2016年7月30日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (360) 「節婦・大狩部・受乞」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

節婦(せっぷ)

pon-sep-pet
小・広くある・川


JR 日高本線の新冠駅から苫小牧方面に向かうと、次の駅が「節婦駅」です。ということで、駅名ならおまかせ「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  節 婦(せっぷ)
所在地 (日高国)新冠郡新冠町
開 駅 大正15年12月10日(日高拓殖鉄道)
起 源 アイヌ語の「ポロ・セㇷ゚・ペッ」(親である広い川)がなまって、「節婦」となったもの。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.91 より引用)

あー……そうですよねぇ。ただ、念のため東西蝦夷山川地理取調図を確かめた所、「セツフ」という川(だと思う)はあるのですが、「ポロ・セㇷ゚・ペッ」が見当たらないのです。

明治期の地形図を見ると「ポンセプ川」と「ポロセプ川」が並んで流れていることが確認できます。これらは現在の「節婦川」と「大節婦川」のことだと考えられるのですが、節婦駅があるのは「節婦川」、即ち「ポンセプ川」の近くです。まぁ、どっちにせよ sep なのは違いないんですけどね……。

ということで、「節婦」は sep、もう少し細かく書くと pon-sep-pet で「小・広くある・川」であると考えて良さそうです。

大狩部(おおかりべ)

o-punkar-us-pet
河口・サルナシの蔓・多くある・川


JR 日高本線の節婦駅から苫小牧方面に向かうと、次の駅が「大狩部駅」です。ということで(以下同文

  大狩部(おおかりべ)
所在地 (日高国)新冠郡新冠町
開 駅 昭和33年7月15日 (客)
起 源「大狩部」部落にあるところから名づけられたが、これはアイヌ語の「オ・カル・ぺ」(川尻の曲がっている川) から出たものと思われる。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.91 より引用)

ほう。ちなみに大狩部駅のすぐ近くを流れる川が、前述の「大節婦川」なのですが、「オ・カル・ペ」とはこれいかに……。

東西蝦夷山川地理取調図を見ても、それっぽい川が無いので変だなぁと思っていたのですが、どうやら厚別川の支流の「ヲフンカルシ」が「大狩部」の元になっていた可能性が出てきました。戊午日誌「東部安都辺都誌」には、次のようにあります。

また少し上りて
     ヲフンカルシベ
右の方小川。其名義は葡萄・猿猴桃等多く有るよりして号しと。本名はヲフンカルウシヘツと云よし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.90 より引用)※「猿猴桃」の「猿」は、獣偏に爾

ということで、どうやら元々は o-punkar-us-pet で「河口・サルナシの蔓・多くある・川」だったみたいです。

ちなみに、永田地名解には少々違った解が記されていました。

O bungau un pe  オ ブンガウ ウン ペ  吥坭樺(ヤチカバ)アル處 大狩部村
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.250 より引用)

punkaw は、知里さんの「植物編」によると「ハシドイ」を指すのだそうです。「吥坭樺」は「ヤチカンバ」のことのようにも思えますが、「ヤチカンバは、1958 年に北海道の更別村で発見され」とする Web サイトもある(https://www.ffpri.affrc.go.jp/labs/raretree/7_BOindex.html)ので、「植物編」が編纂された時点では種として確立?されていなかったのかもしれませんね。

新冠川沿いに「泊津」という地名がありました。これは「コクワ」を意味しますが、「ハ」が hat で「山ぶどう」を指す、という解釈もありました。厚別川沿いにも「葉朽」で「ハクツ」と読ませる地名がかつて存在していたこともあり、この辺りは植生に関する地名が多い印象を受けます。

受乞(うけこい・うけごい)

ukur(-kina)-kar-p
タチギボウシ・採る・ところ


現在は「新冠町共栄」という地名に変わってしまいましたが、川の名前として健在です。まずは「北海道地名誌」に興味深い情報がありましたので、見ておきましょうか。

 共栄(きょうえい) もとの受乞(うくるき)地帯。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.566 より引用)

うはっ、「受乞」で「うくるき」と読ませていたんですね! 改めて見てみると、東蝦夷日誌にも次のようにありました。

ウクルカワ〔ウクルカプ、受乞〕
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.157 より引用)

戊午日誌「東部安都辺都誌」にも記載がありました。

またしばし過て
     モウクルカワ(プ)
右の方小川有る也。其名義は昔し老人が此処に漁事に来りて、其魚の皮を干て置し処、鳥が来りて其を皆とりしによって、大に腹立たるとかや。其故事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.95-96 より引用)

うーん……(絶句)。えーと、老人が漁にやってきて、獲った魚の皮を干しておいたところ、鳥に全部奪われてしまったのでブチ切れて「もう来るか!」という話なんでしょうか(最後は多分違う)。

なんだか良くわからない話になってきたので(自分のせいでは?)、気を取り直して永田地名解を見てみましょうか。

Ukuruki katp  ウクルキ カップ  澤潟(サジオモダカ)取ル處 土人其ノ白莖ヲ食フ○受乞村
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.250 より引用)

どうやら「オモダカ・採る・ところ」と解釈したようですが、知里さんの「植物編」には ukur-kina は「タチギボォシ」である、とあります(「植物編」によると、「オモダカ」は sumari-kina ではないかとのこと)。

今日のところは、一旦知里さんの解で書いておこうかと思います。ukur(-kina)-kar-p で「タチギボウシ・採る・ところ」と解釈できるかなぁと思います。

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