2014年9月27日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (215) 「陸別・取布朱川・作集」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

陸別(りくべつ)

rik-un-pet
高いところ・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
陸別と言えばラリーの街でもありますが、ちょうど昨日(9/26)にラリー北海道がスタートしたところですね。実にグッドタイミングです。

現在は「りくべつ鉄道」という名前で、なんと気動車の運転体験までできる保存鉄道となっていますが、かつては国鉄池北線の駅がありました。ということで「北海道駅名の起源」からどうぞ。

  陸 別(りくべつ)
所在地(十勝国)足寄郡陸別町
開 駅 明治43年9月22日
起 源 アイヌ語の「リクン・ペッ」(高く上っていく川)からとったもので、利別川がこの付近でけわしくなり、川が水源に向かって急に高く上ってゆくように見えるからである。もと「淕別(りくんべつ)」と呼んだが、昭和24年8月1日現在のように改められた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.147 より引用)
はい。rik-un-pet で「高いところ・そこにある・川」だと考えられそうですね。もっとも「陸別川がこの付近でけわしくなり──」という記述には少し首を傾げたくなるのも事実ですが……。

あと、陸別はもともと「淕別」と書いて「りくんべつ」と読ませていたのですね。「川」なのに「陸」の字を使うのは変だ!と考えて「淕」の字を当てた……なんて話を聞いたことがありますが、さすがに読んでもらえなかったのか、「陸」の字を使うように改めたようですね。

解に異論は無いのですが、続いて山田秀三さんの「北海道の地名」から。

陸別 りくべつ
 利別川を北に溯って,北見国境の山裾まで来た処に陸別市街がある。こんな山中によくこれだけの街ができたと思うような処である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.302 より引用)
確かにそうですよね。三河川の合流点でちょっとした盆地状の地形になっているとは言え、とても大きな街なのは確かです。

 永田地名解は「リ・クン・ペッ ri-kun-pet(高危川)」と妙な解を書いた。永田氏は時々,クンという音に「危い」という解をつけているのであるが,そんな語意が果たしてあったのであろうか?
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.302 より引用)
ふむふむ。少し変なことが書いてあるとは言え、永田地名解も大枠では「リクンペッ」という解釈だったようですね。

念のため、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」も見ておきましょうか。

市街の下流で利別川に合流する陸別川の名が地名のはじまり、アイヌ語のリクン・ペッは高く上って行く川の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.250 より引用)
ですよねぇ。でも、続きもあります。

といわれていたがユㇰ・ウン・ペッで鹿のいる川であるともいう。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.250 より引用)
えっ(汗)。

この方が正しいようである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.250 より引用)
ええっ(汗)。

更科さんがもの凄い変化球を投げてきたのでちょっと動揺しているのですが、「陸別」は「東西蝦夷山川地理取調図」にも「リクンヘツフト」(「フト」は「河口」の意)や「リクンヘツ岳」という記載があり、「リクン──」という読みにはブレが無いように思われます。

少なくとも yuk-un-pet だったと思わせる記録は見当たらないのですが、更科さんが何を根拠に rik-un-pet が誤りで yuk-un-pet が正である、としたのかは謎が残ります。

rik-un-pet という解釈に疑問を抱くとしたならば、駅名の起源にある「利別川がこの付近でけわしくなり、川が水源に向かって急に高く上ってゆくように見えるからである」という説明でしょうか。少なくとも、利別川は陸別から上流で流れが急になるということはありませんし、陸別川もそれほどの急流には見えません。

更科さんは、続けて次の一文を記しています。

昔の人達は川は山の方へあがって行くものであると考えていた。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.250 より引用)
えーと、はい。これは有名な知里さんの説ですね。ただ、これがある意味では rik-un-pet の本質を突いているのかも知れません。というのも、陸別川を遡っていくとイユダニヌプリ山の近くに辿り着きます。イユダニヌプリ山は標高 902 m の山で、陸別町東部では最も高い山です。ですから、rik-un-pet を「高いところに分け入っていく川」という風に捉えていたのであれば、さもありなん……と思わせるのです。

それにしても……更科さんの変化球には本当に驚かされますね(汗)。

取布朱川(とりっぷしゅ──)

turep-us-{rik-un-pet}
オオウバユリ・多くある・{陸別川(支流)}
(典拠あり、類型あり)
陸別町中陸別のあたりで陸別川に合流する支流の名前です。1982 年頃の地図には「トレップシュ川」とありました。かなり無理繰り系の当て字ですね(笑)。

それでは、「陸別」の解で星野伸之もびっくりのスローカーブを見せた更科源蔵さんに伺ってみましょう。

 トレツプシュリクンベツ(ママ)
 陸別町陸別川筋の部落、今は取布朱という漢字を当てている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.250 より引用)
ふむふむ。折角なので永田地名解からも。

Turep ush ri kun pet  ト゚レㇷ゚ ウシュ リクン ペッ  姥百合多キ高危川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.326 より引用)
なるほど。turep-us-rik-un-pet で「オオウバユリ・多くある・陸別川(支流)」と考えて良さそうですね。ちなみにオオウバユリの利用法については、「アイヌ語千歳方言辞典」には次のようにあります。

トゥレㇷ゚ turep 【名】オオウバユリ; その根茎からでんぷんをとり, 残った繊維の部分を醗酵させ,円盤状にして保存食料にする。
(中川裕「アイヌ語千歳方言辞典」草風館 p.284 より引用)
あー、現代でも食用のユリ根が栽培されていますが、昔からオオウバユリの根も食用にされていたのですね。

作集(さくしゅう)

sak-kus-{rik-un-pet}
夏・通る・{陸別川(支流)}
(典拠あり、類型あり)
陸別川上流域の地名で、同名の支流もあります(作集川)。

では、今回は山田秀三さんの「北海道の地名」から。

作集川 さくしゅがわ
 陸別川の北支流。ヤムワッカナイの一本上の川である。旧名はサックㇱリクンペッ「sak-kush-rikunpet 夏・通る・陸別川(支流)」。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.303 より引用)
はい。sak-kus-rik-un-pet で「夏・通る・陸別川(支流)」と考えて良さそうですね。「サクシュ」という音は北大構内を流れる「サクシュコトニ川」と似ていますが、sak-kus-sa-kus- でびみょうに意味が異なるようです(kus は同じですけどね)。

雪の積もらない時に交通した川の意のようであるが,遠いし,山越えの処も高いので何か疑問に思っていた川名である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.303 より引用)
作集川沿いに遡っていくと、最終的にはケミチャップ川経由で津別に向かうことができたようですね。現在、陸別から津別に向かうには鹿山川沿いの「鹿の子峠」というルートがありますが、夏場は何らかの事情で鹿の子峠ルートが使いづらかった、といった事情があったのではないでしょうか(たとえば、途中に泥炭地があったとか……)。

「東西蝦夷山川地理取調図」を見ると、現在の「鹿山川」と思しき川に「マタクシリクンヘツ」と記されているので、何らかの事情で夏場は鹿の子峠が使えなかったという解釈で間違いなさそうです。

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