2016年10月16日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (383) 「ハヨピラ・オバウシナイ川・荷菜」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ハヨピラ

hayok-pira?
武装した・崖
hay-o-pira?
イラクサ・多くある・崖
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
かつて、平取本町にある「義経神社」のちょい北側に「ハヨピラ自然公園」という公園(?)がありました。「公園?」という時点でそもそも変なのですが、経緯などは 第49回「ハヨピラ自然公園の秘密」 をご覧いただくと、なんとなくご理解いただけるのかなぁと思ったりもしています(宣伝)。

平取町が設置した「ハヨピラについて」という案内板には、由来について次のように記されていました。

ハヨピラのアイヌ語の語源には、次の二つの説があります。

   「ハヨㇰ (hayok) 武装した  ピラ (pira) 崖」
   「ハイ (hay) メカジキの吻  オ (o) 置く  ピラ (pira) 崖」
     ~鋭い吻を防柵に用いた居城(チャシ)が築かれたと言われている~
(平取町「ハヨピラについて」現地案内板より引用)
また、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のようにありました。

国道が沙流川を渡る橋のところに、文化神オキクルミの漁小屋だったというハヨピラ(ハイ・オ・ピラでかじきまぐろの吻のある崖の意。砦の備えにかじきまぐろの吻を垣にしたという)という崖があり、対岸にクオピラ(仕掛弓をかける崖)といって、この崖の間をピラウト゚ルと呼んでいたのである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.78 より引用)
いつになく(失礼!)説得力のある解説が出てきました。確かに平取本町の対岸は「小平」(こびら)で、ku-o-pira が由来ではないかと言われていますよね。なるほど、hay-o-piraku-o-pira の間 (utur) にあるので pira-utur(平取)だというのは理にかなっています。

ただ、「平取」の地名は元々沙流川の東岸にあったという話も聞いたことがあるので、更科説を完全に鵜呑みにできるかと言うと……要検討かもしれません(アベツ川の河口部にあったと言うのであれば、ハヨピラとクオピラの間説は俄然可能性が高まりますね)。

本題に戻りますが、hayok-pira 説と hay-o-pira 説のどちらも興味深い説だと思います。hayok-pira で「武装した・崖」というのは、ハヨピラは砦を構えるのに適地だと思われるので、納得できる解です(ただし他に類型を知りません)。

室蘭に「ハヨㇰペ」という地名があったらしく、それが hayok-pe だったのでは、という話を見かけました(2018/2/17 追記)。

hay-o-pira で「カジキの上顎・ある・崖」というのはちょっとどうかなーと思うのですが、hay が「イラクサ」だと考えると hay-o-pira で「イラクサ・多くある・崖」となるので、極めて自然な解になります。

現在のハヨピラ自然公園(跡)もとても緑が豊かなところなので、個人的には「イラクサ・多くある・崖」をプッシュしたいところです。一番夢のない解ですが、地名って大体そんなものなんですよね。

オバウシナイ川

o-pa-us-nay?
そこに・湯気・多くある・川
(? = 典拠あり、類型未確認)
平取本町にある「義経神社」の裏手(西側)を流れる川の名前です。戊午日誌「東部沙留志」には次のように記されています。

また此向
     ヲハウシナイ
西岸小川也。其名義は川筋に、童子どもが、慰に焼く火の烟が見ゆると云事のよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.673 より引用)
「烟」は「煙」の旧字体なのですが、アイヌ語で「煙」は何と言うのだろう……と思って確認してみたところ、sipuya あるいは supuya と言うのだとか。ちょっと「ヲハウシナイ」とは違いがあるように思えます。

永田地名解には次のようにありました。

O pa ush nai  オ パ ウㇱュ ナイ  瓦斯(ガス)多キ川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.229 より引用)
まさか、天然ガスが出ていて、それが野火になっていた、なんてオチでは……(汗)。確か平取には油田もあったんですよね。

萱野さんの辞書で確認してみたところ、pa には「湯気」という意味もあるとのこと。となると o-pa-us-nay で「そこに・湯気・多くある・川」と考えることができそうですね。

荷菜(にな)

nina?
ヒラメ
ninar??
台地
(? = 典拠あり、類型未確認)(?? = 典拠なし、類型あり)
平取本町の西隣の地名です。割と名の知れた地名なので、手元の資料にも記載がふんだんにあります。と言いつつも、まずはいつもの戊午日誌「東部沙留志」から。

其名義は昔し海嘯の時テツクヒと云比目魚が此処まで上り来りしによって号とかや。テツクヒは松前方言なり。ニナは比目魚の夷言也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.661 より引用)
はい。いちぶでおなじみの「津波の時にこんな魚が上がったよ」シリーズですね。萱野さんの辞書には nina-samampe で「ヒラメ」とあります。

永田地名解にはもう少し詳しく記されていました。

Ninā  ニナー  ヒラメ魚 方言テツクイ○薪ヲ負フヲ「ニナ」ト云ヒ「テツクイ魚」ヲ「ニナー」ト云フ同語ノ如クナレトモ發音ハ異ナリ、古ヘ此邊ニテ「テツクイ」ヲ漁シタルヲ以テ名クト云フ○荷菜村
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.228 より引用)
読んで字のごとくと言いますか、結論は「ヒラメじゃね?」ということで同じなのですが、nina には「薪を負う」という意味もあるよ、という情報が目新しいところです。確かに萱野さんの辞書にも nina には「薪取りをする」という意味として記されています。

平取町荷菜は nina で「ヒラメ」なんだよ、という説はもはや公然の事実と言った感じで、今更否定することはできないかな……とも思うわけですが、個人的には「津波でお魚上がったよ」系の地名になんか胡散臭さを感じるので、つい別の解を考えてみたくなります。

東西蝦夷山川地理取調図で「ニナ」の位置を確認してみたところ、面白いことに気が付きました。先程「平取はもともと沙流川の東岸にあったらしい」と記しましたが、ニナも元々は東岸の地名だったようです。改めて戊午日誌「東部沙留志」を見てみると……

また少し上りて
     ハンケニナ
     ヘンケニナ
東岸小川並びて有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.661 より引用)
あら。確かに「東岸」と書いてありますね。戊午日誌には「パンケニナ」「ペンケニナ」の両川が記されていますが、東西蝦夷山川地理取調図には「ニナ」と、その上流の「ニナンケフ」(「ニチンケフ」かも)という川が記されています。

この「ニナンケフ」を ninar-nanke-p と考えられないでしょうか。ninar は「台地」あるいは「川岸の平地」という意味があるのですが、現在の平取町川向のあたりは川沿いから 5~60 m ほど高いところにある川沿いの台地状の地形なのですね。

ninar-nanke-p が「台地・削る・もの」と考えられるのであれば、「荷菜」も ninar台地」に由来するのではないか、と考えたくなるんですよね。ほら、永田さんも「ニナ」じゃなくて「ニナー」だよ、と言ってましたし……。

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