2015年9月27日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (286) 「津別・達媚・活汲」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

津別(つべつ)

久々の大地名ですね。ソースが豊富なのはありがたい話です。ということで、まずはいつもの「北海道の地名」から。

網走市史地名解(知里博士筆)は「トゥ・ペッ tu-pet(二つの・川)。津別川と網走川とがここで並んでいるのを言う」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.212 より引用)

のっけから孫引きで申し訳ありません。確かに「網走郡内アイヌ語地名解」には次のようにありますね。

(335) ツ゚ペツ(Tu-pet) ツ゚(二つの),ペッ(川),「二つの川のあるところ」
の意で,津別川と網走川とがここで並んでいるのを云う。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.305 より引用)

ただ、大地名の例に漏れず異説もあるようで、

 北海道駅名の起源昭和25年版(この版から知里博士参加)は上記二川説を書いたが,昭和29年版では「トゥ・ペッ(山の走り根・〔の下の〕・川)から出たものである」と変えた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.212 より引用)

ふーむ。tu には「二つの」という意味もあれば「峰」という意味もあるので、取りようによってはどちらでも解釈できてしまうわけですよね。

ということで、セカンドオピニオン行ってみましょう。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

 津別(つべつ)
 網走郡津別町。市街の近くで網走川に合する津別川の名からでたもので、アイヌ語のト゚・ペッで山の走り根(の下の)川であるという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.266 より引用)

知里さんが「ツ゚」で更科さんは「ト゚」ですが、これはどちらも tu という音を意味する表記なので、要するに同じことを言っていることになりますね。「北海道駅名の起源」には更科さんも参加していたので、この解は更科説だったりするのでしょうか。……ただ、まだ続きがありまして。

たしかに砦址のある高台のつき出た下にある川であるが、釧路弟子屈のト゚・ペッのように、川水の倍になりやすい川ともとれる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.266 より引用)

あれっ? 確かに弟子屈の「鐺別」には「更に倍!川」説がありましたが……(古い)。津別川は確かに長い川ですが、特に流域が広いというわけでも無いような気がするので、tu-pet で「峰・川」かなぁ、と思います。まぁ、どう解釈するかはさておき、tu-pet なのは間違いなさそうなんですけどね(汗)。

達媚(たっこぶ)

面白いのは、「津別」という地名は意外と新しい地名らしく、明治期の地形図には「津別」の代わりに「達媚」と記されています。これも失われた地名の一つとも言えるのですが、辛うじて川の名前(タッコブ川)と橋の名前(達媚橋)に残っているので、取り上げてみました。ちょっと反則かもしれませんがご容赦を。

永田地名解には次のようにあります。

Tapkop   タㇷ゚コㇷ゚   小山 達媚村ト稱ス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.482 より引用)

はい。ということで「達媚」は tapkop で「離れてぽつんと立っている円山」と考えて良さそうです。

tapkop は道内では割と良くある地名なのですが、ひとつわからないのが、津別のあたりには tapkop と呼ぶに相応しい山が見当たらないんですよね……。どのあたりを指して tapkop と呼んでいたのでしょうね。

ちなみに、現在では「達媚」の名前は橋の名前(と川の名前?)くらいにしか残っていないのですが、その代わりと言っては何ですが「達美」という地名があるようです。

 達美(たつみ)
 網走川右岸、もとタㇷ゚コㇷ゚(瘤)に達媚と当字をし達美に改めたもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.266 より引用)

ふむふむ。更科さんは tapkop を「瘤」としましたね。確かにその理解でも正しいような気がします。さて、津別の「コブ」はどこにあったのでしょう……?

活汲(かっくみ)

津別町北部の地名です。かつて国鉄相生線に同名の駅もありました。道南には「川汲」と書いて「かっくみ」と読ませる地名がありますが、こちらは「活汲」です。

では、今回は「北海道駅名の起源」から見ていきましょうか。

  活 汲(かっくみ)
所在地 (北見国)網走郡津別町
開 駅 大正13年11月17日
起 源 アイヌ語の「カックム」(ひしゃく)から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.217 より引用)

ほう……。確かに kakkum には「ひしゃく」という意味があるのですが、なんで「ひしゃく」が地名になるのか、良くわからないんですよね。

ちょっと時代を遡って、戊午日誌を見てみましょうか。

西岸また十八九丁も下り、樹立原凡三四丁にて
     カツクミ
相応の川有る也。其岸の樹立原の中に人家二軒、また弐丁計も隔りて弐軒有。カツクミは杓子の事(を)云りと。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.335 より引用)

ふーむ。松浦武四郎の時代から kakkum 説なんですね。意味が気になるところですが、

其起り如何なる儀にて号しものかしらず。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.335 より引用)

残念ながら「よーわからん」ということのようです。

永田地名解には、次のように記されています。

Kakkum   カㇰクㇺ   カクコ鳥多ク啼クニヨリ名ク 新冠郡ニモ同名同義ノ地名アリ○活汲村ト稱ス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.481 より引用)

おや、新冠にも「活汲」があったとは知りませんでした。それはさておき、今度は「カクコ鳥多く啼くにより名づく」と来ましたね。「カクコ鳥」は「カッコウ」のことだと思われますが、確かにアイヌ語でも kakkok と言うのだとか。

これまた良くわからない解が出てきたなー……という感じですが、続けて知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」を見てみましょうか。

(175)カックム(Kakkum) カックム或はカックミは白樺の皮で作った柄杓。この辺白樺多く,昔のアイヌはここから柄杓の材を得ることが多かったので,そう名づけたのであろう。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.291 より引用)

なるほど。もしかしたら kakkum-kar-us-i みたいな名前だったんでしょうかね。これは有り得そうな感じのする解釈です。

「カツコ鳥多ク啼クニヨリ名ク」とする説もあるが,それだとカッコクハウ(kakkok-hau カツコ鳥の・声)でなければならない。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.291 より引用)

ふむふむなるほど。このように明快な根拠を例示して批判してあるのは有難いですね。これを見た限りでは kakkum で「ひしゃく」だったと考えるのが良さそうな感じです。

ちなみに、川の向こうの山の更に向うの美幌町域に「栄森」というところがあるのですが、栄森の旧地名が「ポンカックミ」だったそうです。ここも白樺の林があるようなところだったのでしょうか。

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