2014年11月1日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (225) 「フンベオマナイ川・紋別・チカプノツ岬」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

フンベオマナイ川

紋別空港の滑走路を横断している(滑走路部分は地下を通っている)川の名前です。松浦武四郎の「東西蝦夷山川地理取調図」には「フンヘヲマナイ」とあり、明治期の地形図には「フㇺペオマナイ」とあります。永田地名解にも「フㇺベ オマ ナイ」とあるので、昔からそのままの名前が伝わっているようですね。

これ以上ネタを膨らませようが無いのですが(汗)、これは humpe-oma-nay で「クジラ・そこに現れる・川」なのでしょうね。過去にクジラが流れ着いたことがあったとかで、それが地名になったのだと考えられます。アイヌが積極的に捕鯨をしていたという話は聞かない(知らない)のですが、クジラが漂着することがあれば、いろいろと有効活用していたみたいですね。

紋別(もんべつ)

言わずと知れた、オホーツク沿岸では網走に次ぐ第二の都市です。道内に「シベツ」と読む町が二つあって大変だ……という話はご存じの方が多いと思いますが、「モンベツ」に至っては三つもあるので更に大変ですね(紋別、伊達紋別、日高門別)。

さて、例によって古い地図を見てみますと、このあたりには「藻鼈」(もべつ)という地名と「紋別」(もんべつ)という地名が隣接して存在していたように見えます(「東西蝦夷──」では「モウヘツ」と「モンヘツ」)。これは一体どうしたことか……という話なのですが、どうやら「藻鼈」のほうが地名としては古そうな感じです。

というわけで、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみます。

 紋別(もんべつ)
 紋別は静かな川の意で、はじめ元紋別の藻鼈川のところにあった運上屋(交易所)を、船がかりのよい現在の紋別港に移し、そこをモンベツ運上屋といっていたので、すべての中心がそこに移り、地名も移って今日に至ったもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.295 より引用)

んー、今日も元気に更科節が炸裂していますね(一文がとっても長い)。ありがたいことに答がほぼ全部書いてあるのですが、もともとは現在の藻鼈川のあたりに運上屋があったのを、泊地として有用な現在の紋別市のあたりに移転させた結果、都市機能なども丸ごと移転してしまい、ついでに名前も引き継いだ……ということのようです。日高の浦河と同じような例のようですね(移転距離は浦河のほうが長い)。

意味は mo-pet で「静かな・川」だとされますが、永田地名解に興味深い解釈が付記してありました。

靜川 流早カラズ、古ヨリ疫疾ナシ故ニ名ク、今人元紋別ト呼ブ藻別村ノ元名
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.449 より引用)

「流れがゆっくりなので『静川』」というのは想定範囲内ですが、「昔から疫疾が無いのでそう名付けた」とあります。なるほどー、そういう解釈もアリなんですね。病気の神が荒ぶっていない=「静か」といった感じでしょうか。

チカプノツ岬

紋別市の町名はアイヌ語由来っぽくないものが多いので(あるとしたら落石町か渚滑町くらい?)どうしたものかと思っていたのですが……、岬の名前にアイヌ語由来のものが残っていました。えっ、数合わせのためにピックアップしたんじゃないかって? ドキっ……(汗)。

「チカプノツ」は「チカㇷ゚ノッ」、即ち chikap-not で「鳥・岬」と解釈できそうです(not は「アゴ」という意味で、それが転じて「岬」と解釈されます)。永田地名解にも「鳥岬 諸鳥集ル岬」とあります。鳥が多い岬だったのでしょうね……(あまりにそのまんま)。

おまけ

ちなみに、チカプノツ岬の少し南側に「ウエンヒラリ岬」という岬があるのですが、ここの由来は少々難解でした。松浦図には「ウエンシラリ」とあったものが、明治期の地形図や永田地名解では「リー シララ」とされ、それがなぜか現在では「ウエンヒラリ岬」に先祖返り?しているようです。

現在の「ウエンヒラリ岬」は意味不明なので、古い記録から推し量るしか無いのですが、wen-sirar だと「悪い・磯」、ri-sirar だと「高い・磯」と読み解けそうです。船を航行する上で障害となる岩があったのかもしれません。

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