2017年2月5日日曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

アイヌ語地名の傾向と対策 (414) 「ニセコ・カシュンベツ川・イヌフレベツ川」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ニセコ

nisey-ko-an-pet
断崖・そこに・ある・川


北海道の中でも飛び抜けて国際的な町として有名なところです。同名の駅があり、国鉄時代は全国で二例しか無い「カタカナの駅名」としても有名でした。

ということで、まず「北海道駅名の起源」を見てみましょうか。

  ニセコ(にせこ)
所在地 (後志国)虻田郡ニセコ町
開 駅 明治37年10月15日(北海道鉄道)
起 源 もと「真狩(まつかり)」といったが、明治39年12月15日「狩太」と改称し、さらに昭和43年 4 月 1 日、「ニセコ」と改めた。カナ文字駅名は国鉄ではここだけでニセコ連峰の玄関口に当るため、町民の希望によりこう改められた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.30 より引用)

はい。「ニセコ連峰の玄関口に当たるため」とあります。もっと有名なのが町の北側に位置する「ニセコアンヌプリ」でしょうか。

ちなみに、国鉄史上初だった「カタカナの駅名」が誕生した経緯については、次のように記されています。

「狩太」はもと真狩村に属していた真狩別太原野が、明治34年分村にさいし、そのなかの「狩」と「太」とをとったもので、真狩別太はアイヌ語の「マッカリ・ペッ・プッ」(山のうしろを回る川の口」の意で、マッカリ川が尻別川にそそいでいるところから出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.30 より引用)※ 原文ママ

そう、元々は「狩太」という駅名だったのですね。この「狩太」は駅のすぐ南側で尻別川に合流する「真狩川」の河口を意味する地名でした。駅名の変更は「町民の希望により」とありますが、その実情は中々熱いものだったようで、Wikipedia には次のように記されています。

1963年(昭和38年)、ニセコアンヌプリ一帯が「ニセコ積丹小樽海岸国定公園」 に指定された。そのため、ニセコの玄関口である狩太駅を「ニセコ駅」へ変更しようと国鉄(現・JR北海道)へ働きかけた。しかし、当時の国鉄は駅名には地名をつけるという方針であり、駅名変更ができなかった。すると、活動は町名変更までに発展して1964年(昭和39年)に「ニセコ町」が誕生することになり、1968年(昭和43年)には駅名も変更された。
(Wikipedia 日本語版「ニセコ町」より引用)

町名の変更によって駅名が変更されるというのはちょくちょく耳にしますが、「駅名を変更するためにまず町名を変更した」というのは割と珍しいような……。よっぽど「狩太」という駅名がイヤだったのかなぁとすら思えてくるのですが、実はその通りだったのかもしれません。

詳細については山田秀三さんの「アイヌ語地名を歩く」p.174~ をどうぞ。

閑話休題。「ニセコ」の話題に戻りましょう。「ニセコアンヌプリ」という山名と「ニセコ」という駅名・町名から、「ニセコ」と「アンヌプリ」が組み合わさってできた単語のように誤解されがちで(かつての私もそうでした)、「ニセコ」ってどういう意味だろう……と考えてしまうのですが、実は nisey-ko-an-nupuri ではないかと考えられるのですね。

ただ、地図をよーく見ると、ニセコアンヌプリの西側に「ニセコアンベツ川」という川が流れていることに気がつきます。これは nisey-ko-an-pet で「断崖・そこに・ある・川」と読み解くことができます。nisey-ko-an-pet を遡った先にある nupuri なので nisey-ko-an-nupuri だと考えるほうが、やはり自然ではないかと思えてきますね。

カシュンベツ川

kas-un-pet
仮小屋・ある・川


真狩川の支流で、ニセコ町の中心街と旧市街(元町)の間を流れている川の名前です。残念ながら、東西蝦夷山川地理取調図には記載が無いようです。

ちなみに、東西蝦夷山川地理取調図では真狩川が羊蹄山の北側を流れているように描かれています(実際には南側)。割りと大きめのミスですね。

丁巳日誌「報志利辺津日誌」に次のような記載がありました。

 扨此川筋の事を聞に、川口より凡何程といへる事は、誰も川口を見たる土人無りし故しれざれども、其上の方に行ては西岸右にナンベ、此辺ソウツケより少し上の方に当り、しばし過て、ナンペツ、左り岸、ソウツケより来る川有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.358 より引用)

確かに、東西蝦夷山川地理取調図では、現在の「カシュンベツ川」に近い位置に「ナンヘツ」と記されています。元々は nam-pet で「冷たい・川」だったと考えられそうですね。

そして、実は続きがありまして……

此処アフタ土人イトカンといへる者の漁場にて小屋有と。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.358 より引用)

はい。「小屋有り」とありますが、これが現在の川名「カシュンベツ」の由来だと考えられそうです。kas-un-pet で「仮小屋・ある・川」となりそうですね。

ちなみに、ニセコと昆布界隈には「カシュンベツ」という川がいくつかあったようなのですが、永田地名解に次のような記載がありました。

Kashp ni   カシュプニ   杜仲(マユミ)
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.180 より引用)

以前にもどこかで見たような気もしますが、知里さんの「植物編」にも次のように記されていました。

§156.マユミ Euonymus Hamiltoniaus Wall.
    エゾマユミ Euonymus hians Koehne
( 1 ) kasup-ni (ka-súp-ni) 「カすㇷ゚ニ」[kasup(杓子) ni(木)]莖 ((長萬部,禮文華,有珠,幌別,穂別,様似,近文,足寄,美幌,屈斜路))
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.96 より引用)

少なくともニセコの「カシュンベツ」のことでは無いような気もしますが、念のためご紹介しておきます。

イヌフレベツ川

inun-hure-pet
漁のために滞在する・赤い・川


ニセコ町と西隣の蘭越町の間を「昆布川」が流れていて、昆布川が町境となっています。イヌフレベツ川は昆布川の支流で、ニセコ町側を流れています。

これまた東西蝦夷山川地理取調図には記載がないのですが、竹四郎廻浦日記「巻の六」に次のように記されていました。

右の方を コンホナイと云、相応の川のよし也。川船にて凡三日半斗も懸るとかや。
 扨其川筋の事は、しばし行て ケナシヒリカ、並て ポロナイ、イヌヽシ、また少し上り リヲヤウシベツ、はた上りてしばし行カシユンヘツ、此辺にコンホノホリと云仏飯を盛し如き丸山一つ有るよし。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.346 より引用)

昆布川の流域には南の豊浦あたりからも漁師が足を運んでいたようで、kas(仮小屋)のある沢がところどころにあったようです(前述の「カシュンベツ」関連の話)。本題の「イヌフレベツ」に戻りますと、「イヌヽシ」とあるのが現在の「イヌフレベツ」ではないかと考えられます。

inun-us-i であれば「漁のために滞在する・いつもする・ところ」となりますが、「イヌフレベツ」なので inun-hure-pet で「漁のために滞在する・赤い・川」でしょうか。

永田地名解にも次のように記されていました。

Inun hure pet   イヌン フㇾ ペッ   漁獵ノ假リ小屋アル赤川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.181 より引用)

あっ……。そのままでしたね(汗)。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

最近の記事

    スポンサーリンク