2016年11月6日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (389) 「モイベツ川・キリカツ沢川・イクベツ沢川」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

モイベツ川

moy-pet
静かな・川
mo-i-pet?
静かな・ところ・川


むかわ町春日のあたりで合流する、鵡川の西(北)支流の名前です。春日には国鉄富内線の駅もありました。まぁ、「モイ」で「ベツ」ですから自ずと意味も限られますよね(フラグ)。ということでまずは「北海道駅名の起源」から。

  春 日(かすが)
所在地 (胆振国) 勇払郡鵡川町
開 駅 大正 11 年 9 月 11 日(北海道鉱業鉄道)(客)
起 源 もと「萠別(もえべつ)」といっだところであるが、付近は春の日ざしが暖かく木の芽が早く出るところから、昭和 18 年 8 月 1 日買収の際「春日」と改めたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.96-97 より引用)

ふぅーむ。鵡川に限ったことでは無いのですが、太平洋戦争中に失われた地名って多いですよね……。「萌別」というのも素敵な地名だったのに。

続きがあります。

「萠別」はアイヌ語の「モイペッ」(静かな所の川)と思われるが、もと勇払の
「イプッ」に対して鵡川を「モイプッ」といったか、あるいは鵡川の古名が「イプッ」で、この付近の小川を「モイプッ」(子のイプッ)といったかどちらかと思われる。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.97 より引用)

ふむ、これはちょっと高度な解が出てきましたね。ふつーに考えると moy-pet で「静かな・川」あたりなのですが、勇払川と兄弟関係を見出そうというのは斬新な考え方に思えます。というのも、一般的には鵡川と沙流川が兄弟(というか夫婦?)関係にあると思われているからなのですが……。

戊午日誌「東部武加和誌」曰く

戊午日誌「東部武加和誌」には、次のようにありました。

またしばし上りて
     モイベツ
是も西岸にして、川口の巾三四間なるが奥深しと聞けり。其訳はふかし(き)遅流の義なるモウヘツの訛りと思はる。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.502 より引用)※ 註は解読者による

やはりと言うべきか、ここでは moy-pet 説のようです。

永田地名解曰く

続いて永田地名解を見てみましょう。

Moi pet  モイ ペッ  遅流川 直譯靜處(モイ)ノ川(ベツ)、○此處ヨリ下ハ漸ク川深ク流レ遅シ○萠別(モエベツ)村
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.210 より引用)

これも moy-pet 説ですね。

更科源蔵さん曰く

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」にも記載がありました。「春日」という現地名についてのものなのですが……

 春日(かすが)
 これも昭和十八年に改称された鵡川の地名で、別に生活と何の関係もない地名である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.76 より引用)

「別に生活と何の関係もない地名である」という表現が気に入ったので、つい引用してしまいました。アイヌ語の地名の多くはその土地での生活と密接に結びついているんですよね。だからこそこうやって意味を読み解きたくもなるわけです。

肝心の地名解については続きに記してあったのですが、「モイ・ペッとは静かな処の川という意味」とあります。これも moy-pet 説のようですね。

山田秀三さん曰く

山田秀三さんの「北海道の地名」では、永田地名解を引用しつつ、多少の批判を加えていました。

モイは大川の曲がったりした処で,水がゆったり流れている処のことである。永田氏の解は鵡川本流のことなのか,そこに流れ込んでいる小流のことなのか分からないが,その小流の方はモイでいうような姿ではない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.371 より引用)

これはもっともなご指摘で……。確かに言われてみれば、「萌別」つまり現在の「春日」より「下流は川が深くて流れがゆっくりで……」と書いてあります。ですから「モイベツ川」の解としては頓珍漢な感じも否めません。

「モイ・ペッ(本流の)モイ・(に流れ入っている)川」とでも読むべきか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.371 より引用)

ん……なんですかねこれは。改めて読んでみるとちょっと意味が良くわかりませんね……。

ここまで諸説並べてきましたが、大半が moy-pet で「静かな・川」としていました。あるいは少しだけ変化球ですが、mo-i-pet だった可能性は考えられないでしょうか。というのも、モイベツ川の流域は 1~200 m ほどの幅の平地が続いているのですね。これを「東西を山に囲まれた静かな平地」を言えそうな気もするのです。mo-i-pet であれば「静かな・ところ・川」と読み解けそうな感じがします。

キリカツ沢川

kirikatci?
鮭の産卵場?


鵡川を東の方に遡ってゆくと、「川西頭首工」のすぐ上流で鵡川に合流している「キリカツ沢川」という川があります。現在は川の名前として残るのみですが、かつては対岸の花岡(花岡二区?)あたりが「切勝」という名前だったようです。

では、まずは戊午日誌「東部武加和誌」を見てみましょう。

過て
     キリカツチ
西岸少しの平地有。此処に川口有。其東岸は山にして雑木立原也。其名義は昔し此処え山の乙名来りて、鹿の骨と思ひて大なる骨の中の肉を喰し処、其骨土人の骨に有りしによって、其を以て号しとかや。人の骨も土人の骨も(不)分明と云よりして号しものと聞り。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.506 より引用)

ん……なんですかねこれは(本日二度目)。田村すず子さんの「アイヌ語沙流方言辞典」を見ていた所、次のような記述が見つかりました。

kir キㇼ 2【名】足の骨の中の脂肪(鹿、熊、豚、牛等の。魚には無い)、骨髄。{E: bone marrow.}
(田村すず子「アイヌ語沙流方言辞典」草風館 p.308 より引用)

ふむふむ。どうやら戊午日誌の記載とマッチしそうな感じですね。「鹿の骨だと思って中の脂肪を食べてみたら、実は人の骨だったんだよねぇ。うわぁぁあっ!」というストーリーのようです。

となると残りは「カツチ」ですが、kat で「姿」あるいは「様子」という単語があるみたいですね。これの所属系が katu だそうですから、kir-katu で「骨髄・彼の様子」と言った意味になりそうです。うん、なんですかねこれは(本日三度目)。

一方、永田地名解は全然違う解を記していました。

Kiri kap kotan  キリ カㇷ゚ コタン  鮭ノ産卵場 「イチヤン」ト同義石狩上川ニ同名ノ地アリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.210 より引用)

うん、なんでs(ry

実は、「キリカツチ」ならぬ「切梶」という川がせたな町の北部に存在するのですね。そこも永田地名解は同様に「鮭ノ産卵場」としていて、註にも「石狩上川、勇拂郡ノ川ニ同名アリ」とありました。ただ、調べた限りでは「キリカッチ」あるいは「キリ カㇷ゚」に相当する語彙が見当たらないようなのです。

唯一記載が見つかったのが知里さんの「動物編」なんですが、

(30) kirikatči=ican (C 129)
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 動物編』」平凡社 p.51 より引用)

「C」というのが、実は他ならぬ永田地名解の出典略号でして、要するに「永田地名解にこう載ってたよ」という情報でしか無いのです。結果として永田地名解にある kirikatci = ican 説の証左となる情報はなさそうな感じなのですね。

というわけで、今日のところは「?」® で締めるしかなさそうな感じです。「?」だけというのもあんまりなので、「鮭の産卵場?」ということにしておきましょう。

イクベツ沢川

yuk-pet
鹿・川


キリカツ沢川の東側を流れる川の名前です。現在の地形図では「旭岡二区」という地名が記されていますね。では、今回も「北海道駅名の起源」から。

  旭 岡(あさひおか)
所在地 (胆振国) 勇払郡鵡川町
開 駅 大正 11 年 7 月 24 日(北海道鉱業鉄道)
起 源 もと「生鼈(いくべつ)」といったが、昭和 18 年 8 月 1 日買収の際字(あざ)名の「旭岡」をとって改められたもので、日当りのよい丘という意味で名づけられた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.97 より引用)

はい。どうやら元々は「生鼈」で「いくべつ」と読ませる地名だったようです。旧・鵡川町の地名は太平洋戦争中に多くが改名されてしまっていますが、確かに「生鼈」は書きづらいので改名も止む方なしと言ったところでしょうか。「鼈」を「別」に変えるのもアリかと思ったのですが、「生き別れ」というのもちょっと悲しいですし。

ただ、対岸の「生田」は「生鼈」に由来しているとのことで、ひっそりと形を変えて生き残った……とも言えるのかもしれません。いっそのこと全部「生田」にすれば良かったのに……。

さて、この「生鼈」についてですが、戊午日誌「東部武加和誌」には次のように記されていました。

また十丁計も上りて
     ユクベツ
西岸少しの平地、其処に有。名義は鹿川と云儀なるが、何故に号初めしやしらず。ユクは鹿の事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.509 より引用)

ふむふむ。割とそのまんまの川名だったようですね。yuk-pet で「鹿・川」だったようです。知里さんの流儀では yukpet の間に何らかの動詞が含まれる筈なのですが……

汐見の古老はこの沢をユコッペッ(yuk-ot-pet 鹿が・多くいる・川)と呼んでいた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.371 より引用)

ああ、そゆことですか。「東西蝦夷山川地理取調図」でも「ユクヘツ」だったのでどうしたものかなーと思ったのですが、もともとは yuk-ot-pet だった可能性があるのですね。

今バロー沢と呼ばれる川の旧名である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.371 より引用)

これはちょっと確認できませんでした。現在の「イクベツ沢川」のことでいいのか、あるいは別の小さな沢のことなのか……?

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