2016年5月28日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (342) 「ポヨップ沢川・ペンケモシヨシ沢川・ピセナイ沢川」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ポヨップ沢川

静内川を遡っていくと、段々と左右に山が迫ってきます。東から西に流れる静内川の本流に対して、北から南に合流する「シュンベツ川」が合流するところは、おなじみの「ペテウコピ」と呼ばれていました。

ちなみに、「ペテウコピ」の北側には「タㇷ゚コㇷ゚」があるのですが、山田秀三さんによると「これだけ見事なのは珍しい。こんな山中まで行かれる方があったら一見をおすすめしたい」とのこと。確かに地形図を見ても 30 m ほどのこんもりした丘がポツンとあるのがわかります。車道が妙に高台を通っているのですが、もしかしていずれ水没する予定だったりするのでしょうか。

シュンベツ川と静内川の合流点から本流を更に遡っていくと、「双川ダム」という小さなダム(発電所?)があって、そこからもう少し遡ったところで南から北に注ぐ「ポヨップ沢川」という支流があります。

戊午日誌「東部志毘茶利志」には次のように記されていました。

漸々の事上りしや
     ホ ヨ
右のかた相応の川也。然し滝川に成て来り両岸皆雑木原。是当ヘテウコヒより上の第一の支流也。其名義は昔し此沢にて狼の子ども多く有りしを見付てより号しとかや。それまではホロナイと申せしとかや。本名はホヨウシナイなり。ホヨは狼のこと也。又ホロケウとも云へり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.610-611 より引用)

昔、蝦夷地には「エゾオオカミ」という種の狼がいたのですが、明治時代に「家畜を襲う害獣である」として徹底的に駆除が行われ、結果的に絶滅してしまったと言われていますね。エゾシカにとっては天敵だったエゾオオカミが絶滅してしまったことで、現在は個体数が増加傾向にあります。「害獣」の排除と生態系のバランスの維持を両立させるのは難しいですよね。

本題に戻りますが、永田地名解にも次のように記されていました。

Poiyop, or Hoiyop  ポヨㇷ゚  狼 此邊狼多シ故ニ名ク「ポヨㇷ゚」ハ凶害ヲ為ス者ノ義
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.254 より引用)

この「ポヨㇷ゚」という謎の単語についてですが、知里さんの「──動物編」には次のようにあります。

( 6 )poyóp ((ワダムラ;シズナイ))
 注 1.──「和田村誌」(イトオ・ハツタロオ執筆。1938年。ネムロ国ネムロ郡ワダ村役場発行)11ページに「ポヨプ(狼)」とある。
 注 2.──ヒダカ国シズナイ郡に「ポヨプ」という地名があって,ナガタ・ホオセイ氏はこれに“poiyop or hoiyop”とローマ字をあて,オオカミの意味にとり,『コノアタリ狼多シ。故ニ名ズク。「ホヨプ」ハ凶害ヲナス者ノ義』と注している(Nagata, p. 254)。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 動物編』」平凡社 p.142 より引用)

永田地名解の中の「ポヨㇷ゚」は半濁点なしの「ホヨㇷ゚」にも見えるのですが、かすかに半濁音の欠片が見えたように思ったので「ポヨㇷ゚」としました。ただ、知里さんが参照した分も同じように半濁点が欠けていたということでしょうか。

知里さんの「動物編」からわかることは、poyop は静内だけで見られる単語ではなく、遥か東の根室でも記録されている方言である、ということですね。

さて、「方言と共通語」ではありませんが、「狼」を意味するアイヌ語には別の単語もあります。実は既に戊午日誌でも言及されているのですが、hórkew という単語があるのですね。服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」を見ても、hórkew は八雲・沙流から名寄・美幌あるいは樺太のあたりまで広いエリアで通じていたようです。

ここでようやく「あっ」と思い当たったのですが、hórkewhorka-us と音が似ています。horka-us-nay だとすれば「逆戻り・いつもする・沢」となります。静内川は北東から南西に向かって流れていますが、「ポヨップ沢川」は南南東から北北西に向かって流れています。完全に horka しているとは言い切れないですが、ポヨップ沢川の上流部は南西から北東に流れているため、「後戻りする川」と言えるのではないかな、と。

ただ面白いのは、川の名前が horkew(-us-nay) ではなく poyop-us-nay として伝わっているところです。その名の意味を辿ると horka ではないかと思われるのですが、かなり早いタイミングでその意味が失われて「狼の川」になってしまったことが伺えます(horkew から poyop に変わったのは少々謎ですが、このあたりでは poyop のほうが広く使われていたということなんでしょうか)。

この「ポヨップ沢川」からは、言葉遊びから地名説話の誕生に至るまでの流れを読み解けるような気がします。「狼の多い川」という解も否定できるものではありませんし、大切にしたいですね。

ペンケモシヨシ沢川

静内川にポヨップ沢川が合流するところのすぐ上流に「静内ダム」があります。ダム堤から 0.4 km ほどのところで「パンケモシヨシ沢川」が合流していて、その更に 0.6 km ほど先で「ペンケモシヨシ沢川」が合流しています。いずれも南東から北西に注ぐ支流です。

こちらも戊午日誌「東部志毘茶利志」に記載がありました。

過て
     ハンケモシヨシ
右のかた小川。其名義は蛆の事也。訳は昔し此処にて熊をとりし処、其熊の肉直に皆蛆になりて喰はれざりしが故に、此沢え捨置し処、その蛆追々山まで上りて多く成、今に多く居るよりして号るとかや。夷言蛆をモシヨシと云よし也。魚類鱒と鯇と也。また上りて
     ヘンケモシヨシ
同じく並び也。其名義上の蛆の沢と云義也。是も鱒と鯇と有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.612 より引用)

えー……もしもし? 「クマを仕留めたらクマの肉が一瞬でウジ虫に喰われてしまったので放置したところ、ウジ虫が山のようにウジャウジャ増えてしまったから『ウジムシ川』になった」って……(汗)。どんな三流ホラーですか!?

気を取り直して、永田地名解を見てみましょう。

Panke moshoshi  パンケ モショシ  下ノ蛆(ウジムシ)
Penke Moshoshi  ペンケ モショシ  上ノ蛆(ウジムシ)
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.254 より引用)

うっ(汗)。どんだけウジ虫が好きなんですか……。うん、確かに mosóspe で「ウジ虫」という意味はありますけれども……。

さて、ウジ虫と言えば、平取にもこんな川がありました。

Moso ush pe  モソ ウㇱュ ペ  蚋(ウジ)多キ處 鹿死シテ蚋多シ故ニ名ク
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.236 より引用)

ということで、ナガタ・ホオセイさんはウジ虫を猛烈にプッシュ中のようですが、「ペンケモシヨシ沢川」は penke-mo-so-us-nay と考えるべきじゃないかなと思うんですよね。「川上の・静かな・滝・ついている・沢」ではないかなぁ、と。

あるいは、既に so-us-nay という川があって、それと区別するために mo(この場合は「小さな」と考えるほうがわかりやすい)を冠したのかな、とも考えてみたのですが、ちらっと見た感じではそれっぽい川は見当たらないようなので、どちらの川も小ぢんまりした滝があったのではないかなぁ、と思います。ウジ虫が山のように湧いていた……というのは、ちょっと想像したく無いですしねぇ(汗)。

でも、「ウジ虫たくさん川」が平取だけではなく静内でも見つかったとなると、これは意図的な改変を疑うべきなのでしょうね(笑)。「意図的な改変」というと只ならぬ雰囲気すら感じられますが、どちらかと言えば「言葉遊び」に類するものだとお考えください。たまたま音調の似ている別の言葉を持ってきてストーリーをでっち上げてしまうというのは、現代の日本でも割と良く見かけます。俗に「オヤジギャグ」とも言いますよね(汗)。

ピセナイ沢川

ペンケモシヨシ沢川の上流側を流れる川の名前です。では早速ですが永田地名解(ウジ虫推し)の記述を見てみましょうか。

Pise nai  ピセ ナイ  魚膓川 ?
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.254 より引用)

pise は魚類の「浮袋」を意味する単語です。pise-nay だと「魚の浮袋・沢」となりますが、魚の浮袋が山のようにある川だったのでしょうか。

さて、この「魚の浮袋川」ですが、残念ながら戊午日誌「東部志毘茶利志」には記載がありません。また、東西蝦夷山川地理取調図にも記載が無いようです。ということで、戊午日誌から静内川の右支流を抜き出してみることにしました。

ハンケモシヨシ(右のかた小川)
ヘンケモシヨシ(同じく並び)
ウエンシリウトルクシナイ(右の方小川)
リイセナイ(右の方中川)
シケラフケウシナイ(右のかた小川)

また、東西蝦夷山川地理取調図からリストアップするとこんな感じです。

ハンケモシヨシ
ヘンケモシヨシ
ウエンシリウトルナイ
ウツナイ
リイセナイ
シケラツケウフシナイ

この情報を頭の隅に措いた上で、永田地名解を見てみましょう。

Panke moshoshi  パンケ モショシ
Penke Moshoshi  ペンケ モショシ
Wen shiri uturu kusu nai  ウェン シリ ウト゚ル クㇱュ ナイ
Utu nai  ウト゚ ナイ
Risei nai  リセィ ナイ
Pise nai  ピセ ナイ
Shike rapke ushi  シケ ラㇷ゚ヶ ウㇱ

まず言えることは、このあたりの永田地名解は静内川の右支流を下流から遡って順に記しているように見えます。また、戊午日誌には「ウツナイ」の記載が無いこともわかりますね。

そして、永田地名解にある「ピセ ナイ」の実在が、個人的には少々疑わしく思えてきます。少なくとも現在の「ピセナイ沢川」は、永田地名解に言う「リセィ ナイ」のほうが適切だったように思えるんですよね。

そう思いながら「戊午日誌」を見てみると、あっさり答が書いてありました。

また上りて
     リイセナイ
右の方中川也。其名義は本名ヒイセナイにして、むかし此処に土人鹿取り居て、鹿の糞袋を取り、それに油を入置しに、跡にて犬が喰てしまゐしと云によって号る也。ヒイは腸の事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.613 より引用)

ああ、やはり「リイセナイ」と「ピセナイ」は同じ川を指していたようですね。「ヒイは腸の事也」とありますが、ちらっと調べたところでは piye で「脂がのった」という意味なのだとか。そういえば「美瑛」の由来が piye でしたっけ……。

「ピセナイ沢川」は戊午日誌に言う「リイセナイ」に由来するっぽいということで、永田地名解の「リセィ ナイ」の項を見ておきましょうか。

Risei nai  リセィ ナイ  ?
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.254 より引用)

これまたお約束の展開ですが、幸いなことに補足がありました。

此處断岸絶壁登ル能ハズ恐クハ「ニセイナイ」ノ訛リナランナレドモ土人ハ「リセイナイ」ナリ苗ヲ抜取ルノ義ナリト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.254 より引用)

現代語風に直しておきますね。

ここは断崖絶壁で登ることができないので、おそらく「ニセイナイ」の訛りだと思われるが、土地の人間は「リセイナイ」で苗を抜き取るという意味だと言っている。

ふむ。rise で「抜く」という意味がありますから、rise-i-nay で「抜く・それ・川」あたりで考えたのでしょうか。ただ、地勢を考えると nisey-nay で「渓谷・沢」と考えるのが自然に思えます。

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