2014年10月4日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (217) 「利別川・小利別・置戸」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

利別川(としべつ──)

灯台もと暗しと言うべきか、実は取りあげるのをすっかり忘れていました。陸別から足寄・本別を経由して池田で十勝川と合流する一大河川です。ちなみに同名の「利別川」が今金からせたなに向かって流れているのですが、混同を避けるために「後志利別川」と呼ばれています。「池田」もそうですが、意地でも旧国名を冠さないのは面白いですね(偶然かもしれませんが)。

さて、「利別」の意味するところについてですが、まずは山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

利別川 としべつがわ
 利別川は十勝川第一の支流(流長150キロ)で,後志の利別川と並び称された大川であるが,語義は共に分からない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.294 より引用)

山田さんはいつもの通り、慎重な姿勢ですね。

松浦氏東蝦夷日誌は「トシベツ。訳して縄川と云儀は,昔より此川筋アシヨロ,リクンベツ(陸別)と云は,クスリ(釧路)領なるが故に,時々境目論起りしが,此川口に縄を張て,クスリ土人を十勝土人が通さざりしより号ると」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.294 より引用)

はっきりと「トシベツ」と明記していますね。tus-pet で「縄・川」と解釈したようです。ちなみに、この tus は「蛇」の隠語としても用いられるそうなのですが、

 永田地名解は「トゥシ・ペッ tush-pet(蛇・川)。直訳綱川。利別川」と書いた。蛇の忌み言葉としてトゥシ(縄)と呼んだというのである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.294 より引用)

永田地名解は tus を「蛇」であると解釈して、このような解を残したようですね。何故に「蛇」なのかと言えば、蛇のように曲がりくねっているからではないか、とのこと。

一方で、時折ユニークな地名解を出してくる更科源蔵さんは、次のように記しています。

近くを流れている十勝川の支流の利別川からでたもので、これまでト゚シペッで繩川などと訳されていたが、ト・ウㇱ・ペッで沼の多い川であり、檜山の利別川も同じである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.235 より引用)

新説が出ました。to-us-pet で「沼・多くある・川」なのだとか。

非常に曲流しているので、洪水のたびに川が切れて三日月沼が川添に多くあり、昔は今よりも多く沼があり、各沼には菱があったという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.235 より引用)

確かに、明治期の地図を見ても結構いい具合に曲がりくねっています。理屈から言えば、勾配が緩やかな土地を流れる川はどこでも似た感じになっていたと思われるのですが、「シヤモマイ」(様舞)のあたりには巨大な沼があるようにも見えますね。

(「北海道地形図(明治29年)」北海道立図書館 デジタルライブラリーより引用)

結局どっちなんだ、という話ですが、音も似ていて形容する事象もほぼ同一だったりするので、どっちも正解、と言えそうな気がします。もともと to-us-pet で、それが tus-pet とも解釈されるようになった、といった感じだったのか知れませんね。

小利別(しょうとしべつ)

陸別町北部の地名で、かつて同名の駅もありました(詳しくは 2014/8/12 の記事をどうぞ)。

駅があった……ということなので、まずは「北海道駅名の起源」から。

  小利別(しょうとしべつ)
所在地(釧路国)足寄郡陸別町
開 駅 明治44年9月25日 (客)
起 源 アイヌ語の「ポン・トㇱペッ」(子である利別川) から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.148 より引用)

ふむふむ。pon-tus-pet で「小さな・利別川」なのですね。

続いて、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

 小利別(しょうとしべつ)
 十勝領と北見領の国境の部落。陸別町の最北端で毎冬最低気温を出すので有名。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.250 より引用)

特筆すべきはそこですか……(汗)。ちなみに更科さんの解も pon-to-us-pet で「小さな・利別川」とのこと。

続いて山田秀三さんの「北海道の地名」からも。

小利別 しょうとしべつ
ポントゥシペッ
 利別川源流の地名,川名。池北線の駅あり。小利別は,雨竜川源流の母子里と共に冬の寒いので有名な処。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.54 より引用)

特筆すべきはそこですか……(本日二度目)。

そのポントゥシペッは,小利別駅から3キロ余下流の処に西から注いでいる小川の名であった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.54 より引用)

現在の地図では「日宗川」となっているのが、元々の「ポントゥシペッ」だったのですね。ちなみにこの「日宗」という地名・川名は、入植者が全員日蓮宗だったことから命名されたのだそうです。

 現在小利別川と呼ばれているのは別の川で,元来の川は駅から約1キロ上流に,北から入っている小流である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.54 より引用)

ん、また良くわからなくなってきたのですが、元々の「小利別川」は駅(跡)から見て北側にあった支流の名前で、その後、駅(跡)から見て南西部を流れる支流の名前になったものの、現在は「日宗川」と呼ばれている……ということでしょうか。

置戸(おけと)

国鉄池北線・小利別駅から池北峠を越えた次の駅が「置戸駅」でした。というわけで今回も「北海道駅名の起源」から。

  置 戸(おけと)
所在地(北見国)常呂郡置戸町
開 駅 明治44年9月25日
起 源 アイヌ語の「オケトンナイ」、すなわち「オ・ケッ・ウン・ナイ」(川口に獣皮をかわかす張りわくのある川)の上部をとったものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.148 より引用)

ふむふむ、もともとは o-ket-un-nay で「河口・獣皮を張って乾かす枠・ある・川」だったものが下略されて「置戸」になった、というのですね。

「利別川」と「小利別」でちょっと尺を使いすぎたので、「置戸」はコンパクトな内容でお届けしました。

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