2014年8月27日水曜日

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第72回「ある日突然淡水湖が汽水湖に!」

 


Day 3 のルート……?

朝の 9 時を少し回ったところで、Day 3 のスタートです。この日の目的地は斜里郡斜里町の知床斜里駅前、ということは……


実は、現在地からたった 83 km しかありません。Day 2 は 383 km もあったのに、この落差は一体……(汗)。もちろんこのままでは 2 時間でゴールに到着してしまうので、あちこち見て回ろう、という腹づもりです。

まずは「ワッカ原生花園」へ

というわけで、Day 3 はいつになく時間に余裕があるので、まずは「ワッカ原生花園」のネイチャーセンターに行くことにしました。

道道 442 号線は常呂町栄浦のはずれで右にカーブしているのですが、案内板に従って(見えますか?)左に曲がります。


まっすぐ行くと漁港に向かってしまうため、80 m ほど先で今度は右折です。


ちゃんと案内板もあるので、それに従って行けば間違いありません。


60 m ほど進むと「栄浦大橋」が見えてきます。


栄浦の東隣の集落は「鐺沸」と書いて「とーふつ」と読むのですが、かつてはトープト゚と呼ばれていたところで、その名の通り「湖の口」、即ちサロマ湖のオホーツク海への出口でした。

サロマ湖の「出口」にまつわる話

現在では、砂嘴に二つの湖口ができたため、鐺沸とオホーツク海の間は常時閉じられた形となっています。かつての湖口は、現在は漁港として活用されていることになりますね。

Wikipedia を見てみると、このあたりの経緯について面白い話がありました。

かつては恒久的な湖口を持たず、春になると砂州東端の鐺沸(とうふつ)近くに湖口が開き、秋になると漂砂で閉塞していた。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)

へぇー。湖口が閉じたり閉まったり……じゃなくて閉じたり開いたりしていたのですね。面白いですね。

湖水位の上昇は沿岸に湿地帯を多く生じさせ、増水時には氾濫被害なども生じることや、湖口閉塞が漁船の外海との往来に支障することから、毎年融雪期になると鐺沸地域の住民達は人為的に湖口を開削していた。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)

水の出口が無いということは、サロマ湖の水位は冬の間どんどん上昇していたことになりますから、確かに氾濫が起こっても何の不思議もありません。そのため、春が近づくと住民の手で毎年水路が開削されていた……というのですね。

永久湖口の開削へ

さすがに毎年水路を開削するのは手間がかかるということもあったのでしょうが、「出口」のロケーションも不便なところにあったこともあり、やがて常設の湖口を求める声が高まって行きます。

鐺沸の湖口は湖の東端に偏っており、西岸・南岸の湖岸住民たちは外海との往来に鐺沸への大回りをするか、さもなければ小舟を人力で引き揚げて、湖と外海の間の砂州を乗り越える作業を余儀なくされた。湖水位上昇の被害とも相まって西岸・南岸の住民には西寄り湖口開削の希望が強かった。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)

地図を見るとわかるのですが、鐺沸はサロマ湖の東端に位置するため、たとえば計呂地あたりからオホーツク海に出るのは相当な遠回りを強いられていたことになります。サロマ湖の中央寄りにオホーツク海への出口を設けることが熱望されたのも頷けますね。

1920年代には東岸住民らの反対を押し切って、西岸住民らの西寄り開削が繰り返されたものの、試掘の度に自然閉塞が生じ、試みは頓挫していた。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)

こういった話で利害が一致しないのは良くある話ですが、サロマ湖でもこんな話があったのですね。もっとも、掘っても掘ってもいつの間にか埋もれてしまって、骨折り損に終わっていたようですが……

しかし、1929年春、湧別町の住民達が西寄りにある三里番屋付近に新たな湖口を試削したところ、同年4月の荒天による湖水大量流出などが影響、開削部が短期間で自然拡大して、幅100mを超える永久湖口へと変じた。以降鐺沸湖口が開かれることはなくなり、湖面はほぼ常時海水面同等の水位となった。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)

長年の努力が実ったのか、ついにブレイクスルーの時を迎えたということですね。これによって、サロマ湖はオホーツク海と常時繋がることになったわけですが……

ある日突然淡水湖が汽水湖に!

永久湖口の開削はオホーツク海への出入りを便利にした反面、サロマ湖の性質を一変させてしまうことになります。

1929年の永久湖口の開削以降、サロマ湖への海水の流入は増え、湖水の塩分は海水に近いものとなり、海水魚も多く入り込むようになった。水質・水温の急激な変化は生態系を変え、かつて鐺沸地域などで豊富に採取できた天然カキは短期間で壊滅した。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)

こういった、後戻りできない弊害もあったということですね。永久湖口が出来る前は淡水湖に限りなく近い状態だったのが、常時オホーツク海と繋がることで塩分濃度が海に近い汽水湖になってしまった、ということでしょう。

この水質の激変で被害を受けたのが、湖口の開削には消極的だった鐺沸の牡蠣だったというのは実に皮肉な話です。湧別町民(開削した側)と常呂町民(被害を受けた側)の間には相当な諍いがあったのではないでしょうか……。

一時期、湧別町・佐呂間町・常呂町で合併する話が進んでいたとも聞きますが、結局破談になっています。およそ八十年前のこの一件が破談の原因だ……なんてことは無いでしょうが、因縁めいたものは感じられますね。

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