2016年8月21日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (367) 「ピシナイ川・仁立内・ルイカナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ピシナイ川

ru-pes-nay?
路・沿って下る・沢
ru-pis-nay??
路・浜・沢
(? = 典拠未確認、類型多数)(?? = 典拠なし、類型あり)
日高門別川を河口から 10 km ほど遡ったところで合流している北支流の名前です。合流点のすぐ近くに「庫富」という集落がありますが、これは「兵庫」と「富山」の人が多く入植したことから改名されたもののようで、もともとは「山門別」(やまもんべつ)という名前でした。

戊午日誌「東部茂無辺都誌」に記載がありました。

また少し上りて
     ヒシナイ
左りの方相応の川也。其名義昔し山の土人山より下り、浜の土人上り来りて、此処にて出合、互に山の事や浜の事を聞、其後大に喧嘩をなせしと云よりして号しと。ヒシは聞と云事のよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.616 より引用)
地名の由来が「山から来た人と浜から来た人がここで会話して、その後大げんかをしたから」って、コントでしょうか……(汗)。確かに pisi-nay で「尋ねる・沢」と解することはできちゃうわけですけどね。

この「ピシナイ川」ですが、明治期の地形図には「ポロペシュナイ」と書かれているように見えます。また、永田地名解には次のようにありました。

Poro pe shui  ホロ ペ シュイ  大ナル水穴澤 ?
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.238 より引用)
文末に「?」をつけて誤魔化そうとするあたり、永田氏のテヘペロ感が如実に感じられますね(そうでもないだろ)。ただ、解は割とちゃんとしたものに感じられます。pe-suy で「水・穴」ではないか、ということですよね。

現在の川名は、松浦武四郎が記録した「ヒシナイ」に近い形になっています。そう言われてみると、平取本町のあたりから門別に向かうルートとしては悪くないことに気が付きます(沙流川を渡る必要がありますが、元来の平取は沙流川の東側にあったなんて話もありましたよね)。そう考えると ru-pes-nay で「路・沿って下る・沢」、あるいは ru-pis-nay で「路・浜・沢」の ru- が略された形のようにも思えてきます。

もしそうだとすると、「山から来た人と浜から来た人がゴッツンコ☆」という戊午日誌の説(やや脚色あり)も、あながち荒唐無稽なものでは無かったのかもしれません。

仁立内(にたつない)

nitat-nay
谷地・沢
(典拠あり、類型あり)
道道 351 号「正和門別停車場線」は日高門別川の西側を通っていますが、庫富ダム(支流に設けられたダム)の北側に位置する「仁立内橋」で一旦東側に渡ります。その後 1.1 km ほど北側で義経峠に向かう道と分かれるのですが(厳密には右に行っても左に言っても道道 80 号です)、義経峠に向かう道には「仁立内大橋」が架かっています。

現在、地形図で確認できる「仁立内」はこの二つなのですが、おそらく元々は川(沢)の名前で、戊午日誌の記述を見た限りでは「仁立内橋」「仁立内大橋」よりも更に上流部を流れていた可能性がありそうです。

またしばし過て
     ニタツナイ
此処また左りの方に谷地有。よって号るとかや。ニタツは谷地の事也。其源谷地にして近し。等までの名義はクン子、子ンタ両人の申口なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.621 より引用)
どうやら門別川筋は実際に踏破したのではなく聞き書きだったようですね。このことを以って資料的価値を云々する向きも一部にはあるようですが、どうしてどうして、聞き書きであっても結構信頼性が高かったりするので侮れません。

本題に戻りますと、「ニタツナイ」はどうやら nitat-nay で「谷地・沢」だったようですね(割とそのまんま)。道北の浜頓別にも「仁達内」という地名・川名があるのですが、それと同じだと考えてよさそうに思えます。

ルイカナイ川

ru-ika-nay
路・越える・沢、丸木橋・沢
(典拠あり、類型あり)
道道 80 号「平取門別線」の「仁立内大橋」の近くで日高門別川に注ぐ支流の名前です。「仁立内大橋」を渡ると、ルイカナイ川沿いを通って義経峠へと向かいます。

戊午日誌「東部茂無辺都誌」に記載がありました。

またしばし過て
     ルイカ
同じく左りの方相応の川也。其名義は深きが故に橋有故号しとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.620 より引用)
ふむふむなるほど。続いて永田地名解も見ておきましょう。

Ruika  ルイカ  橋
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.237 より引用)
これまたあっさりと……(汗)。

どちらも「橋」という解なのですが、ru-ika-nay で「路・越える・沢」ということなのでしょうね。義経峠はピシナイ川越えと比べて標高が随分と低いので、多少遠回りでも楽なルートとして古くから使われていたのかもしれません。

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