2016年4月2日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (329) 「リクンヌシ山・ショロカンベツ川・ソエマツ川」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

リクンヌシ山

浦河町西部を流れる「元浦川」の東、支流の「ツケナイ川」の北側に位置する標高 428.6 m の山の名前です。アイヌ語の地名は川につけられたものが多く、山に名前がついているケースは割と珍しいのですが、この「リクンヌシ山」は、その珍しいケースのひとつですね。

では、早速ですが「北海道地名誌」を見てみましょうか。

 リクンヌシ山 439.0 メートル 元浦川中流左岸の山。高みにある原野の意か。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.574 より引用)

お約束の「意味不明」では無かったのが幸いですが、「高みにある原野」というのも今ひとつピンと来ませんね。

「リクンヌシ」という音からは、rikun-us-i かな、と思わせます。これだと「高いところにある・いつもする・ところ」となります。なんとなく意味は通じるような気がしますが、文法的にちとおかしな感じもするので、要検討なんですけどね。

ショロカンベツ川

元浦川を遡っていくと、ナイ川、オソウシナイ川(川尻に滝のある川?)、楡の沢川などの支流が元浦川に合流していますが、その更に奥で合流している支流の名前です。

戊午日誌「東部宇羅加和誌」には、次のように記されていました。

またしばし上りて
     シヨロカンペツ
右の方大川也。其名義は大滝中に有と云儀なりと、其滝の下まで鯇・いとう等上り候よしなり。山至て峻敷、其間より落来るとかや。両岸雑樹陰森たりとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.480 より引用)

ということで、so-oro-ka-an-pet で「滝・のところ・上・そこにある・川」あたりかなぁ? と思ったのですが、頭注には次のように記されていました。

so
horka
an
pet
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.480 より引用)

あ、なるほど。so-horka-an-pet で「滝・後戻りする・そうである・川」と考えたのですね。確かに「ショロカンベツ川」の上流部は南に向かっているので、horka している川だと言えそうです。うまい解ですね。

戊午日誌の頭注の解は、もしかしたら永田地名解のこの解にインスパイアされたのかも知れません。

Shi orokan pet  シ オロカン ペッ  逆流ノ大川 「シヨロカンペッ」ト聞ユレトモ「シー、ホロカ、ウン、ペッ」ニ同ジ「」「」互ヒニ通ス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.274 より引用)

ということで、si-horka-an-pet で「主たる・後戻りする・そうである・川」と考えたようです。文法的にはこの解が一番しっくり来るんですよね。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のようにありました。

シヨロカンベツ川
 神威橋から本流を約 4 キロ上った処に注いでいる東支流の名。明治29年 5 万分図にはシホロカアンベツと書いてある。永田地名解は「シ・オロカン・ペッ。逆流の大川。シヨロカンペッと聞こゆれども,シー・ホロカ・ウン・ペッに同じ」と書いた。shi-horkan-pet(大きい・後戻りしている・川)と解したもので,地形的にはその通りの川。明治29年図はそれを受けて書いたものか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.347 より引用)

ということで、永田地名解の説を紹介しつつ、まだ続きがあります。

 ただし,古い松浦図は現在と同じようにシヨロカンヘツであった。現在の川名は土地の音が残ったものらしい。東蝦夷日誌は「シヨロカンベツ。右(東)の方,大滝也」と書いた。入って調べていないが,もし滝があったのなら,ショ・オロ・カ・アン・ペッ(滝・の処・の上に・ある・川)の形だったのかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.347 より引用)

確かに、東蝦夷日誌の p.197 に、当該の記載がありますね。山田さんは、so-oro-ka-an-pet の可能性も捨てきれないと考えたようです。

まとめておきますと、si-horka-an-pet で「主たる・逆戻りする・そうである・川」か、あるいは so-oro-ka-an-pet で「滝・のところ・上・そこにある・川」のどちらか……ではないかな、と思います。

ソエマツ川

元浦川は上流部で二つの大きな川が合流しているのですが、ひとつが北から南に流れる「ニシュオマナイ川」で、もう一つが東から西に流れる「ソエマツ川」です。この両河川が合流して「元浦川」となります。

ちなみに、この両河川が合流するところの地名は、おなじみの「ペテウコピ」だったとのこと。pet-e-u-ko-hopi-i で「川が・そこで・互い・に・捨て去る・ところ」で、道内ではあちこちで見られた地名です。

さて、ソエマツ川ですが、戊午日誌「東部宇羅加和誌」の頭注に次のように記されていました。

ニシユイ(今ソエマプ)川筋
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.482 より引用)

これだけだと理由がわからないのですが、「ニシユイ」が、明治の頃には「ソエマㇷ゚」という名前に変わっていたみたいです。永田地名解には記載が無いにもかかわらず、明治期の地形図には「ソエマㇷ゚」と記載があるという、割と珍しいケースですね。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のようにありました。

ソエマプは右(東)股の川の名。今ソエマツ沢の名があるのはその訛りであろう。また現在は本流扱いされているためか,この名が地図に書かれなくなって来た。ソ・エ・オマプ「so-e-oma-p 滝・そこに・ある・者(川)」と聞こえる。中流まで上って見たが滝が見えない。明治26年版道20万分図では水源部の処々に滝の印がつけてあるが,語意はなお検討の要がある。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.348 より引用)

ふーむ、さすが山田さん。現地まで見に行かれていたんですね……。「ニシユイ」が「ソエマㇷ゚」に化けた理由ですが、そもそも「ニシユイ」と「ニシュオマナイ」に分かれていたという時点でそもそも混同があったということでしょうか(「ニシユイ」自体がそもそも誤謬だった可能性)。

ということで、「ソエマツ川」の由来ですが、山田さんの見立て通り so-e-oma-p で「滝・そこに・ある・もの」でいいのかな、と思えてきました。

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