2014年11月30日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (234) 「丸万・ウカルシュベツ川・浦士別」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

丸万(まるまん)

網走市東部の内陸寄りの地名で、同名の川が涛沸湖に注いでいます。どう考えてもアイヌ語由来じゃ無いよね……と思っていたのですが!(汗)

とりあえず、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

 丸万(まるまん)
 網走市の字名。釧網線北浜駅から南に入った部落。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.261 より引用)

ここまでは OK ですよね。続きを見てみましょう。

ここを流れて濤沸湖に入る、サルマオマナイという川の名からでたものというが、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.261 より引用)

なんと! もちろんまだ続きがあります。

サルマはサル・オマ(葦原にある)であるのに、更にオマがつくのはおかしい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.261 より引用)

おっ、確かに。sar-oma-oma-nay というのはいくらなんでも変ですね。

サル・オマン・ナイで葦原に行く川ではないと思う。この川は奥まで葦原がある。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.261 より引用)※ 原文ママ

ふむふむ。sar-oman-nay ではないか、というのが更科さんの説ですね。ただ、「サㇽオマンナイ」が「マルマン」になったとすると、「サ」が「マ」に化けたことになります。

ちなみに、知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」には次のようにありました。

(409) サルマオマナイ サル・パ・オマ・ナイの転訛。サル(葦原),パ( のかみ),オマ(にある),ナイ(川)。今,丸万川。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.312 より引用)

sar-pa-oma-nay で「葭原・かみ(上)・そこにある・川」という解釈のようです。これも「マルマン」とは随分と開きがありますが、「サルパオマナイ」が「サルマオマナイ」になり、それが「サルマナイ」→「サルマン」→「マルマン」と変化していった……といった感じなのでしょうか。可能性はゼロではありませんが、ちょっと厳しくないかな? と思ったりもします。

ところが……

ところが……。「角川──」(──)にちょっと気になる記述を見付けました。

 まるまん 丸万 <網走市>
〔近代〕昭和13年~現在の行政字名。はじめ網走町,昭和22年からは網走市の行政字。もとは網走町大字濤沸(とうふつ)村・娜寄(なよろ)村・藻琴村・網走村の各一部,藻琴原野・モコト原野。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1426 より引用)

はい。間違いなく現在話題にしている「丸万」の項目なのですが、

地名の由来はアイヌ語のマルオマンプト(内陸に向かって通じる道の河口)による(丸万実豊部落史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1426 より引用)

おや? 知里説・更科説とは随分と違いますね。ちなみに明治期の地図には「マルマン川」とありますが、さらに遡って東西蝦夷山川地理取調図を見てみると、そこには「マルマフト」の文字が……。

「マルオマンプト」も「マルマフト」も、そのままでは意味不明ですが、「内陸に向かって通じる道の河口」という解釈からそれっぽいものを考えてみると……。そうですね、mak-oman-putu だった可能性は考えられないでしょうか? これだと「山手・行く・河口」となりますし、「ㇰ」が「ル」に転訛しただけの形と言えますから、「サルパオマナイ」→「マルマン」よりはあり得るんじゃ無いかな、と思ったりも……。

もっとも、そうなると知里さんはどこから「サルパオマナイ」という地名を拾ってきたのかという謎が生まれてくるのですが、これは……謎ですね(汗)。

ウカルシュベツ川

涛沸湖の中部に注ぐ川の名前です。「浦士別」と混同しがちですが、別の川です。

永田地名解には次のようにあります。

Ukar’ush pet  ウカルㇱュ ペッ  椎打ノ遊戯セシ處 沼ニ注グ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.494 より引用)

えぇと、「棒で叩き合う遊びをしたところ」という意味だということでしょうか。なんとも地名説話っぽい匂いがプンプンしますね。

知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」には、次のようにあります。

(417) ウカルシベツ(Ukar-ush-pet) ウカル(棍棒で叩き合う,決闘する),ウㇱ(いつも……する),ペッ(川)。「いつも決闘する川」の義。こゝで始終山争いがあつたという。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.312-313 より引用)

あれ……? いつの間にか仁義なき戦いモードにレベルアップしていますね……(汗)。u-kar-us-pet で「互いに・打つ・いつもする・川」と解釈すべきなのでしょうか。説話的な解を避けて地名っぽく解釈するならば「互いに・まわす・いつもする・川」とも取れるのですが、地形図を見ても回流していた形跡が見当たらないため、この解は無さそうにも思えます。

おまけ

ちなみに、u-kar については、知里さんの「樺太アイヌの説話(一)」の脚注に詳しく記載されています。

(41) 「ウ・カラ」。ウは「お互」,カラは「打つ」,即ち原義は「お互が打つ」「打ち合ふ」「打ち合ひ」の意味である。この語は, 今では,「シュツ゚」又は「シツ゚」と称する野球のバットに似た棍棒で打ち合ふ特別の打ち合ひを意味してゐる。この棍棒には,造り方と材料,使用の方法と使用の目的,等によって,種々の形式と名称があった様である。
(知里真志保「知里真志保著作集 1『樺太アイヌの説話(一)』」平凡社 p.355 より引用)

「特別の打ち合い」とありますが、それがどのような目的を持っていたかについては、次のようにあります。

ウカラは,前に述べた如く,棍棒(シツ゚)を以てする打ち合ひであるが,それは何の為に行はれたかと云ふと,(一)紛争が口論(「チャランケ」)のみで決し兼ねた場合,それを解決する最後の手段として用ひられ, また(二)「鬱憤ありて打果すほどの事に及びたる時,あつかひの者入て和談せしめ遺恨なきために互に打て鬱憤を散ずる」(『北海随筆』),即ち和解の手段として用ひられるのである。(三)試合の方法としても用ひた(→註4)。本篇の場合などその一例である。(四)後にはそれがスポーツ化し,更に興行的な行事にまで化した。
(知里真志保「知里真志保著作集 1『樺太アイヌの説話(一)』」平凡社 p.356 より引用)

浦士別(うらしべつ)

涛沸湖に注ぐ川の名前で、網走市と小清水町の境にもなっています。涛沸湖に注ぐ川としては、丸万川と同じくらいの長さを誇ります。

今回はあまり悩まずに進められそうです。まずは更科さんの「アイヌ語地名解」から。

 浦士別川(うらしべつがわ)
 浜小清水に近い濤沸湖の南対岸に入る川、小清水町と網走市の境界。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.261 より引用)

導入部が綺麗に被りましたね。続きを見てみましょう。

アイヌ語でウライ・ウㇱ・ペッ(簗の多い川)と呼んだところ、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.261 より引用)

はい。uray-us-pet で「簗・多くある・川」と解釈すれば良いようです。

アイヌの酋長噺の中に、ウラシペッウンクルという有名な酋長があり、その酋長のいた村がこの簗の多い川岸にあったという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.261 より引用)

ふむふむ、そうなんですねぇ。ついでに山田秀三さんの「北海道の地名」も見ておきましょうか。

浦士別 うらしべつ
 濤沸湖の東南隅に注ぐ川名,地名。浦士別川はこの湖水に注ぐ最大の川で,網走市,小清水町の境界,昔は聞こえた大酋長がいた処である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.216 より引用)

うわわ。またしても大酋長の話が……。どれだけ有名なんだ! と思ったのですが、知里さんの著作集の中に「浦士別村の酋長」や「浦士別村の首領」というキーワードがわんさかと出てきました。本当にすんごく有名だったんですね。

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