2015年12月5日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (303) 「別奴・幕別・白人」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

別奴(べっちゃろ)

幕別町札内の市街地から見て北東に位置していた地名です。さすがに読めなかったからか、現在は「千住」という地名になっています。

では早速ですが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

 別奴(ぺっちゃろ)
 現在の行政面からは敬遠されて消えてしまったが、札内駅の北東の集落、現在の千住をもとそう呼んだ。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.234 より引用)

はい。ここまでは良いですよね。

十勝の地名は或る漢学者が当て字をしたといい、奇想天外なものが多い。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.234 より引用)

「或る漢学者」が誰のことなのか興味津々ですが……

ペッチャロは川の口ということで、この付近の札内川の流れの分れについたもので、永田氏は「古川ノ本流ニ入ル処」と説明しているが、所謂合流点はプトであり、チャロは一本の川が二つと分かれせまくなって流れ出す口をいうので、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.234 より引用)

えーっと……、もしもし? 相変わらず更科節が炸裂していますが、よく読まないとよくわからない文章になってしまっているので、ちょいと山田秀三さんの「北海道の地名」からも。

分流点をペッ・チャロ(川口),また本川に入る処をペップッ(川口)の形で呼ぶのがこの辺での地名慣習なのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.308 より引用)

綺麗にまとめてくださってありがとうございます。なるほど、putchar (どちらも「くち」を意味する)の使い分けが良くわからなかったのですが、十勝のあたりでは pet-char が「分流点」で pet-put が「合流点」だったのですね。

というわけで、「別奴」は pet-char で「川・くち」、意図するところは「川の分流点」ということになろうかと思います。

幕別(まくべつ)

根室本線の「札内駅」の次の駅が「稲士別駅」で、その次の駅が「幕別駅」です。言わずと知れた幕別町の中心駅ですね。

というわけで、まずは「北海道駅名の起源」から。

  幕 別(まくべつ)
所在地 (十勝国)中川郡幕別町
開 駅 明治38年10月21日(鉄道作業局)
起 源 もと「止若(やむわっか)」といい、アイヌ語の「ヤム・ワッカ・ピラ」(冷たい水のがけ)から出たものであるが、当駅の所在地は幕別町であり、天北線にも「幕別」があってまぎらわしいことから、昭和38年10月1日、まず天北線の「幕別」を「恵北」と改め、ついで同年11月1日当駅を「幕別」と改めた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.125 より引用)

ふむふむ。なんだかわかったようで良くわからない由来ですね(「幕別」の意味は一切書かれていないわけで)。

更科さんの「アイヌ語地名解」には、次のようにあります。

幕別はアイヌ語のマク・ウン・ペッ(山陰にある川)に当字をしたもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.226 より引用)

えーと、「山陰地方にある川」では無いのでお間違えなく。mak-un-pet で「奥に・ある・川」だと考えて良いでしょうか。ただ、ここでひとつ問題が。そう、実は「幕別川」なる川が見当たらないのですね。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のようにあります。

幕別の由来
 少し前までは,この字を書いて「まくんべつ」と呼んでいたのだが,後に漢字に引きつけられて現称になった。この町内にあったマクンペッ「mak-un-pet 後(山の方)に・ある(入っている)・川」から出た名であろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.308 より引用)

ここまでは良いですよね。

松浦氏十勝日誌は札内川口から舟で止若まで下ったが「下るや,西岸ヘツチヤロ,西岸ヘヨイ,東岸マクンコヘツ(注:マクンペツ),東岸サツテクマクンヘツ,東岸サツトカチ(注:十勝川分流),東岸ジロトウ(注:白人),トウベツ右(注:途別川),エモエントウ,ホロノコチャ,イナウシヘツ右(注:稲志別川),ホロナイ,イイカンヘツ,トウロ,サルブツ,カモキナイ,ヤムワツカヒラ」と幕別町内の旧地名が順に書かれた。ここに出ているマクンペツは町の西端部だ。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.308 より引用)

はい。大変良いご指摘を頂きました。これは明治期の地形図でも確認できるのですが、実は「幕別」という地名は現在の幕別駅のあたりの地名ではなくて、札内駅のあたりの地名だったようなのです。

明治の古い地図では,別奴がフシコトカチヘツチヤロ(古い十勝川口)で,その川が十勝川(現)の南を東流,その川口のすぐ下から別の川が分かれていて,その分流口にマクンヘツチヤロと書き,少し東流してまた合流する処にマクンヘツと書く。そこからまた少し東流するとイナウシフト(稲志別川口)である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.308 より引用)

どうにも良くわからない話ですが、(1) 別奴(札内)のあたりで十勝川が南北二つに分かれていた、(2) 南の「旧十勝川」が十勝川と再合流するあたりで、更に南に分かれていた川があった(マクンペツ)、(3) マクンペツはそのまま東に流れて旧途別川に合流していた、といった感じでしょうか。

現在は札内の市街地の北東部を「千住川」という小河川が流れているようですが、あるいはこれが嘗ての「マクンペツ」だった可能性もありそうですね。そして、mak-un-pet は「奥に・ある・川」としましたが、あるいは「奥に・入る・川」の考えたほうが、より正確に意図が掴めるのかもしれません。

白人(ちろっと)

これまた失われてしまった地名ですが、当てた字が面白いので取り上げておくことにします。まずは山田さんの「北海道の地名」から。

白人 ちろと
 稲志別から北に十勝川までが旧白人村であるが,この地名の発生地は十勝川に近い場所であった。松浦図では,十勝川北岸の方にシロトウと書かれたが,明治29年5万分図では南岸の方にチロトーと記入されている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.308 より引用)

ふむ。そう言えば先ほど引用した文章にもそうありましたね。戊午日誌にも次のようにあります。

此上一面の蘆荻原、また三四丁も下りて
     ジロトウ
左りの方小川也。其名義不解。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.293 より引用)

左りの方」とありますが、これは帯広から十勝川下りをした時の記録なので、「左のほう」だと確かに十勝川温泉があるほうになってしまいます。

まぁ、地名がお引越しをするのは割と良くある話です。気にせず続けましょう。

永田地名解は「チロトー chir'o-to(鳥・多き・沼)。白人(しろと)村と称するは松浦地図の誤を受けたるなり」と書いた。あるいはチロット(chir-ot-to 鳥・多くいる・沼)の形で呼ばれてもいたか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.308 より引用)

「白人」という見た目は随分と突飛ですが、意味は何とも無難なものでしたね。chir-o-to あるいは chir-ot-to で、「鳥・多い(多くある)・沼」と見て良さそうです。

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