2016年2月11日木曜日

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「日本奥地紀行」を読む (54) 日光 (1878/6/23)

 


今日も引き続き、1878/6/23 付けの「第十信(完)」(本来は「第十三信(完)」となる)を見ていきます。ついに……と言うか、ようやくと言うか、日光から先の旅程が少しずつ見えてきました。

旅行の準備

「明日には私は、ぜいたくな生活に別れを告げて、奥地へ旅立つ」という書き出しから始まって、イザベラは具体的なルートの言及を始めます。

明日には私は、ぜいたくな生活に別れを告げて、奥地へ旅立つ。なんとかして日本海に出たいと思っている。ここでは、新潟へ行くコースについて以外は何の情報も得られない。その新潟コースはとらないことに決めたので、ブラントンの地図をじっくり研究してから、一ヵ所に決めて、「私は田島へ行く」とはっきり言った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.135 より引用)

ここで言う「田島」は、「会津田島駅」のある「南会津町」のことですね。つまり、イザベラは今市から鬼怒川沿いに北に向かい、分水嶺を越えて阿賀川沿いを下るルートを選んだようです。「ブラントンの地図」がどの程度の精度だったのかは良く知らないのですが、これはほぼ現在の野岩鉄道のルートそのもので、なかなかの慧眼……ですよね。

もちろん、当時は野岩鉄道はおろか国道 121 号も無かったわけで、道中は「道無き道を越え」となることが容易に想像できました。もちろんご主人様(イザベラ)に付き合わされる召使としては堪ったものではありません。

伊藤は安楽な生活を重んじる男だから、なんとか私にやめさせようとして「そんなことをしたらあなたは苦しい目にあいますよ」と言う。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.135 より引用)

しかし伊藤氏は流石です。「自分がしんどいから嫌」なのではなくて、あくまで「あなたが苦しい目にあいますよ」という論法でイザベラにご注進していたようでした。ただ、もちろんイザベラさんはこの程度の揺さぶりに動じる人ではありません。

しかし、これらの親切な人々は、私のベッドをうまく修繕してくれて、帆布を二つに折り、側柱の穴に紐で結んでくれた(*)。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.135 より引用)

「これらの親切な人々」が誰のことを指すのか、文脈からは今ひとつ不明なままなのですが(伊藤氏のことであれば、「これらの」とはならない筈)、いずれにせよ、イザベラが愛用していた「携帯ベッド」の修繕が終わり、持ち運びができる状態になったようです。

なお、この「携帯ベッド」の一文には以下の様な註が添えてありました。

* 原注──私は日本の奥地を旅行する人に忠告したいが、同じような携帯ベッドと、良い蚊帳をもってゆくがよい。これさえあれば、ふつうの不自由な思いをしないですむ。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.136 より引用)

快適なホテルでの宿泊が期待できない日本の奥地にあっては、「携帯ベッド」と「良い蚊帳」を持参するのが良いとのこと。前者は湿気対策と虫対策で、後者は読んで字のごとく、蚊などの飛翔体……違うか。空中にいる虫への対策、ということなのでしょうね。

私はまたこの三日間は、米と卵と、みみずのような太さと色をした粗い蕎麦を食べて生活してきているから、そんな予想を聞いても驚かない!
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.136 より引用)

これは、まるで一級フラグ建築士のような……(汗)。今後が楽しみな展開になってきました。

輸送と値段

イザベラは、これから「未開の奥地」に向かって探検を始める……というイメージがあるのですが、意外なことに明治初頭の日本にも、既に幅広い物流網が存在していたようです。

日本には陸運会社と呼ばれる陸地運送会社がある。本店が東京に、各地の町村に支店がある。それは旅行者や商品を一定の値段で駄馬や人夫によって運送する仕事をやり、正式に受領証をくれる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.136 より引用)

まぁ、確かに江戸の頃から「飛脚」というビジネスモデルはあったわけですが、「各地の町村に支店がある」というのは、もう少し会社組織的なものの存在を匂わせます。前島密が国内の郵便制度を確立したのが 1871 年あたりのことで、翌 1872 年には日本通運の原型となる会社が設立されているそうですから、1878 年のイザベラが言う「陸運会社」は、「内国通運会社」という日通の元となった会社のことなのでしょうか。いずれにせよ、水曜スペシャル的な(いつの時代だ)「未開の奥地」とは違うのだよ、ということを認識すべきであるような気がします。

この「陸地運送会社」のやり方とその良さについて、イザベラは次のように分析していました。端的に言えば、一般的なアウトソースのメリットに他ならないような感じですね。

農家から馬を借りて、その取引きで適度に利益をあげるが、旅行者が難儀をしたり、遅延したり、法外な値段を吹っかけられたりすることがなくてすむ。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.136 より引用)

ただ、この自称?全国チェーンと思しき「陸運会社」も、当然ながら「ユニバーサルサービス」までは実現できていなかったようで、

値段は地方によって相当にちがっている。まぐさの値段、道路の状態、借りられる馬の数によって調節される。一里《約ニマイル半》に対して一頭の馬と馬方で六銭から十銭を請求する。同じ距離を一台の人力車に一人の車夫がついて四銭から九銭である。手荷物の場合もほぼ同じである
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.136 より引用)

最終的な下請けコストに利益を上乗せする形で費用算定を行っていたようです。ただ、この一見アンフェアにも思えてしまうやり方についても、イザベラは非常に高く評価していました。

《この陸運会社はすばらしくよく運営されている。私は一二〇〇マイルの旅行でそれを利用したが、いつも能率的で信頼できるものであった》
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.136 より引用)

今まであまり気にしたことは無かったのですが、イザベラは、少なくとも本州にいた間は、この「陸運会社」のお世話になっていたみたいですね。これから旅行記を読み解いていくに際しては、物品の手配についても思いを巡らせてみると面白そうです(現地での自給自足が基本かと思っていたのですが、場合によってはそれ以外の選択肢もあるということなので)。

そんなわけで、イザベラは「陸運会社」の誠実さにゾッコンだったようですが、コンシェルジュ伊藤氏にとってはコミッションを得るルートがひとつ閉ざされることになるので、内心では忸怩たるものがあったようです。

私はいつもそれを利用したいと思う。伊藤はそれにはだいぶ反対の意向である。彼は農民との取引きで上前をはねる機会の多いことを期待していたのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.136 より引用)

それにしても、この伊藤氏、単なる通訳というよりもビジネスマンとしての才覚も凄いものがありますよね。

金銭と度量法

長かった「第十信」も、ようやく終わりが見えてきました。まずは改めてイザベラの所信表明から。

 いよいよ私の旅行は、「未踏の地」だけとなるであろう。そして、いわゆる「古い日本」の中を通ってゆくことになる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.136-137 より引用)

イザベラが「古い日本」の中に何を見出すのか。しかし、実は「古い日本」にも意外と近代的な一面も見て取れるのでなかなか侮れません。

少し話題が変わって、日本国外の読者向けの説明が始まりました。

金銭や距離については、それに相当する英語がないから、日本語を使うのが自然であろう。列挙すれば、一円は一ドル、あるいは私たちのお金の約三シリング七ペンスに相当する紙幣である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.137 より引用)

「1 円= 1 ドル」というのは中々衝撃的ですね。その後 1 ドルは 360 円まで値上がりしますが(何か違うような気もする)、現在は 110 円~ 120 円のあたりで推移しています。なんともどうでもいい内容ですいません(いつものことです)。

距離は里、町、間ではかられる。六フィー卜で一間、六十間で一町、三十六町で一里、すなわち英国の約二マイル半である。私が道路として書くときは、四フィートから八フィート幅の乗馬道を意味し、クルマ道路はそれとして明記する。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.137 より引用)

ふむふむ。こうやって見てみると「メートル法バンザイ!」と言いたくなりますね(笑)。



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