2017年1月2日月曜日

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「日本奥地紀行」を読む (65) 田島(南会津町) (1878/6/27)

 


今日からは、1878/6/30 付けの「第十二信(完)」(本来は「第十五信(完)」となる)を見ていきます。川島を出発して、田島(会津田島)に到着したところから話が始まります。

日本の渡し場

イザベラ一行は、川島から約 6 km ほど先にある田島(会津田島)で馬を替えました。この田島の街のことを、イザベラは次のように記しています。

私たちは田島で馬をかえた。ここは、昔、大名が住んでいたところで、日本の町としてはたいそう美しい。この町は下駄、素焼、粗製の漆器や籠を生産し、輸出する。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.164 より引用)

会津田島の市街地の南側の山の上に「愛宕神社」という神社があるのですが、どうやら戦国時代の頃は、現在愛宕神社のある一帯が城だったみたいですね(鴨山城)。

田島で馬を替えたイザベラ一行は、現在の「田島橋」に相当するところにやってきました。

水田を通りすぎると、荒海川という大きな川に出た。私たちはその支流に沿って二日間とぼとぼ歩いてきたのであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.164 より引用)

現在の地図では、山王川と荒海川は「七ヶ岳登山口駅」の南で合流して「阿賀川(大川)」と名前を変えていますが、戦前の地図では少なくとも田島のあたりでは「荒海川」のままでした。ですので、イザベラが「荒海川」と認識した川は、現在の「阿賀川」だったことになります。

当時は橋も無かったため、イザベラ一行は船で川を渡ることになります。

そして汚いが勤勉な住民のあふれている汚い村をいくつか通りすぎて、平底船で川を渡った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.164 より引用)

「汚い」を二度も繰り返しましたよイザベラ姐さん……(汗)。これはひどいなーと思って原文を確かめてみたのですが……

after passing through several filthy villages, thronged with filthy and industrious inhabitants, crossed it in a scow.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)

……(汗)。確かに二度も filthy が出てきますねぇ。

「渡し船」の仕組みについては、次のように記されていました。

川の両岸には、また木がしっかりと打ちこんであり、藤蔓を何本も結びあわせた太綱を支えている。一人は両手を使って綱をたぐり、一人は船尾で棹をさす。あとは流れの速い川がやってくれる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.164 より引用)

ふむふむなるほど。どことなくロープウェイに似た仕組みなんですね。もっともロープと船の間は船頭さん?が支えているだけでしょうから、下手をすれば下流に流されてしまいそうにも思えますが、その辺は絶妙な棹さばきでコントロールするという仕組みなんでしょうね。

これから先も、こんなふうにして私たちは多くの川を渡ってきた。どの渡し場にも料金表が貼り出してある。料金をとる橋の場合と同様である。事務所には男が坐っていてお金を受けとる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.164 より引用)

日本における「有料道路」という仕組みの成立も、思っていた以上に早かったのですね(汗)。

藤の仲間

さて、続いては「普及版」でカットされた部分です。まずは「渡し船」でも大活躍のロープの素材について。

通常の縄紐よりも強さと耐久性が要求される場合に主として用いられている藤づるはどこにでも見られるようです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.61 より引用)

なるほど、強靭性の求められるロープについては藤蔓を編んで作っていたのですね。イザベラは、藤蔓(あるいはその亜種)の逞しさについて、次のようにも記していました。

幾度か私は素晴らしくきれいな新しい種の木に遭遇し、楡か杉が、この暴れ狂う蔓植物によって、殺され、変形させられたのを発見したのではないかと思いました。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.61 より引用)

穀物

更にカットされた部分が続きます。

休みなく仕事が続けられる村々が速やかに次々続き、これまでより作物の種類が多くなり小麦、大麦、キビ、米、麻、豆(数多くの種類があり、米の次に主要な作物である)、エンドウ、スイカ、エンドウのように蔓支えに仕立てられるキュウリ、サツマイモ、ナスビ、オニユリ、赤カブ、ホウレンソウのように食べられる葉物、レタスと藍があります。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.61 より引用)

なんか和訳がしっくり来ないので(すいません)、原文を確かめてみました。

Villages with their ceaseless industries succeeded each other rapidly, and the crops were more varied than ever; wheat, barley, millet, rice, hemp, beans (which in their many varieties rank next to rice as the staple food), peas, water melons, cucumbers trained on sticks like peas, sweet potato, egg plants, tiger lilies, a purple colea the leaves of which are eaten like spinach, lettuces, and indigo.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)

ふむふむ。これは確かに訳出するのが難しそうですね。

そして、「藤蔓」と「穀物」が何故カットされたのだろう……というお話です。畑の広がりと作物の多様化は地誌的には重要な情報だと思うのですが、紀行文としてはやや冗長に過ぎると判断したということでしょうか。

漢方薬

カットされた部分は更に続いていました。

この地域でもっとも価値のある作物は人参、つまり中国[朝鮮]ニンジン──植物学で言う Panax respens──です。漢方薬では主要な位置を占め(それと結び付けられる迷信からくる面は別としても)、われわれのキニーネのように熱さましに使われます。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.61 より引用)

おやおや。「朝鮮人参」も、原文を見ると the Chinese ginseng となっていますね。「朝鮮人参」あるいは「高麗人参」(呼び方が違うだけでどちらも同種です)は、日本でも江戸時代から栽培されているそうで、会津地方は有名な産地のひとつみたいです(Wikipedia「オタネニンジン」より)。

なお、「熱さましに使われる」とありますが、朝鮮人参そのものには特に解熱作用は認められないという説もあるようです。この項目も「普及版」ではカットされているわけですが、これは「東洋医学」への無理解によるものでしょうか。

耕作のきまり

「朝鮮人参」の栽培に関する記述が更に続いていました。

朝鮮ニンジンの種は、長さ 27 フィート、幅 2.5 フィート高さ 1 フィートで、互いに 2 フィート離れた苗床に播かれますが、各苗床に 438 の種を播くための穴をあけ、その中にそれぞれ 3 粒ずつ播かれるのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.61-62 より引用)

これはまた……。ものすごく具体的な内容ですが、明治時代の初頭に、既にこんなレベルの作業品質で種まきが行われていたというのはちょっと驚きですね。日本人の謎の几帳面さを見て取ることができますね。

私はこの奇妙に形式的な国において、極めて精密な儀式の例のようにすべての過
程が規定されていることの一例としてこれを述べるのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.62 より引用)

イザベラ姐さん、ぐっじょぶです。他にはどんな例があったのか、個人的にはとっても気になるのですが……。

調髪と魚を揚げるのと両方に使われている油を抽出するゴマ Sesamum Orietale が栽培されはじめています。これの揚げ物への利用は日本におけるもっともものすごい臭いの一つのもとであると責めを負わせられるべきものです。それはダイコンに勝るとも劣らないものです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.62 より引用)※ 引用部ママ

最後に傑作なネタ……いや、話題がありました。どうやらイザベラ姐さんはゴマ油の匂いがお気に召さなかったみたいですね(笑)。言われてみれば、大根の煮物も独特の匂いを放ってますが、言われてみないとなかなか気がつかないものです。



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