2015年4月12日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (242) 「幌萌・春苅古丹・於尋麻布」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

幌萌(ほろもえ)

茶志別川から 1.2 km ほど北に進んだところが「幌萌」です。国道は台地の上を走っていますが、集落は海沿いにあるため、国道から急な坂を下りていくことになります。「幌萌」という地名は「ありそうで無い地名だなぁ」という印象を受けますが、そういう訳でもなくて、道内にも 3~4 箇所は存在していたようです(いつの間にか少なくなってしまいましたが)。

気になる「幌萌」の意味ですが、更科源蔵さんは次のように記されています。

幌萌(ほろもえ)
羅臼町海岸の部落。アイヌ語ポロ・モイは大事な入江の意味。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.281 より引用)

poro を「大事な」とする、更科流の解釈が冴えていますね。なお、「幌萌」という地名は室蘭にもあるのですが、そこでは「アイヌ語のポロ・モイ(親である・湾の意)に由来」とされています。これは poro を「親である」とする、知里流の解釈ですね。

poro の解釈はさておき、moy の解釈も「湾」であったり「入江」であったりとブレがあるように見受けられます。本来は「静かな海」というニュアンスで捉えられるとされているのですが、そうすると、ちょっと謎が出てきます。と言いますのも……

羅臼町幌萌のあたりは、とても「入江」や「湾」と言える地形では無いのですね。しかも、台地が削られて海食崖状になっているようにも見えるので、「静かな海」と呼ぶに相応しいかも少々謎です。

ここで気がついたのですが、もしかして「幌萌」は poro-moy ではなく poro-muy なのでは無いのでしょうか。poro-muy であれば「大きな・箕」という意味になるのですが、幌萌の集落は南北が小高くなっていて、海から見れば巨大な「箕」のような形に見えそうな気がするのです。

そう思いつつ「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、そこには「ホロムイ」の文字が。もちろんこれが決定的な証拠だとは思いませんが、可能性は高くなったのかな、と思ったりします。

春苅古丹(しゅむかりこたん)

現在は「春日町」という地名になっていますが、昭和 36 年までは「春苅古丹」という地名でした。「春苅古丹」の名前は現在も川名や橋の名前に残っています。

今回は、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

松浦氏知床日誌は「シユンカルコダン。小川。油取所と云義」と書き,また永田地名解は「シュㇺ・カル・コタン。鱒の油を搾りたる処」とした。shum-kar-kotan(油を・採る・処)の意であったろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.230 より引用)

ふむふむ。どうやら sum-kar-kotan と考えて良さそうですね。意味は「油・採る・集落」ですね。鱒から油を搾るというのも、なんだか高級な感じがしますね……。

於尋麻布(おたずねまっぷ)

いちぶで有名な名うての珍名の登場です。ちなみに、この「於尋麻布」という地名も昭和 36 年に姿を消し、現在では羅臼町の「麻布町」(あざぶちょう)になっています。

今回も、山田秀三さんの「北海道の地名」から。

昔はこの川はオ・タッニ・オマ・ㇷ゚「o-tatni-oma-p 川尻に・樺の木が・ある・もの(川)」であった。それに難しい字を当てて於尋麻布という地名になっていた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.230 より引用)

はい。o-tat-ni-oma-p で「河口・樺・木・そこにある・もの(川)」となりますね。o-tat-ni- に「於尋」という字を充てたのが傑作だったのですが、

後に前略して麻布として「まっぷ」と呼んでいたらしいが,現在は東京の地名と同じように麻布町になった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.230 より引用)

やはり「尋」という字が忌避されたのか、いつしか「麻布」(まっぷ)と略されるようになり、ついでに読みまで「あざぶ」になってしまった、というオチのようです。これは漢字化の弊害とも言えそうですが、「陸志別」が「峯浜町」になってしまったことを考えると、「まっぷ」の字だけでも残ったことを良しとすべきなのかも知れません。

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