2015年10月10日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (287) 「トペンピラウシナイ川・キナチャウシナイ川・忠志」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

トペンピラウシナイ川

道道 104 号に沿って南西に流れ、北見市端野町緋牛内のあたりから西に流れて常呂川に注ぐ川の名前です。国道 39 号沿いを流れる「ポントペンピラウシナイ川」という支流もありますね。

これは……と思ったのですが、幸いな事に山田秀三さんがネタに……ではなくて、取り上げてくださっていました(感謝!)。というわけで「北海道の地名」から。

トペンピラウシナイ川
 端野町内の川。常呂川の東支流で,美幌から来る国鉄石北本線の南を流れ,端野大橋(北見国道の橋)のたもとで常呂川に注ぐ。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.200 より引用)

はい。ここまではいいですよね。

 語意不明。トペン(ニ)・ピラ・ウシ・ナイ「いたや(の木)の・崖・にある・川」ぐらいの意だったろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.200 より引用)

確かに topen(-ni)-pira-us-nay で「イタヤカエデ(の木)・崖・ある・沢」と解釈することができますね。topen-ni あるいは tope-ni は「イタヤカエデの木」という意味なのですが、そもそもは to-pe で「乳汁」という意味だったのだとか。イタヤカエデの樹液はとても甘くて有用であるとのことで、「乳汁を出す木」で tope-ni と呼ぶようになった、というのが知里さんの語源解のようですね。

実は、topen には「甘い」という意味もあるそうなのですが、知里さんは「甘い」も元々は「乳汁」から来てると考えていたようです(「乳汁」→「イタヤカエデ」→「甘い」という三段論法?)。ですので、topen-pira-us-nay を「甘い・崖・ある・沢」と読み解くこともできなくは無いのですが、「甘い崖」というのは意味不明なので、さすがにこれは違うような気もします。

ちなみに、緋牛内のお隣の美幌町では、イタヤカエデの樹液でメープルシロップを作ろう!という動きがあるのだとか。これを見た限りでは、緋牛内の「トペンピラウシナイ」も、素直に「イタヤカエデ・崖・ある・沢」と読み解くべきなのでしょうね。

キナチャウシナイ川

トペンピラウシナイ川の西隣(北隣)を流れる川の名前です。東西蝦夷山川地理取調図にも「キナチヤウシナイ」とあり、また、戊午日誌には「キナイチヤウシナイ」とあります。戊午日誌の注には「明治29年 道庁図のタイピヨナイに当る」と記されていますが、手元の地図には「タイピヨナイ」に相当する川の存在を確認できませんでした。

北海道地形図」を見た限りでは、「キナチャウシュナイ」は現在の「キナチャウシナイ川」と同じ川を指しているように思われます。

「キナチャウシナイ」という川は道内あちこちにある(あった?)ようで、kina-cha-us-nay で「草・刈る・いつもする・沢」だったと考えられます。kina には「ござ」という意味もあったようで、単に「草」と言うよりは、ござの材料となる「スゲ」や「ガマ」のことを指していたケースもあったみたいですね。

忠志(ちゅうし)

一見すると和名のようにしか見えないのですが、実はこれで立派な(?)アイヌ語由来の地名だそうで……。北見市端野町北部の、常呂川が山間の川に姿を変えたあたりの地名です。

戊午日誌には次のように記されていました。

又是より酉のかたに向て五六丁も遣りて
     チユウシ
右のかた小川有。上は平崖計。其上樹木なし、見はらしよろし。地味南向にして暖気なりと云り。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.181 より引用)

確かに、地形図を見た感じでは、忠志の集落の東にある山?は、傾斜は厳しいけれどもてっぺんは割と平らなようにも見えます。忠志はとても小さな盆地状の地形で、なおかつ川沿いでもあるので、実は比較的穏やかな場所だったりするのでしょうか。

本名はチシユエウシなるよし。是は欵冬の如き少し赤ミ有草多く有りし処なりと。其草チシユヱと云よし。是の皮をむきて干置此村は喰料にするとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.181 より引用)

「欵冬」は「款冬」とも書きますが、「蕗(フキ)」のことだそうです。「チシユヱ」は、知里さんの「植物編」によると「アマニュウ」のことなのだとか。

§104. アマニュウ Angelica edulis Miyabe
(1) chisuye (chi-sú-ye) 「チすイェ」 葉柄 《長萬部,有珠,室蘭,幌別 ,白老,様似,名寄》
(2) chihuye (chi-hú-ye) 「チふイェ」 葉柄 《鵡川,沙流,穂別,千歳》
(參考)皮を剝いて,子供らわそのままで,大人わ油をつけて食った。また,蕗を煮る時の様に,鍋の口の大きさに切り揃えて束ねて煮て──束ねるのわ鍋の中でkirú(引っくり返す)のに都合の好いようにするためである,──煮えたら nimá(木鉢)に上げておいて冷めたら皮を剝いて食った。また,皮を剝いて二三日乾してから upúsi(束)を作って軒下の始終風の常る所に吊しておいて冬期の用に備え,使う時わ水に浸けておいて戻して刻んで ratáskep(野菜料理)などに入れた(幌別)。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.59 より引用)

ふつーに読んでいくと「へぇー」という感想しか出てこないのですが、これ、よーく見たら「フリーズドライ」そのものじゃないですか……。なかなか渋いことをしたものですね。

ということで、「忠志」は chisuye-us-i で「アマニュウ・多くある・ところ」だったと考えて良さそうに思えます。

ちなみに、この「忠志」ですが、現在の表記に落ち着くまでがなかなか傑作な経過を辿っていまして……

永田地名解は「チシユエウシ。チシユエ草ある処。今少牛村と称す」と書いた。明治35年図では忠志ではなく,少牛村である。大日本地名辞書(明治35年)は少牛(チセウシ)と記す。そんな音も残っていたのだろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.199 より引用)

はい。何と「少牛」と書いて「ちゅうし」と読ませていた時代があったのだとか。「少」を「ちゅう」と読ませるのはちょっと無理があるので、あるいは大日本地名辞書にあるように「ちせうし」だったのかも知れませんね。

ちなみに「北海道地形図」を見ると、「牛少」とある筈のところに「少」と記されていました。まぁ、「少牛」よりは「少年」のほうが馴染みがあったのでしょうが、地図にいきなり「少年」と記されても驚くほか無いですよね(笑)。

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