2016年6月26日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (351) 「浦里川・泊津・チョリパライ川」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

浦里川(うらり──)

新冠の市街地のすぐ東隣を流れる川の名前です。「うらり──」とルビを振りましたが、もし間違いだったらすいません。もちろん南アメリカ産の猛毒とは一切関係ない筈です。

東西蝦夷山川地理取調図には「ヲラリ」という地名(おそらく川名)が記録されている一方で、東蝦夷日誌には少し違った形で記されています。

(四丁四十間)ヲラリ(小川、漁場)本名ウラエペツ也。柵を架魚を取義。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.167 より引用)

どうやら uraye(-us)-pet で「その梁(・ある)・川」と考えたようですね。一方、永田地名解には次のようにありました。

Orari  オラリ  沙淖(スナヌカル)處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.244 より引用)

うーん、ちょっと良くわからないですが、もしかしたら oraota の転訛だったりするのでしょうか。ota-ri で「砂・高い」と解釈できたりするんでしょうかね……?

この地名はかなり古くから知られていたようで、秦檍麻呂の「東蝦夷地名考」にも記載がありました。

一 ヲラリ
 夷人、舟をめくらし、逆漕するをヲラリと云。地名となりたる事不詳。
(秦檍麻呂「東蝦夷地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.25 より引用)

ふむふむ。知里さんの「小辞典」を見ていると rariw という語彙があって、「水棹」あるいは「水底につっぱって舟をやる」という意味があるそうです。o-rariw で「そこで・水底につっぱって舟を動かす」と考えたのでしょうか。

個人的には、東蝦夷日誌の解が「割とありそうな解」に思えるのですが、他の記録を見た感じでは殆どが「ヲラリ」や「ウラリ」などで、「ウラエベツ」説を取るものが殆ど見当たらないようです。また、話をややこしくしているのが浦河の「元浦川」の存在で、こちらについても永田地名解は「ウララ ペッ」で「霧川」であるとしながらも「一説『ヲラリペツ』ニテ沙深キ川ノ義」としているため、混同しないように注意が必要です。

あと、静内の浦和には「有良川」があるのですが、これも音が似てますよね。いずれの川も海に直接注いでいるのも気になります。

今日のところは決め手が見つからないので、永田地名解の「砂ぬかる所」かもしれないかな、としておきましょう。個人的には、静内の「有良川」と同様に、o-rar で「河口・潜る」という可能性もあるんじゃないかなーと思っていたりもしますが……。

泊津(はくつ)

新冠川の南側、新冠駅から見ると東北東に位置する集落の名前です。現在は「西泊津」「東泊津」という地名のようですが、元々はどちらも「泊津村」に含まれていました(他に「朝日」「大富」なども)。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されています。

泊津 はくつ
 新冠川下流の地名,川名。明治29年5万分図ではハックツ(ポロハックッとも)とポンハックッの小流が並んでいて新冠川の東岸に注ぎ,泊津村と書いてある。永田地名解は hatkut「葡萄こくわ(?)」と書いた。ハッ(山葡萄),クチ(こくわ)と並べたものだったろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.356 より引用)

知里さんの「植物編」を見ると、確かに kutchi で「サルナシ(の果実)」、即ち「コクワ」であると記されています。ということで hat の出処が不明なのですが、素直に「山ぶどう」ではないかと考えたようですね。

一方で、更科源蔵さんは次のように記しています。

 泊津(はくつ)
 新冠町の字名。アイヌ語のハクッチ(しらくちづる即ちコクワのこと)からでたもので、ここ出身の人を胡桑野という姓を名乗っているので、もともとはハクッチ・ウㇱ(コクワの沢山あるところ)といった地名かと思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.81 より引用)

更科さんは hakutchi で「コクワ」としています。苗字の件は傍証としても興味深いですね。「ハクッチ」の「ハ」の出処が良くわからないという話がありましたが、語源としては hat-kutchi が正しいのかもしれません。

「コクワ」が「山ぶどう」っぽいと考えて、「山ぶどうコクワ」と呼んだ……とか。日本語でも「カニカマボコ」とかありますよね(汗)。

ということで、「泊津」は {hat-kutchi} で「コクワ」である、としておきましょうか。

チョリパライ川

泊津から見て新冠川の対岸側を流れている川の名前です。モンゴルの大統領っぽい名前ですが、もちろん関係は無い……はずです。

東西蝦夷山川地理取調図には「ソリハライ」という名前の川が記されています。そして、ここからが傑作なのですが、明治期の地図には「去童」と記されています。どうやら「去童」で「さるわらんべ」と読ませたそうなのですが……(汗)。昔の人の想像力に乾杯!ですよね。

さて、気になる「去童」の意味ですが、永田地名解には次のようにありました。

Sori pa rai  ソリ パ ライ  草履ヲ見付シ處 ○去童村
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.249 より引用)

えーと、これは……。sori がもしかして「草履」だったりするのでしょうか(汗)。湧別町の「計呂地」の地名解も相当傑作でしたが、負けず劣らずシュールな感じがします。

幸いなことに、今回はフォローがありまして、

Sō para-i  ソー パ ライ  瀑廣キ處 「ソリパライ」ノ原名
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.249 より引用)

永田方正も実際のところは so-para-i で「滝・広い・ところ」ではないかと考えていたようです(本来は「ソー・パラ・イ」と区切るべきなのですが、原文そのままにしています)。

一方で、更科源蔵さんは「去童」の意味として次のように記していました。

 去童(さるわらんべ)
 新冠町の旧字名。アイヌ語のサㇽ・ワ・ル・ウン・ぺ(湿地のわきに道のある川)と思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.81 より引用)

ものは考えようと言いますか、確かに「さるわらんべ」のアイヌ語地名解としてはありそうな感じがします。ただ、「ソリハライ」という古い記録のことを考えると、ちょっと違うんじゃないかな、と思ってしまいます。

ただ、良いヒントにもなったような気がします。現在の「チョリパライ川」は sar-pa-ray(-pet) で「葭原・かみ(上)・死んだように流れの遅い(・川)」と考えられないでしょうか。実際の地形と照らしあわせてみると、ray を「死んだように流れの遅い」とするよりは、川自体が伏流している(地下に潜っている)ことを指しているとも考えられるかもしれません。

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