2016年7月17日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (357) 「パンケサツヤチ沢・ペンケシュウイカナイ沢・アイマベツ沢」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

パンケサツヤチ沢

panke-sat-yachi
川下の・乾いた・谷地
(?? = 典拠なし、類型あり)
新冠川の岩清水ダムから更に上流に遡ったところで合流している東支流の名前です。さすがの松浦武四郎もこのあたりは現地を踏破できなかったようで、聞き書きベースで「東西蝦夷山川地理取調図」などをまとめたようです。そのため、東支流と西支流が逆になっていたり、いくつかの沢の名前が漏れていたりします。この「パンケサツヤチ沢」も記載のない沢のひとつです。

というわけで……どうしましょう(汗)。「パンケサツヤチ」を素直に読み解くと panke-sat-yachi で「川下の・乾いた・谷地」となるのですが、「谷地」は「湿地」のことなので、「乾いた谷地」というのはどうにも矛盾した感じがしてしまいます。

念のため補足しますと、panke は似たような地名(川)が複数存在する場合の識別子です。sat-yachi という川が複数あって、その「川下側の」という意味となります。

ただ残念なことに、現在はこれ以上掘り下げるだけの情報がありません。萱野さんの辞書によると、yachi は「泥」とも解釈できるようなので、土壌の露出した、日頃は水の流れない川だった……とも考えられるのかもしれません。

ペンケシュウイカナイ沢

siwri-ni-us-nay?
シウリザクラ・木・多くある・沢
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
パンケサツヤチ沢から 500 m ほど遡ったところに「下新冠ダム」があるのですが、ダムから更に 200 m ほど遡ったところで合流している西支流の名前が「ペンケシュウイカナイ沢」です。

今回は、幸いな事に戊午日誌「東部毘保久誌」に記載がありました。

またしばしを過て
     シユイカウシナイ
右の方小川。是恐らくはシユリニウシナイの訛りなり。シュリは木の名也。また並びて
     べンケシユイカウシナイ
右のかた、是上のシユイカウシナイと云儀也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.181 より引用)
「ペンケシュウイカナイ沢」は、戊午日誌に言う「ベンケシユイカウシナイ」のことだと思われますが、実際には西支流(左支流)であるにもかかわらず、戊午日誌には「右のかた」と書かれています。この誤謬は東西蝦夷山川地理取調図でも同様で、右と左を間違えたか、あるいは「パンケサツヤチ沢」と混同していた可能性が考えられそうですね。

ちなみに、永田地名解には「左支」グループの中に「シュイカ ウㇱュ ナイ」が現れます。一見正しいように見えるのですが、「ピンネ沢」や「ホロピナイ沢」と同列に扱われているので、日本基準での「左支流」、つまりはアイヌ基準での「右支流」(東支流)として扱われています。現在の「ペンケシュウイカナイ沢」は西支流なので、記録ミスなのか、あるいは川名が移動してしまったのか、なんとも判断に苦しむ状態です。

戊午日誌では siwri-ni-us-nay で「シウリザクラ・木・多くある・沢」ではないかとしていますが、永田地名解では……

Shuika ush nai  シュイカ ウㇱュ ナイ  衣物ヲ燒キタル澤
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.246 より引用)
うーむ……。これってどういう意味なんでしょうねぇ……。

永田地名解の「衣物を焼いた沢」はどうにも意味不明なので、今日のところは「シウリザクラ・木・多くある・沢」をプッシュしておきたいのですが、「シユリニウシナイ」ではなく元々「シユイカウシナイ」だったのであれば、suy-ka-us-nay で「穴・上(かみ)・そこにある・沢」とも考えられそうですね。

アイマベツ沢

hay-oma-pet?
エゾイラクサの繊維・そこにある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
下新冠ダムから 1.8 km ほど遡ったところで合流している西支流の名前です。こちらは東西蝦夷山川地理取調図にもちゃんと西支流として描かれています。

戊午日誌「東部毘保久誌」に記載がありました。

またしばしを過て
     アイマベツ
左りの方相応の大川なりと。其名義は尋麻多きよりして号しもの也。此川は相応に大きなる由なるが、小川はなしと。只一すじ山に到るよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.181 より引用)
実際にはアイマベツ沢を 900 m ほど遡ったところで二手に分かれているのですが、まぁ、この程度の違いは仕方がないですよね。気になる由来ですが、hay-oma-pet で「エゾイラクサの繊維・そこにある・川」と考えたようです。

一方で、時折斬新な解釈を投入して読者を煙に巻く永田地名解には、次のように記されていました。

Ai ma pet  アイ マ ペッ  矢ノ浮游セル川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.247 より引用)
ふむ。ay-ma-pet で「矢・泳ぐ・川」と解釈したのですね(汗)。ただ、今回は秀逸な補足説明がついていました。

故事アリ按スルニ地名アリテ後ニ小説ヲ傳會スル事其例多シ故ニ故事ハ信ズベキ者ニアラズ此地名ノ元ハ「アイヲマペ」ナルベシ何トナレバ今土言ノ「ハイヲマペ」ハ即チ「アイヲマペ」ノ訛リニシテ其義ハ蕁麻アル處ノ謂ヒナレバナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.247 より引用)
なぁんだ、良くわかってるじゃないですか(笑)。でも、ここまでわかっていたんだったら、「蕁麻アル處」を正にしておけば良かったのに……。

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