久留喜」という地名は、現在も「シークルキ川」沿いに見て取れます。アイヌ語の「シー」に「新」という字を充てるケースは他でも見られますが、「新久留喜」という地名だとシークルキ川沿いと間違えられそうなので、別名というか通称として「登川」が使われていたのかも知れません。

かつて登川駅があったあたりの地名の由来は、horka-kuriki-pet (あるいは -nay)を勘違いを含んだまま意訳した「登る・クルキ・川」だった、ということでしょうね。

……長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。ふうっ……。

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