2015年8月22日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (275) 「ヌプパクシャイ川・仁多・摩周」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ヌプパクシャイ川

弟子屈町南部を流れる釧路川の支流の名前です。それにしても、「クシャイ」というのは如何なものかと……(汗)。

割と小さな川なのでどうかな? と思ったのですが、永田地名解に記載がありました。

Nup pa kush nai  ヌㇷ゚ パ クㇱュ ナイ  野端ヲ流ル川 安政帳「ヌプカクㇱュナイ」ニ作ル
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.342 より引用)

ふむふむ。nup-pa-kus-nay で「野・かみ・通る・川」ではないか、と言うのですね。全く同名の川が北見市端野のあたりのも流れていたのだそうです。「──クシュナイ」が「──クシャイ」になってしまったのは、どこかのタイミングで転記ミスがあったのでしょうね……。

ちなみに、「ヌプパクシャイ」という音から最初に想像したのが nupka-kus-nay だったのですが、永田地名解の註を見ると nupka-kus-nay という古い記録もあったようですね。これだと「野原・通る・川」となります。ただ、実際の地形に則して考えてみるとあまり野原を通っているようにも見えないので、「野のかみ」のほうが合ってるのかな? という気もしますね。

仁多(にた)

弟子屈町東部の地名です。同名の川がある上に同名の山まであります。

山田秀三さんの「北海道の地名」に記載がありました。早速見てみましょう。

永田地名解は「ニタトロマㇷ゚(やち)。安政帳ニタトロマイに作る。義同じ」と書いた。nitat-or-oma-p「低湿荒野・の処・にある・もの(川)」の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.273 より引用)

nitat-or-oma-p で「湿地・中・ある・もの」と考えて良さそうですね。「ニタトロマㇷ゚」では長すぎるので、後略して「ニタ」になった……といった感じでしょうか。ちょっとだけ気になるのは、現在の仁多川は台地の中を流れているように見えるのですね。あるいは下流部が湿地だったのでしょうか。

-p-i はどっちも「もの」と訳せるのですが、使い分けが今ひとつ良くわからない感じがします。印象としては、-p がどちらかと言えば「物」寄りで、-i は「所」に近いような感じがするのですが……。

摩周(ましゅう)

言わずと知れた「霧の湖」の名前ですが、いつの間にか「弟子屈駅」も「摩周駅」に名前を変えてしまいました。また、地名としても弟子屈町北部の集落の名前として存在しています。どちらも摩周湖からは 7~8 km ほど離れています。

では、今回も山田秀三さんの「北海道の地名」から。

摩周湖 ましゅうこ
 摩周の山は霧の多い処で,せっかく行ってもあの神秘的な湖を見れないで帰る人が多い。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.276 より引用)

いつになく詩的な入り方ですが、もちろん続きがあります。

摩周という美しい名も,私には霧の中の名で,何のことだか分からない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.276 より引用)

これはこれは……。

明治期の地図には、既に「摩周湖」と漢字で記されています。さらに遡ると「戊午日誌」に「マシウ」と記されているのが見えますが、残念ながら意味は明らかではありません。

永田地名解は「マㇱ・ワン・トー(鷗・の・沼)」と解したが,道の西部,北部では鷗をマㇱともいったが,あの辺ではカピウと呼んでいたようだし,第一あんな山中に海の鷗では何だか変だ。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.276 より引用)※ 原文ママ。「ワン」は「ウン」の誤植と見られる

確かに……。山の中にカモメは無いですよねぇ。永田方正は山の中にもカモメがいると考えたのでしょうか。

しかし外に資料もない。神秘的な名だとして置く外なさそうである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.276 より引用)

山田さんの困惑ぶりが手に取るように良くわかりますね。

さて、この難問に対して、地元弟子屈生まれの更科源蔵さんはどのような答えを出していたのでしょうか。

 摩周湖(ましゅうこ)
 アイヌはカムイ・ト(魔神の湖)とよび、摩周岳をカムイ・ヌプリ(魔神の山)と呼んでいてマシウとは言わなかった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.255 より引用)

ふむふむ。確かに「摩周岳」の正式名称?は「カムイヌプリ」ですし、摩周湖の真ん中には「カムイシュ島」という島もあります(kamuy-suma でしょうかね)。湖のことも kamuy-to と読んでいたとしても不思議はありません。

マシウと呼ぶようになったのは安政あたりからの和人の記録の中で、日本人のつけた名のようである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.255 より引用)

ふわっ! さすがにその結論は想像できませんでした。これは……どうしたものでしょうね。

「摩周湖」が「カムイ・ト」と呼ばれていた……と言うのは「そうなのだろうな」と思うのですね。かと言って江戸時代末期の和人が全くオリジナルの地名を名付けるというのもちょっと考え難い気もするのです。

無理を承知で試案を考えてみると……そうですね。mak-us-to で「奥に・ある・湖」とかですかね……。「k は何処に行ったんだ」と言われたら返す言葉も無いのですが……。

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