2016年1月24日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (310) 「昆布刈石・十勝太・トイトッキ沼」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

昆布刈石(こぶかりいし)

kompu-kar-us-i
昆布・獲る・いつもする・ところ
(典拠あり、類型あり)
浦幌町南部の地名です。鉄道は通っていませんが、国道 336 号の支線「浦幌道路」がすぐ近くまで来ています(昆布刈石が終点です)。また、同名の川(昆布刈石川)も流れています。ずっと「こんぶかるいし」だと思っていたのですが、「こぶかりいし」が正しかったんですね……(汗)。

割と古くからある地名で、東西蝦夷山川地理取調図にも「コンフカルウシ」とあります。また「東蝦夷日誌」にも次のようにあります。

此邊沙地也。(十三丁五十間)コンブカルウシ〔昆布刈石〕(岩崩平磯)名義、昆布取に多しとの儀。此岬風雨にて通り難き時は上に新道有て、其を廻る也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.293 より引用)
由来はさておき、「上に新道有て、其を廻る」というのが気になりますね。これ、「浦幌道路」の存在を予言しているような……(違います)。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のようにあります。

昆布刈石 こぶかりいし
 オコッペから西へ約4キロの海岸の地名,川名。語義はコンブ・カル・ウシ(kombu-kar-ush-i 昆布・を採る・いつもする・処)。古い秦地名考にも書かれた処。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.287 より引用)
おお、秦檍麻呂と言えば上原熊次郎よりも(若干)古い時代の人ですよね。確かに東蝦夷地名考には「コブカルイシ 昆布(コブ)採(カル)なり。イシはウシにて生なり」とありますね。

また、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のようにあります。

ここのトンネルのある岬は、阿寒の山からつづいている山連の山の腰骨であり、舟で沖を通るときに陸にあがって、ここの神を祭る祭壇に祈ったという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.242 より引用)
へぇ~。「阿寒の山からつづいている」と聞いて「ホンマかな?」と思ったのですが、地図で確かめてみたところ確かに阿寒富士までつながっていました(汗)。

ということで、そろそろ答え合わせしてもいいでしょうか。kompu-kar-us-i で「昆布・獲る・いつもする・ところ」だと思われます。

十勝太(とかちぶと)

{tokapchi}-putu
十勝川・河口
(典拠あり、類型あり)
浦幌十勝川の河口部にある地名で、かつて近くに「十勝太ロラン航路標識事務所」があったことで有名……でもなかったですかね(汗)。

現在、十勝太のあたりを流れる川は「浦幌十勝川」という名前ですが、明治の頃はこの川が「十勝川」と呼ばれていて、現在の十勝川河口部は「大津川」という名前で呼ばれていたようです。

では、今回も山田秀三さんの「北海道の地名」から。

十勝太 とかちぶと
 十勝川は下流で二つに分かれている。その東側の川口の処の地名。トカㇷ゚チ・プトゥ(tokapchi-putu 十勝川・の川口)の意。今は東側の川を浦幌十勝川と呼び,西側の川の方が本流扱いされるが,元来はこの東側の方が本流とされていたのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.287 より引用)
はい。見事に内容がかぶりましたね。

何もない葭原の中にある海のような川口は,遠い国にでも行ったような感じのする風景である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.287 より引用)
あー、これは凄く良くわかります。あまりに同感なので思いっきり引用してしまいました。

NHK 北海道本部の「北海道地名誌」には、次のような記載がありました。

 十勝太(とかちぶと) 浦幌十勝川川口近くの左岸。十勝川の川口の意。明治 10 年代から入地者があり,牛馬の飼養を主としていた。明治 32 年鉄道敷設を予定して区画を行ない,大津からの転住者も 20 戸ほどあったが,鉄道は新吉野から山手を通って厚内へ通じてしまった。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.656 より引用)
豊頃町大津が「鉄道を逃した町」だと言うのはちらっと聞いたことがあったのですが、そうか実際は対岸の十勝太だったんですね(そりゃそうか)。距離的にも現在の路線と大差無いように見えるのですが、どのような経緯で山側経由になったのか、ちょっと興味が湧いてきます。

さて本題に戻りましょう。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のようにあります。

 十勝太(とかちぶと)
 十勝川の川口の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.239 より引用)
そうですね。まだ続きがあったのですが……

十勝という地名は疑問の地名で、永田氏は「トカプチ。幽霊。十勝(国、郡、村)ノ元名。往時十勝「アイヌ」極メテ強暴常ニ侵略ヲ事トス、他ノ「アイヌ」之ヲ悪ミ「トカプチ」ト呼ビシト云フ」とある。然しもしそうだとすれば十勝アイヌ人が、自らの一族をトカプチウンクル(十勝人)と呼ぶのはおかしい。別の意味があったと思われるが明らかでない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.239 より引用)
「十勝」の語源についての論考でしたね。十勝の語源も諸説まちまちなのですが、「往時十勝『アイヌ』極メテ強暴常ニ侵略ヲ事トス」というのは割と良く耳にする話でした(いわゆる「十勝アイヌの武勇伝」)。他地のアイヌと比べても「十勝アイヌが攻めてきた」という伝承は有意に多い印象で、現在の「十勝モンロー主義」にも通じるところがあって興味深いですね。

「トカチ」というのも古くからある地名のようで、戊午日誌にも次のようにありました。

弐丁計も下りて
     渡 し 場
此処川巾は百五十間、馬舟・歩行舟等を以てわたす。則是トカチフトといへる処なり。海岸は寄り木多し。其上に小休所蘆屋にて大きく立たり。また其うしろに土人小屋弐軒有。此処を渡し守とす。又大通行等有る時はヲベツコウシより来りてわたす也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.371 より引用)
「渡 し 場」(別名トカチフト)というのは中々酷い扱いですが(笑)、十勝太という場所の本質を如実に示すいい表現のような気もしてきました。地名解ですが、{tokapchi}-putu で「十勝川・河口」と考えて良いと思います。あれ? 本題は一瞬でしたね(ぉ

トイトッキ沼

to-etok
沼・先端
(典拠あり、類型あり)
浦幌町と豊頃町の町界に位置する河跡沼の名前です。トイトッキ沼の畔には、太平洋戦争中に米軍の北海道上陸に備えて建設されたトーチカが今も残っているそうですね。

では、今回は「北海道地名誌」を見てみましょう。

 トイトッキ トイドッキ沼附近。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.655 より引用)
はい? なんだか狐につままれたような感覚ですが、仕方がありません。「トイドッキ沼」の項目を見てみましょうか。

 トイドッキ沼 海岸に近い豊頃町境寄りの沼。意味不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.653 より引用)
ありがとうございました(お約束)。続いて我らが「角川──」(略──)を見てみましょう。

 といとっき トイトッキ <浦幌町>
〔近代〕昭和30年~現在の浦幌町の行政字名。もとは大津村大字大津村の一部。地名はアイヌ語に由来し,沼の端の意(豊頃町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.922 より引用)
あーなるほど。to-etok で「沼・先端」なんですね。湧別の「登栄床」と同じような地名と考えて良さそうです。言われてみれば、どことなく雰囲気も似通っているような、そうでもないような……。

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