2017年3月26日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (427) 「長万部・ナイベコシナイ川・キュウシバッタリ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

長万部(おしゃまんべ)

o-samam-pet
河口・横になっている・川
(典拠あり、類型あり)
黒松内の南に位置する噴火湾沿いの町の名前です。「倶知安」や「弟子屈」「留辺蘂」「音威子府」などと並ぶ、難読な筈なのに有名なせいでもはや難読とは言い難い地名です。そう遠くない将来、北海道新幹線の駅も設置予定のようですね。

有名な地名なので解説もよりどりみどりなのですが、今回は更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

 長万部(おしゃまんべ)
 昔アイヌに漁のことを教えた神様が、ある日大きなひらめをつり上げて「この魚は神の魚で、私はこれを山に祭るから、これから後春になってあたりの山の雪が消えても、これを祭った山には魚の形の雪が残る。それを見たら海へ行って漁をすると、必ずこの魚がたくさんとれるだろう」といって去った。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.18 より引用)
さすがは更科さんです。この手の地名説話は見逃しませんね。続きを要約しようかと思ったのですが、更科さんの文章の味わい深さには抗しきれず、そのまま引用してしまいます。

それから春になると神様のいう通り魚形の雪がのこり、そのころ海に行くと多くのひらめがとれるようになった、という可愛らしい伝説が残っている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.18 より引用)
いやいやまったく。とても「可愛らしい」伝説ですよね。土地のアイヌに好漁期を教えてくれるカムイ……いい話じゃありませんか。

さて、まだ続きがありました。見てみましょうか。

ひらめはシヤマンベというので、この伝説によりオシヤマンベというようになったというが、実はオ・サマㇺ・ぺで、川尻が横になっている川の意である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.18 より引用)
ズコっ(コケた音)。これだけヒラメの神様の話をしておいて最後に全否定ですか。更科さんの必殺ちゃぶ台返しが鮮やかに決まったようです。

山田秀三さんの「北海道の地名」でも、簡潔ながらも深く掘り下げた内容が記されていました。

長万部 おしゃまんべ
 町名,川名。秦檍麻呂の地名考(文化5=1808年)がここの地名伝承を書いた始めらしい。抄録すると「古名ウアシ・シャマンベ(雪・ひらめ)。昔神がこの海で大ひらめを釣り,神として山上に祭らせた。春雪解けの時に,この山にひらめの形の雪が残る時が漁期だと教えられた」と書かれてある。ウアシとはウパシ(雪)のことである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.413 より引用)
ほう。秦檍麻呂の時代から「ヒラメ」説があったのですね。

上原熊次郎も同説,ただしシャマンベは鰈と訳した。永田方正も同説。これは土地の長い伝承だった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.414 より引用)
そうですね。永田地名解にも確かに「ヒラメ」説が記されていました。上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」は「カレイ」説ですね。

あ、長万部は駅名ですので、「駅名の起源」も見ておかないといけませんね。

  長万部(おしゃまんべ)
所在地 (胆振国) 山越郡長万部町
開 駅 明治36年11月 3 日(北海道鉄道)
起 源 本来はアイヌ語の「オ・シャマム・ペッ」(川尻が横になっている川)であったが、「シャマンペ」(カレイ)を連想して「オ・シャマンペ」となり、川口附近にカレイの漁が豊富であったためこの名があるという解釈が生じ、また長万部山の残雪がカレイの形に見えるころを漁期としたという伝説も、そこから生まれた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.12 より引用)
ということで、どうやら更科さんの変化球の元ネタは「駅名の起源」だったようです。長年にわたってヒラメやカレイが舞い踊っていた長万部の由来に一石を投じる解とも言えそうですが、極めて妥当な解釈のように思えます。o-samam-pet で「河口・横になっている・川」と考えて良さそうですね。

「長万部」と「写万部山」の音の類似性が気になっていたのですが、どうやらたまたま、どちらも samam(横になっている)という語彙を使っていた、というだけのようですね。

ナイベコシナイ川

nam-pe-ku-us-nay?
冷たい・水・飲む・いつもする・沢
nam-pe-kus-nay?
冷たい・水・通行する・沢
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
写万部山の西側を流れる川の名前です。現在、この川の近くの地名は「共立」という名前のようですが、かつては地名も「ナイベコシナイ」でした。

……さっぱり見当がつかないのですが、えーと。「ナイベ」はもしかしたら nam-pe で「冷たい・水」だったりするんでしょうか。となると nam-pe-ku-us-nay で「冷たい・水・飲む・いつもする・沢」と読み解けなくもありません。

ナイベコシナイ川からは少々離れていますが、長万部町には「二股ラジウム温泉」という温泉もあるくらいなので、「冷たく飲用に適した水」は特記するに値する事項だったのかもしれません。

もう一つの可能性として、「コシ」を kus(通行する)と解釈できないかとも考えてみました。nam-pe-kus-nay で「冷たい・水・通行する・沢」という可能性もあったりするかな、と。

ナイベコシナイ川を遡っていくと、やがて峠を越えて知来川にたどり着き、このまま知来川沿いを下ると蕨岱にたどり着きます。交通路としては悪くない地形です。

素直に長万部川・知来川を遡ったほうが遥かに楽なんですが、途中で長万部川を渡らないと蕨岱には辿り着けませんし、東蝦夷日誌にも「急流なり(出水の時船有)」と書かれているくらいなので、実は代替ルートとして意外と使われていたのかも……などと想像してみました。

ボクサタナイ

ちなみに、ナイベコシナイ川の西に「川瀬川」という川が流れていますが、戦前の地形図には「ボクサタナイ」と記されていました。どうやら pukusa-ta-nay で「ギョウジャニンニク・採る・沢」だったようですね。現在もギョウジャニンニクが自生しているのか、ちょっと気になるところです。

キュウシバッタリ川

ki-us-hattar?
草・群生する・淵
chiw-as-hattar?
波・立っている・淵
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
まるで精根尽き果てたような名前の川ですが、えーと、まだ力尽きるわけには参りません(一体何の話なんだ)。キュウシバッタリ川は川瀬川の西隣を流れる川ですが、この川は直接海に注ぐのではなく、長万部川の支流です。

この「キュウシバッタリ川」ですが、音からは ki-us-hattar あたりかな、と思わせます。これだと「草・群生する・淵」となりますが、うーん、少ししっくり来ない感じもしますね。

キウス」と言えばパーキングエリアですが、実は穂別(むかわ町)にも「キウス」という地名があり、こちらのキウスは chiw-as-i だったのではないかと言われています。同じ理屈で考えると、この「キュウシバッタリ川」も chiw-as-hattar で「波・立っている・淵」とも読み解けそうです。

さてどっちが適切な解釈か……。あ、ひとつ新情報です。最近ちょくちょく参考にさせてもらっている「北海道測量舎」の五万分の一地形図にも「キウシハッタラ」とあったのですが、その位置は現在の「キュウシバッタリ川」よりも随分と南側の平野部のあたりでした。hattar がありそうな場所にも思えないのですが、図らずも「バッタリ」が hattar じゃないか、という仮説の傍証にはなったよううです。

うーん、ちょっと消化不良な感じもしますけど、一旦この辺で。

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