2016年8月27日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (368) 「チベシナイ川・クッタリ川・ハトナイ川・ラムシナイ川」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

チベシナイ川

chi-pes-nay
我ら・それに沿って下る・沢


日高門別川の上流部で北から合流してくる支流の名前です。明治期の地形図には「チペシナイ」とありますが、東西蝦夷山川地理取調図には記載がないようです。

ただ、東蝦夷日誌と戊午日誌「東部茂無辺都誌」には記載がありました。東蝦夷日誌には「チベシナイ(左川)」とあり、戊午日誌には次のようにありました。

またしばし過て
     チベシナイ
左りの方相応の川也。此辺屈曲甚し。チヘシとは諸方えの越場と云儀のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.622 より引用)

おそらく chi-pes-nay で「我ら・それに沿って下る・沢」なのでしょうね。チベシナイ川を遡って峠を越えるとアベツ川の源流部で、更にアベツ川を 600 m ほど遡って峠を越えると北に向かって荷負川が流れています。これは日高町広富(旧・仁立内)から平取町貫気別に向かう最短ルートなんですよね。

そんなわけで、「我ら・それに沿って下る・沢」というネーミングがついてもそれほど不思議ではないかな、というお話でした。

クッタリ川

kuttar
イタドリ


もう 8 月も終わろうとしているのに、こうも暑い日が続くと身体に堪えますよね……。

さて、チベシナイ川との合流点から更に日高門別川を遡ると、2 km 強で同じく北からクッタリ川が合流しています。では、今回は「東蝦夷日誌」から。

クツタラ(左川)名義、虎杖(いたどり)・益母草(ははぐりそう)・鍬形草(くわがたそう)の類多き故也(人家六軒)。爰(ここ)をニナツミ村と言り。此村サルブツ〔佐瑠太〕のニナツミより獵の便利故、移り来りし故に如此號と也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.131 より引用)

「ニナツミ」というのは謎の多い地名で、現在の「平取町荷菜」のことなのですが、元々はもっと上流部の平取町荷負のあたりの地名だったと考えられているようです。松浦武四郎が蝦夷地探検をした頃には、一旦日高門別川沿いの「クッタリ川」筋に地名ごと移転していたようなのですが、その後現在の平取町荷菜に再移転した、ということのようです。

ただ、東蝦夷日誌に「サルブツ〔佐瑠太〕のニナツミ」とあるのが少し引っかかるんですよね。現在の荷菜は割と海に近いので「サルブツ」(沙流川の河口)と表現されても不思議はないのですが、平取町荷負は二風谷ダムの畔に位置していて、ちょっと「サルブツ」と呼ぶには相応しくないような感じもします。

閑話休題(それはさておき)。クッタリ川の名の由来ですが、東蝦夷日誌にあるように kuttar で「イタドリ」と考えるのが自然かと思います。おそらくは kuttar-us-i あたりで、後ろの -us-i が略されたのでしょうね。「クッタルシ」という地名は道内のあちこちにありますね。

ハトナイ川

at(-us)-nay?
オヒョウニレ(・多くある)・沢


クッタリ川との合流点から日高門別川を更に 1.2 km ほど遡ったところに「鳩内橋」という橋がかかっていて、そこでハトナイ川が合流しています。

東西蝦夷山川地理取調図には「アトナイ」とあります。また、戊午日誌「東部安都辺都誌」には次のようにありました。

扨クツタラフトなる二股より右の方なる
     本川すじ
を上る時は、此方余は上らざれども聞まゝを志るし置に、十七八丁も赤楊・柳原を上り行て左りの方に
     アトナイ
相応の川也。其名義は天気つゞきの時にても、此沢目洪水跡の如く土柔にしてぬかると云事のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.627 より引用)

「アトナイ」を素直に読み解くと at(-us)-nay で「オヒョウニレ(・多くある)・沢」となるのですが、これだと「洪水跡の如く土柔にしてぬかる」という説との整合性がイマイチな感じがします。

……もしかしたら、atu-nay で「嘔吐する・川」とでも考えたのでしょうか。

ラムシナイ川

rap-us-nay
人々が降りる・いつもする・沢


ラムシュタイン」と言えば、なんと言っても「混ぜて飲んでぇ」ですが、それはさておき……。

コホン。ラムシナイ川です。ハトナイ川から直線距離で 900 m ほど遡った所で日高門別川と合流する支流の名前です。

東西蝦夷山川地理取調図には「ラムツシ子」とありますが、戊午日誌「東部安都辺都誌」では「ラムフシ子」となっています。

扨また本川まゝ上り行候や、山いよく狭まるをしばし過て
     ラムフシ子
左りの方相応の川也。其名義はむかし鵰と鷹と此川すじに握み合て互に羽を抜りし候よしにて号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.627 より引用)

なるほど、rap-us-nay を「羽・ある・沢」と解したわけですね(笑)。荒唐無稽な解のようにも思えますが、実にいいヒントになりました。rap-us-nay で「人々が降りる・いつもする・沢」だったのでは無いでしょうか。

rap には「羽」や「翼」という意味の他に、完動詞としての「おおぜい降りる」という意味もあります。そこを混同した……というか、意図的に言葉遊びしてしまったという感じでしょうか。

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