2016年11月12日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (390) 「オブスケ川・キキンニ・似湾」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

オブスケ川

o-pus-us-nay
河口・破れる・いつもする・沢
o-{pus-ke}(-nay)
河口・{破裂する}(・沢)


むかわ町の有明集落のあたりを東から西に流れている支流の名前です。このあたりの川の名前は和名に変えられてしまっているものが多いのですが、なぜかこの川だけは「昔の名前で出ています」と言った感じですね。

戊午日誌「東部武加和誌」に記載がありました。

またしばし過て
     ヲブシユシナイ
同じく東岸の小川也。此川口大転太石多く有。よって上より流れ来りし水此川口まで来りて、其石の下を潜りて大川え落るが故に此名有といへり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.514 より引用)

文中に「大川」とあるのは鵡川のことですね。「ヲブシユシナイ」というカナ表記からは o-pus-us-nay ではないかと思われるのですが、これだと「河口・破れる・いつもする・沢」という意味になるでしょうか。戊午日誌の内容と少しニュアンスが異なるように感じられますが、「河口が埋まり気味である」という点では同じっぽいので、大体こんなところでは無いかと……(汗)。

なお、現在は「オブスケ川」という名前ですが、これだと o-{pus-ke}(-nay) で「河口・破裂する(・沢)」と考えられそうですね。

キキンニ

kikin-ni
エゾノウワミズザクラ、ナナカマド


むかわ町旭岡の北に位置する集落の名前です。鵡川の西側に山と川に囲われた平地があるのですが、目の前の鵡川には橋が無く、川沿いの道を旭岡まで南下する以外に出口が無いというのはなかなか凄いですよね(国鉄富内線も川の西側を通っていましたが、キキンニのあたりには駅は無かったようです)。

永田地名解に記載がありましたので、早速見てみましょうか。

Kikin ni  キキン ニ  早咲接骨(ハヤザキウツギ)
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.210 より引用)

あれっ。何でしょうねこれは。ちょいと良くわからなくなってきたので戊午日誌も見ておきましょう。

また其上に
     キヽニナイ
西岸の小川山合に有。此名義はキヽニ多く有るよし、依て号るとかや。キヽニは則早咲うつぎと申て、水臘樹の一種也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.514-515 より引用)

また良くわからない単語が出てきました。「水臘樹」って何なんでしょうね……。

くわしくはアバシリ川すじの条に志るし置もの也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.515 より引用)

あっ、この返し方は便利ですね(笑)。早速真似してみましょう。詳しくはアイヌ語地名の傾向と対策 (229) 「チャシポコマナイ川・木禽川・サラカオーマキキン川」をご覧いただきたく……。

……と、これだけではあまりに不親切なので。kikin-ni は「エゾノウワミズザクラ」あるいは「ナナカマド」のどちらかを指す場合が多いようです。今回は更に「ウツギ」や「水蝋樹」といった話が出てきたので話が更にややこしくなってしまっていますが、一旦後者二つは除外して進めますね。

kikin-ni という言葉が複数の種類を指すという問題について、知里さんは「植物編」の「エゾノウワミズザクラ」の項にて、次のような説を開陳していました。

「キキンニ」わ,おそらく kiki(代りに出て戦うもの)-ne(になる)-ni(木)がもとであったろう。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.119 より引用)

田村すず子さんの「沙流方言辞典」には、kiki は「防ぎ守る」と記されています。あれ? と思わないでも無いのですが……続きを見ましょう。

ここで kiki と云っているのわ棒幣(sitú-inaw 悪魔を追っぱらうために立てる棒状の幣)をさす。別言すれば ináw-ne-ni(幣・になる・木),或いわ ináw-ni(幣の・木)と云うのに等しい。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.119 より引用)

なるほど、ここで言う「イナウ」は護符のような役割を果たすものだったのですね。

本題を忘れていました。なぜ「エゾノウワミズザクラ」と「ナナカマド」のどちらも kikin-ni なのか、という話ですが……

現に,ナナカマドをも「キキンニ」とゆうが, 同時にそれを「イナウニニ」,或いわ「イナウニ」と云っている地方がある(§223 參照)。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.119 より引用)

ということで、どうやらどちらも(魔除けとしての)イナウの材料として用いられたからではないか、という説のようです。そう考えると、「ナナカマド」や「エゾノウワミズザクラ」以外にも「ウツギ」や「イボタノキ」を kikin-ni と呼ぶこともあったかも知れないわけで……うわわわ(汗)。

閑話休題(それはさておき)。むかわ町キキンニの地名解ですが、とりあえず「エゾノウワミズザクラ」か、あるいは「ナナカマド」のどちらか、ということにしておきましょう。

似湾(にわん)

ni-e-an-pet
木・そこに・ある・川
iwan
六つ


むかわ町の旧・穂別町域を流れる鵡川の西支流の名前です。かつての穂別町の旧名が「似湾村」でしたが、村名改称で「穂別村似湾」となり、その後昭和 16 年に「穂別村仁和」に改められています。昭和十年代に失われたアイヌ語地名は本当に多いですよね……。

永田地名解には次のように記されています。

Ni an pet   ニ アン ペッ   樹木アル川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.211 より引用)

また、北海道駅名の起源にも次のようにありました。

   (さかえ)
所在地 (胆振国) 勇払郡穂別町
開 駅 大正 12 年 6 月 12 日(北海道鉱業鉄道)
起 源 もと「似湾(にわん)」といったところで、アイヌ語の「ニ・アン・ペツ」(木のある川)から出たのであるが、昭和 18 年 8 月 1 日買収の際、字(あざ)名に合せて「栄」と改めた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.97 より引用)

これはちょっと補足が必要ですね。現在、似湾川沿いには道道 59 号「平取厚真線」という道路が通っています。この道道 59 号は「栄和橋」という橋で鵡川を越えているのですが、橋の西側の地名が「穂別栄」で、東側が「穂別仁和」です。国鉄富内線の駅は川の西側にあったので「栄」だったということですね。

山田秀三さんの「北海道の地名」には次のようにありました。

栄 さかえ似湾 にわん
 富内線栄駅がある。村の発展を期して「栄」と改名されたのであるが,私たち昔人には旧名の似湾でないと感じが出ない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.371 より引用)

(笑)。ただ、ni-an-pet という解については

だが一般的に使われた地名の形ではない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.371 より引用)

と否定的な見解でした。

アイヌ語の正確な平賀さだも媼は,あの沢は素性のいい木(良材)ばかり生えていた処だ。だが木の繁っている川をニウㇱペッとはいうが,ニワンペッとはいわないと話された。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.370-371 より引用)

確かにそう言われてみればそんな感じが……。

強いていえば,正確な語法でニ・エアン・ペッ(木・そこに・ある・川)とでもいった名があって,それがニワンと訛ったとでも考えるべきか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.371 より引用)

なるほど。ni-e-an-pet で「木・そこに・ある・川」という考え方のようですが、これもあっても不思議ではないような感じがします。

ところで、戊午日誌「東部武加和誌」には次のような解が記されていました。

此処左りの方
     ニ ワ ン
此川口西岸に有・川口南の方は左少し山有り。北の方右平地多し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.527-528 より引用)

ということで、古くから「ニワン」という音で呼ばれていたことがわかります。

其名義はイワンにして、六ツと云事也。夷言六の数をイワンと云り。其訳は此川すじ六ツに分れ有るが故に如い此号しとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.528 より引用)

え……?(汗) 確かに似湾川はとても支流が多いように見えます。河口から数えても「三号沢川」「四号沢川」「栗木の沢川」「五号沢川」「春栄沢川」「六号沢川」「七号沢川」「八号沢川」「毛似湾川」や「ムカデの沢川」「四十八点沢川」「カラマツ沢川」があるほか、地形図に名前がない支流も結構な数があります。

ということで、支流の数は六つどころでは無いのですが、少し注意しておきたいポイントもあります。実は平取町の北部にも「岩知志」というところがあり、その語源について iwan-chis(六つの・丸い岩山)という説があるのですね。

似湾川も全体では相当な数の支流があるのですが、道道 59 号にかかる「相馬橋」からカウントすると割と同規模の支流が似たような間隔で 6 つ続いていたりします。これを指して「六つのなにか」という川名がついた可能性も捨てきれないような気がするのです。

相馬橋のすぐ南で合流している毛似湾川は、それ自身が「七号沢川」や「八号沢川」などの支流を持つ結構な支流であり、名前自体も「小さなニワン川」なので、他の支流とは分けて考えるべきかと思います。

ということで「似湾」の意味ですが、山田説の ni-e-an-pet で「木・そこに・ある・川」か、あるいは松浦説の iwan で「六つ」のどちらかかなぁ、と思います。

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