2016年1月31日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (312) 「長臼・旅来・安骨」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

長臼(おさうす)

o-sa-us-i
(山の)尻・浜のほう・ついている・ところ
(典拠あり、類型あり)
中川郡豊頃町の旧地名です。1980 年頃の地図(土地利用図)には普通に記載されていたのですが、現在の地形図には残念ながら記載がありません。日本郵政 Web サイトの「豊頃町の住所一覧」にも「長臼」という名前は見当たらないので、統廃合されてしまったのかもしれません(「礼作別」は現存しているのにね)。

では、早速ですが山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

長臼 おさうす,おさうし
 大津川を川口から約7キロ上った処の地名。オ・サ・ウシ・イ「o-sa-ush-i(山の)尻が・浜(大川端)に・ついている・処」ぐらいの意であったろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.291 より引用)
読みが二通り記してあるのですが、1980 年頃の地図(土地利用図)には「おさうす」とルビが振ってあったので、とりあえず本項は「おさうす」で進めます。o-sa-us-i で「尻・浜(前のほう)・ついている・ところ」と解したのですね。なかなか巧みな解ですが、o- を「(山の)尻」としたのがちょっと珍しい印象を受けます。

念のため、もう少し他の可能性も追いかけてみましょう。我らが「角川──」(略──)には次のように記されていました。

 おさうす 長臼 <浦幌町・豊頃町>
 古くはヲサウシともいった。十勝地方南東部,大津川右岸。地名の由来には,アイヌ語のオサンウシ(山尾の意)による説(北海道蝦夷語地名解),オサルウシ(川尻にヨシが群生する所の意)による説(豊頃町史),オサッウシ(川尻がいつも乾いている所の意)による説(同前)などがある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.278 より引用)
ふむふむ。永田地名解は o-san-us-i で「尻・(山から浜へ)出る・いつもする・ところ」と解したのですね(永田地名解自体には「山尾」と書かれていて、その註には「山尾ノ低ク川中ヘ出タル處○長臼(オサウス)村」とあります)。

そして、豊頃町史には二つほど別解が記されているようですね。o-sar-us-i で「川尻・葭原・多くある・ところ」か、あるいは o-sat-us-i で「川尻・乾いている・いつもする・ところ」という解のようです。どちらもアイヌ語の地名としておかしな感じは受けません。

もう少し記録を遡ってみましょうか。戊午日誌には「ヲサウシ」とある反面、東西蝦夷山川地理取調図には「ヲサリケウシ」と「ヲシヤリニ」という記載が並んでいるのを確認しました。なるほど、豊頃町史が「別解」を出してきたのは、これがベースだったのかもしれませんね。

「ヲサリケウシ」を o-sar-ke-us-i だと考えると「尻・葭原・のところ・多くある・もの」と読み解けますが、sarke で受ける例を知らないので少々びみょうな感じもします。あるいは o-sar-kesi で「(川)尻・葭原・その末端」と読めなくもありません。「ヲシヤリニ」であれば o-sar-un-i あたりでしょうか。これであれば「尻・葭原・そこに入る・もの」と読めなくもありません。

実際の地形と照らしあわせてみましょうか。山田秀三さんは「大津川を河口から約7キロ上がった処」としていますが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のようにありました。

 長臼(おさうす)
大津より五キロほど上流の部落名。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.238 より引用)
地名解の部分は永田地名解の引用なので、ささっとカットして……。

古い五万分図では現在の長臼部落より、一キロほど大津寄りの山端についている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.238 より引用)
これらの記載を元に 1980 年頃の土地利用図から推測すると、「十勝河口橋」のちょうど西側のあたりの地名のようにも思えます。もう少し北側には、かつては「葭原」だったと思える地形が広がっているのですが、どうやら山が大津川(十勝川)に迫ったあたりの地形だったと見るべきみたいですね。

諸説を散々見てきましたが、山田説の o-sa-us-i で「(山の)尻・浜のほう・ついている・ところ」あたりが正解に近そうな感じがします。あるいは「ヲサリケウシ」が「ヲサンケウシ」だったと考えると、o-{san-ke}-us-i で「(山の)尻・{浜のほうへ出す}・いつもそうである・ところ」と読み解くこともできそうですね。最後の解はあくまで試案ということで。

旅来(たびこらい)

tapkop-ray
円山・死んでいる
(典拠あり、類型あり)
豊頃町東部の地名です。国道 336 号の「十勝河口橋」が開通するまでは、旅来と対岸の浦幌町愛牛の間に「旅来渡船」が出ていました。フェリーではなく渡船で連絡している国道が 1990 年代まで現存していたのは驚きですよね。

さて、その響きからして素敵な印象を受ける「旅来」ですが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 旅来(たびこらい)
 大津に至る途中の部落。アイヌ語のタㇷコㇷライで、タㇷコㇷは瘤のような山、ライは死ぬこと。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.238 より引用)
ふむふむ。確かに tapkop-ray で「円山・死んでいる」と解釈することができますね。

永田氏は「戦死の小丘。戦場ナリ。旅来村ト称ス。松浦地図「タプコイ」トアルニ拠リテ誤ル」とある。現在神社のある小学校裏の丘の名である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.238 より引用)
あー、確かに丘の上に神社が存在しますね。なるほど、どことなく「タㇷ゚コㇷ゚」っぽい感じがしないでも無いです。

ただ、「戦死の小丘」説については更科さんも否定的だったようで、

古川をライペッ(死川)とよぶようにくずされた丘に名付けられたのではないかと思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.238 より引用)
という説を立てていたようです。もっとも、川が「死ぬ」ことは良くありますが、丘が「死ぬ」ということはそれほど無いような気もするので、ちょっと引っかかる感じもしますが。

もう少し追いかけてみると、「角川──」(略──)にこんな記載があるのが見つかりました。

 たびこらい 旅来 <豊頃町>
古くはタフコライと称した。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.844 より引用)
ふーむ。東西蝦夷山川地理取調図に「タツフコイ」とあるのは誤りではないかと言われていますが、これを見てもそんな感じがしますね。

地名の由来には, アイヌ語のタプコプライ(丸山で死んだの意)による説, タプカルライ(踏舞して死んだところの意)による説がある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.844 より引用)
これはまた……。tapkop-ray だけでも頭を抱えているのに、新たに {tap-kar}-ray という珍説まで出てきてしまいました。「舞い踊って死ぬ」というのも相当意味不明ですが、

なお,当地には当地のアイヌと日高アイヌが戦った時に,傷つき死に瀕した首長が踏舞したという伝説がある(豊頃町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.844 より引用)
こんな地名説話まであるのですね……。そう言えば、これもやはり十勝アイヌの武勇伝? ですね。

本題に戻りましょう。さすがに「舞い踊って死ぬ」というのは余りに意味不明なので、一旦は省いて考えたいと思います。となると tapkop-ray という選択肢しか残らないのですが、「戦死の小丘」というのも相当変な感じがしますよね。

更科さんは「死にゆく丘」ではないかとしましたが、あるいは逆に「死んだように静かな丘」なのではないか、という気がしてきました。例えば道東の「雷別川」は「流れが死んだように静かな川」ではないか、とされています。

旅来のあたりの十勝川(大津川)は、周辺に河跡湖が数多くあることからも、結構な「暴れ川」だったと考えられます(町境が揺れていることからも、それを窺い知ることができますね)。そんな地勢の土地にあって、旅来の小丘は「常にそこにある」ランドマークとして認識されていたので、「静かなる小丘」と呼ばれたのでは……と考えてみたのでしょうが、いかがでしょうか。

安骨(あんこつ)

chasi-kot
砦・跡
(典拠あり、類型多数)
最初の二件で文字数がエライことになってしまっているので、最後はあっさりと行きますね。豊頃町東部にして十勝川西岸で、カンカン山の麓の地名です。

では、あっさりと山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

安骨 あんこつ
 旅来の北の地名。これも妙な名である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.291 より引用)
確かに妙な地名ですよね……。もちろん、まだ続きがあります。

明治29年5万分図では安骨にチャシコツと振り仮名し,チャシコッナイという小流が書かれている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.291 より引用)
あっ(!)。なるほど、なんとなく全貌が見えてきましたね(笑)。

チャㇱ・コッ(chash-kot 砦・跡)が原名で,それに安骨と漢字をつけたのだが,読みにくいので音読みになって「あんこつ」となったものらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.291-292 より引用)
chasi-kot はそれこそ道内各所にある地名で、「砦・跡」という意味ですが、「安骨」という字を当てて「ヤスコツ」と読ませようとした……けれど、ちゃんと読んでもらえなかったので、結局「アンコツ」と読むようになっちゃいました、というオチだったようです。無理やり当てた漢字に引きずられて読みが変わってしまったという、よくある地名の悲喜劇のひとつだったのですね。

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