2016年2月14日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (316) 「萠和・芽武・日方」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

萠和(もいわ)

大樹町中部、中心街から見ると北東部の地名です。もう読みがわかった時点で楽勝な地名ですね。

「モイワ」という音からは、真っ先に mo-iwa が連想されます。mo は「小さな」あるいは「静かな」で、iwa は「岩山」あるいは「山」という意味です。ただ、iwa は単なる岩山ではなく、「神聖な山」を意味することが多かったようです。知里さんの「──小辞典」にも次のようにあります。

iwa イわ 岩山; 山。──この語は今はただ山の意に用いるが,もとは祖先の祭場のある神聖な山をさしたらしい。語原は kamuy-iwak-i(神・住む・所)の省略形か。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.38 より引用)

ふむふむ。iwak-i(あるいは ewak-i)の省略形ではないか、という説ですね。ということで mo-iwa は「小さな・(聖なる)山」とするのが良さそうでしょうか。

さて、悪質なコピペはこの辺にしておきましょうか(汗)。「角川──」(略──)には次のようにありました。

地名はアイヌ語のモイワ(小さい山)に由来し,北海道各地に同名の地があり,「見る」「眺める」の意味もある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1510 より引用)

いやー、札幌の「藻岩山」がお隣の「インカルㇱペ」と取り違えられた……という話はありましたが、mo-iwa 自体に「見る」「眺める」という意味は無かったような気が……。大樹の「モイワ」は「萠和」という字が当てられたのが珍しいのですが、近くにある山はカタカナのままの「モイワ山」でした。地形図で見た感じではこんもりとした感じの山ですね。

芽武(めむ)

大樹町中部、中心街から見ても東に位置する地名です。もう読みがわかったj(ry

では早速ですが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

芽武(めむ)
 大樹町の字名。日方川の支流メム川からでたもので、メムは湧きつぼのことで、これのあるところは魚が産卵に入るので、昔の生活に大事なところであった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.230 より引用)

mem は「泉地」と訳されますが、なるほど、魚とも絡んでくるのですね。確かに知里さんの「──小辞典」にも次のようにありました。

mem, -i めㇺ ①泉池; 泉沼; 清水が湧いて出来ている池または沼で魚が多く入る所; 湧きつぽ。②【チカブミ】古い小川; 古川の跡の小川。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.59 より引用)

ふーむ。湧水は飲水として有用なのだろうなと思っていたのですが、魚が集まるという意味でも重要なポイントだったのですね。メム川は歴舟川と比べるととても小さな川ですが、それはそれで重要な川だったということでしょうか。

日方(ひかた)

大樹町中部、中心街から見ると南東部の地名です。「日方泊」という地名は道内のあちこちにありますが、内陸部の「日方」という地名は珍しいですね。

「角川──」(略──)には、次のようにあります。

地内を流れる歴舟(れきふね)川はアイヌ語で,ベルプネナイ(束蝦夷日誌),ヘルフネナイ(廻浦日記),ベルフナイ(赤山紀行)などの呼称をもつが,和人はヒカタ川といった。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1237 より引用)

これは、「歴舟川」の項でも記しましたが、永田地名解のこの記述のことですよね。

Pe rupne-i   ペ ルㇷ゚ネイ   大水川 直譯水大ナル處、此川南風吹クトキ晴雨ヲ論セズ遽ニ大水流下ス故ニ和人「ヒカタトマリ」ト云フ「ヒカタ」ハ南風ナリ○歴舟村ト稱ス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.294 より引用)

「ヒカタ」は「南風なり」と書かれていますが、一般的には「南西(風)」を指すことが多いようですね。萱野さんの辞書にも pikata という単語の記載はありますが、元は「やませ」と同じような日本語由来の単語……なのでしょうね。本来は「歴舟川」の別名だった「ヒカタ(トマリ)」が、何故か内陸部の小地名として残ってしまった……という話のようです。「アイヌ語地名の──」という題名に偽りありですが、まぁ、たまにはいいですよね?

それはそうと、「北海道地名誌」に面白い記述を見つけました。

 日方(ひかた)市街の東南,歴舟川(日方川)右岸農村。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.624 より引用)

この後にこんな文章が続いています。

明治29年,白楊樹を原木にした石坂マッチ軸木工場が設けられたのがはじまりで,最盛時には 300 戸の市街が生まれたが,原木がなくなり工場とともに市街も形を消し,農業に定着する人々が開墾に従事した。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.624 より引用)

原木がなくなり工場とともに市街も形を消し」って……(汗)。ちなみに「石坂」はお隣の集落の名前ですが、開拓者(石坂善七)の名前に由来するみたいです。

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